別府八湯検定:③産業に関する問題 | 人生修行色々がんばろ~♪

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『温泉道』(おんせんどう)とは:
温泉を通じて人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを極めることである。
別府八湯:別府・浜脇・観海寺・堀田・明礬・鉄輪・柴石・亀川

別府八湯検定:③産業に関する問題


Ⅰ試験項目

①-分類

1)試験問題(五択選択問題です)答え以外の4つは表示していません。

2)A:答えです。グレー表示

3)類似な言葉(名称)をあげています。

 同様な問題が出そうです。調べてみてください。



Ⅲ産業

①-街道
現在の西法寺通りは江戸時代の何街道か?
A:小倉 


[昔の陸上交通]

海辺沿いルート:別府-石垣-亀川-小坂-小浦-日出-宇佐

鹿鳴越峠ルート:別府-石垣-亀川-小坂-小浦-鹿鳴越峠-宇佐

明礬ルート:別府-明礬-湯山-十文字原-安心院

堀田ルート:別府-堀田-鳥居峠-由布院-日田-大宰府

銭瓶峠ルート:別府-浜脇-府内(大分)

六枚屏風ルート:別府-朝見川断層崖-府内


②-会社
1873年(明治6)、初めて別府港に着港した木造蒸気船・益丸の会社名は何か?
A:大阪開商社 


別大電車:1900年(明治33)開業、1972年(昭和47年)に廃線

別府ラクテンチ開場:1950年(昭和25)

近鉄ロープウエー開通:1962年(昭和37)



③-事業
1873年、日名子太郎が初めて開いた事業は何か?
A:船問屋 




④-地獄
海地獄が地獄を最初に有料で公開した時期はいつか?
A:明治末期 


亀の井バス「地獄廻り」遊覧運行:1928年(昭和3)

⑤-産業/鉱山
かって金山があったとされる場所はどこか?
A:ラクテンチ 




⑥-町名/通り
大正時代に拡幅が行われ、かっては別府のメインストリートとして、
商店やダンスホース、有名旅館などがたち並び、不夜城として賑わった通りはどこか?
A:流川通り 


[商店街]

楠銀天街

ソルパセオ銀座

弥生銀天街

中浜筋商店街



[通り]

駅前通り

流川通り

秋葉通り

永石通り

富士見通り

青山通り

市役所通り

亀川旧道

港中央通り

つるりん通り

中部中学通り

別府大学通り


⑦-イベント/博覧会
1957年(昭和32)に開催された博覧会の名称は何か?
A:別府国際温泉観光大博覧会 


第一回別府毎日マラソン大会:1952年(昭和27)
別府八湯温泉泊覧会(オンパク):2001年


⑧-地場産業
別府の地場産業でないものは何か?
A:七宝焼き(←地場産業ではない) 


ツゲ細工

竹細工

ザボン漬け

別府絞り

温室栽培

湯の花製造

化粧品


{昔の産業}

明礬製造

七嶋藺(しちとうい)

生姜



⑨-自然/百選
内成は、何の「日本の百選」に選定されているか?
A:棚田 




⑩-温泉産業/温泉掘削技術
明治中期に別府で導入された温泉掘削技術を何と言うか?
A:上総掘り 



●温泉熱利用


地熱発電

地獄蒸し

温泉熱利用促成栽培(温室栽培)


《参考資料抜粋》

●竹瓦小路アーケード
流川通り(大分県道52号別府庄内線)と竹瓦温泉とを結ぶ長さ約70m、幅約3mの全蓋式木造ガラス張りのアーケードであり、「別府温泉関連遺産」として、2009年(平成21年)2月6日に近代化産業遺産に認定された。通りの両側には2階建ての棟割長屋が並び、かつては竹瓦温泉の入湯客向けの土産物店や飲食店、地元住民向けの商店が軒を連ね、にぎわっていた。

大正時代に、初代別府市長神澤又市郎所有の土地を、愛媛県出身の元豫州銀行頭取佐々木長治が買い上げ、1921年(大正10年)12月1日に完成した。楠港(旧別府港)に着いた観光客が、雨に濡れずに竹瓦温泉に行けるようにすることが目的であったとされる。

