『web Sportiva』をご覧の皆様、はじめまして。大阪・朝日放送の堀友理子と申します。スポーツ番組『虎バン』や『NEWSゆう+』のスポーツコーナーなどを担当している入社4年目のアナウンサーです。
これからは、このスペースをお借りして、大阪を拠点とするスポーツチームのアスリートたちの魅力を伝えていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。
さて、大阪を代表するチームと言えば、なんといっても阪神タイガースです。今年のクライマックス・シリーズでは巨人相手に惜しくも敗れてしまい、短期決戦の難しさというのを改めて感じました。
そんな2010年、阪神タイガースでひとりの選手がユニホームを脱ぎました。矢野燿大選手です。

1990年のドラフトで中日ドラゴンズから2位指名を受け入団し、1997年にトレードで阪神タイガースに移籍。2003年、2005年のリーグ優勝に貢献し、2008年には北京五輪の日本代表にも選ばれた球界を代表するキャッチャーです。
私は、そんな矢野選手が試合に勝利し、ピッチャーに駆け寄る時に見せる、顔をクシャクシャにした表情が大好きです。優しそうで、無邪気で、そして本当に喜んでいる顔……。
矢野選手とは2年前、ラジオ番組でご一緒させていただいたことがあります。甲子園球場で矢野選手が打席に立つ際に流すテーマ曲を、リスナーさんから募集するという企画で、何度も何度も歌のタイトルを噛んでしまう私を怒ることなく、「わざとやろ?」と笑いながら優しくフォローしてくださいました。
また、先日、朝日放送にお越しになった時も、テレビのついたフロアで仕事の準備をしている私に「こら、テレビ見ながら仕事をしているのか!」と、茶目っ気たっぷりに声をかけてくださったのです。
矢野選手といえば〝必死のパッチ(関西弁で一生懸命という意味)〟が代名詞。ご本人は「自分はコツコツ真面目にやることしかできない」とおっしゃいますが、〝コツコツ真面目に〟頑張ってきたからこそ、20年に及ぶ現役生活を送れたのだと思います。
しかし、2010年はケガで思うように肘が動きませんでした。今年はレギュラーからも外れ、それでも「何らかの形でチームにプラスになれるように」と控えキャッチャーとして若いピッチャーのボールを受け続けていたのです。そして、「オレに投げさせられるのではなく、ピッチャーが自分の気持ちを込めて投げてほしい」とよくおっしゃっていました。

9月25日、阪神鳴尾浜球場で行われた今シーズンのファーム最終戦。矢野選手は8回に代打で登場し、レフト前ヒットを放ちました。そして9回には、なんと2軍で調整中の下柳剛投手と1年ぶりにバッテリーを……。
この回に投げた全18球、下柳投手は矢野捕手のサインに一度も首をふることはありませんでした。また、うなずくことさえありませんでした。
これは、おふたりの間にはサインが出たら自分の気持ちを込めて投げるという暗黙の了解があったからなのでしょう。
最後のバッターを三振に打ち取りゲームセット。矢野捕手はいつものように顔をクシャクシャにして下柳投手に駆け寄り、そしてがっちり抱き合いました。その光景を見て、私は胸が熱くなりました。
そして9月30日、今シーズンの甲子園最終戦。矢野選手がこの試合に出場する機会は残念ながらありませんでしたが、試合が終了しても、超満員の甲子園のファンからは矢野コールが鳴り止みませんでした。そんなファンに向かって、矢野選手は引退セレモニーで「いつか甲子園でまた会いましょう」という言葉で別れを告げました。

引退セレモニー後に、矢野選手に「今、何がしたいですか?」とうかがうと、涙ながらに、声をつまらせて「甲子園でヘッドスライディングがしたい!」と語ってくれました。
“必死のパッチ”で、いつまでも優しさと厳しさを忘れない矢野選手。矢野選手が、いつかまた阪神のユニホームを着て甲子園に戻ってくるのを本当に楽しみに待っています。そして、その日はそんなに遠くないと私は思っています。
プロフィール
堀友理子(ほり・ゆりこ)
1984年5月6日生まれ。静岡県出身。朝日放送アナウンサー。2007年入社。現在の担当番組は『虎バン』(月1回土曜・深夜1時~)、『クイズ!紳助くん』(月曜・午後11時17分~)、『NEWSゆう+』(月~金曜・午後4時50分~、出演は火・木・金曜)など。