老朽化が進んでいたが、近年は、2004年(平成16年)6月9日の竹瓦温泉の登録有形文化財としての登録などをきっかけに、保存・再生のための運動が進められている。


●別府八湯温泉泊覧会
別府八湯温泉泊覧会(べっぷはっとうおんせんはくらんかい、略称:オンパク、ハットウ・オンパク)は、大分県別府市にある別府温泉(別府八湯)で開催されるイベント。NPO法人ハットウ・オンパクが主催している。
2001年3月に、別府まつり協会(別府商工会議所、別府市観光課、社団法人別府市観光協会)の主催によって行われている、別府温泉まつり(現在の別府八湯温泉まつり)を、2001年開催されたインパク連動の現実イベントとする際、オンパク - 別府八湯温泉泊覧会と銘打って、観光客が参加し体験する体験型のイベントが開催されたのがきっかけで、同年秋に独立したイベントとして開催されるようになった。
別府八湯の名の通り、別府市内にはそれぞれに個性や魅力を持った多数の温泉が散在している。オンパクは、これらの別府市内各所の温泉や場所、人が連携して回遊性を高め、体験型イベントによってその魅力を深く楽しんでもらうことにより、長期滞在者やリピーターを増加させ、別府温泉観光の活性化を図ることを目的としている。このため、名称も「博覧会」ではなく「泊覧会」とされている。
毎年、春と秋の2回開催されており、期間中には、温泉はもちろんのこと、「健康」、「癒し」、「歩く」、「食」等の多様な面から別府八湯を楽しむために100を超える体験型プログラムが開催される。また、年2回の期間以外にもさまざまなプログラムが開催されているほか、大分県各地へのバスツアーがプログラムに取り入れられるなど、時期的にも、地域的にも広がりを見せている。


●別大線(べつだいせん)は、かつて大分県大分市の大分駅前から別府市の亀川駅前までを、国道10号(別大国道)に沿って結んでいた大分交通の軌道線。通称別大電車。1900年(明治33年)九州初の路面電車として開業し、末期まで黒字であったが、バス・乗用車の発達に伴い別大国道の混雑が問題視されるようになり、大分県警の要請を受けて1972年(昭和47年)に廃線となった。


●別大国道(べつだいこくどう) は、国道10号の大分県別府市東別府と大分県大分市生石の間の約7kmの区間の別名である。大分市と別府市を結ぶ一般道の幹線道路は他には一切ないため、九州で最も交通量の多い区間のひとつである。
別大国道は1932年(昭和7年)から継続的に整備されている。1972年(昭和47年)には、交通量の増大にともない、当時別大国道を走っていた路面電車の大分交通別大線が廃止されて4車線化が進み、1978年(昭和53年)に4車線への暫定拡幅が完成した。しかし、高崎山が海に迫り、日豊本線が並走している関係上、これ以上の拡幅は困難であり、夕方の混雑時には大分市中心部 - 別府市中心部の所要時間が1時間以上かかることも普通であった。
1993年(平成5年)、渋滞緩和と交通安全確保などを図るために、4車線だった別大国道の6車線化工事を開始。
全線の6車線化は2012年(平成24年)2月1日に完了した。


●温泉の配湯事業

泉源数の確保
湧出量確保
湧出温泉の確保
湧出熱量
湧出泉の深度
湧出泉の泉質
泉源の位置
配湯管埋設経路
泉源の標高位置
配湯経路距離
温泉造成用取水位置
温泉造成設備
維持管理費

●昔の特産品

地獄蒸しカルカン:山芋・うる粉・砂糖を材料
地獄蒸し椿餅:葛粉・餅粉・砂糖・醤油を材料


●加藤十次郎の「豊後温泉案内記」のお土産

竹細工・青筵・生姜・湯の花石鹸・別府水などなど


●昭和の主要工産物
畳表・花筵
竹製品
菓子類

以上