これからは、このスペースをお借りして、大阪を拠点とするスポーツチームのアスリートたちの魅力を伝えていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。
さて、大阪を代表するチームと言えば、なんといっても阪神タイガースです。今年のクライマックス・シリーズでは巨人相手に惜しくも敗れてしまい、短期決戦の難しさというのを改めて感じました。
そんな2010年、阪神タイガースでひとりの選手がユニホームを脱ぎました。矢野燿大選手です。

1990年のドラフトで中日ドラゴンズから2位指名を受け入団し、1997年にトレードで阪神タイガースに移籍。2003年、2005年のリーグ優勝に貢献し、2008年には北京五輪の日本代表にも選ばれた球界を代表するキャッチャーです。
私は、そんな矢野選手が試合に勝利し、ピッチャーに駆け寄る時に見せる、顔をクシャクシャにした表情が大好きです。優しそうで、無邪気で、そして本当に喜んでいる顔……。
矢野選手とは2年前、ラジオ番組でご一緒させていただいたことがあります。甲子園球場で矢野選手が打席に立つ際に流すテーマ曲を、リスナーさんから募集するという企画で、何度も何度も歌のタイトルを噛んでしまう私を怒ることなく、「わざとやろ?」と笑いながら優しくフォローしてくださいました。
また、先日、朝日放送にお越しになった時も、テレビのついたフロアで仕事の準備をしている私に「こら、テレビ見ながら仕事をしているのか!」と、茶目っ気たっぷりに声をかけてくださったのです。
矢野選手といえば〝必死のパッチ(関西弁で一生懸命という意味)〟が代名詞。ご本人は「自分はコツコツ真面目にやることしかできない」とおっしゃいますが、〝コツコツ真面目に〟頑張ってきたからこそ、20年に及ぶ現役生活を送れたのだと思います。
しかし、2010年はケガで思うように肘が動きませんでした。今年はレギュラーからも外れ、それでも「何らかの形でチームにプラスになれるように」と控えキャッチャーとして若いピッチャーのボールを受け続けていたのです。そして、「オレに投げさせられるのではなく、ピッチャーが自分の気持ちを込めて投げてほしい」とよくおっしゃっていました。

9月25日、阪神鳴尾浜球場で行われた今シーズンのファーム最終戦。矢野選手は8回に代打で登場し、レフト前ヒットを放ちました。そして9回には、なんと2軍で調整中の下柳剛投手と1年ぶりにバッテリーを……。
この回に投げた全18球、下柳投手は矢野捕手のサインに一度も首をふることはありませんでした。また、うなずくことさえありませんでした。
これは、おふたりの間にはサインが出たら自分の気持ちを込めて投げるという暗黙の了解があったからなのでしょう。
最後のバッターを三振に打ち取りゲームセット。矢野捕手はいつものように顔をクシャクシャにして下柳投手に駆け寄り、そしてがっちり抱き合いました。その光景を見て、私は胸が熱くなりました。
そして9月30日、今シーズンの甲子園最終戦。矢野選手がこの試合に出場する機会は残念ながらありませんでしたが、試合が終了しても、超満員の甲子園のファンからは矢野コールが鳴り止みませんでした。そんなファンに向かって、矢野選手は引退セレモニーで「いつか甲子園でまた会いましょう」という言葉で別れを告げました。

引退セレモニー後に、矢野選手に「今、何がしたいですか?」とうかがうと、涙ながらに、声をつまらせて「甲子園でヘッドスライディングがしたい!」と語ってくれました。
“必死のパッチ”で、いつまでも優しさと厳しさを忘れない矢野選手。矢野選手が、いつかまた阪神のユニホームを着て甲子園に戻ってくるのを本当に楽しみに待っています。そして、その日はそんなに遠くないと私は思っています。
プロフィール
堀友理子(ほり・ゆりこ)
1984年5月6日生まれ。静岡県出身。朝日放送アナウンサー。2007年入社。現在の担当番組は『虎バン』(月1回土曜・深夜1時~)、『クイズ!紳助くん』(月曜・午後11時17分~)、『NEWSゆう+』(月~金曜・午後4時50分~、出演は火・木・金曜)など。
