大変タイムラグありますが。。

しかも、なかなか、中途半端に長いよ感想!笑


5月2日 大手町よみうりホール にて。

 

 
念願の「私の頭の中の消しゴム」朗読劇を観てくることができました。
 
もう今回で10回目だとか。
こんなに続いているものを一度も観たことないなんて。
 
もともとは、日頃仲良くしていただいている廣瀬智紀ファンのかたから、「もう智紀くんの浩介は、それはそれは凄かったんだよ!涙でぐちゃぐちゃになっても構わずの、迫真の演技で!」という話を聞いていたので。
 
 
今年は何が何でも観に行くことにしました。
 
映画は観ていて、大好きでした。
順番的には、2001年の日テレでのドラマ、薫と浩介のPure Soulは、ほぼぼ観てない。。
なんでだろう?と思ったら子育てで忙しかったみたいね爆笑
ドラマどころじゃなかったんだろうな。
子どもがヒトケタ歳だから、全力で育児してたに違いない!
 
で、2005年に(映画は2004年制作)韓国映画として封切られたのを、確か夫婦で観た。
号泣して、ドラマも見れば良かったと後悔したっけ。。
韓国映画だから、主人公らの名前もスジンとチョルス。
日本では薫と浩介なんだけどね?
 
今となっては感動したことしかほぼ残ってなかったので、朗読劇は、まるで新鮮でした。
 
 
個人的な、素人の感想になります。
ほんとにとんちんかんかもな感想です。悪しからず。
 
学生時代に朗読劇を観た時のイメージしか持っていなかったので、開演したら演者さんが最初から2人、椅子に座っているものだと思ってました。
 
 
舞台には白い椅子が2つ置いてあります。
 
いきなり舞台後方中央のドアから、男性が飛び込んできたの。
 
あ!
あ!
だったの。ほんとうに。
飛び込んで来たのは浩介。
その、鈴木拡樹さんの表情、目つきに一瞬で心を掴まれました。
 
まだ状況もわからないまま、浩介であろうこの人が、何をしてるかもわからないんですよ。
でも、何かを求めてる。探してる。
そして、上手のテーブルから日記を手に取り、朗読劇が始まるのです。
 
 
入ってきた瞬間は、客席後方の空間を見るようにして、本当に厳しい、険しい顔で。
部屋の左右を見渡して。。
鋭い視線と、哀しみをどこか匂わせる表情をしている拡樹さんの浩介。
 
 
私は、ごく限られたキャラクターの拡樹さんしか知らないので(天魔王と三日月だし)、
心底びっくりしてしまいました。
何というか、、拡樹さん、人間だった。おねがい
 
今を生きる人として、見慣れてないからそう感じたのね。
私の場合ね?
 
 
私は、現代劇に免疫がないのかもしれない。。
ふと、自分でそう思いましたね。
クラシカルなものばかり好んでいたのかも。
あるいは、TVドラマなどで見慣れているなら、違ったのかもしれないけど。
TVドラマって、たいてい現代ものでしょ。
生活感溢れてるでしょ?
たまには見ないとだめかなあ。笑
 
 
さて、話を戻さなければ。
 
 
そうやって始まった朗読劇。
薫と浩介の出会いから描写されていくんだけど、
いえ、描写していくのは観客でもあるのかも、朗読劇って。
 
演者が表現するわけだけど、言葉や表情・ちょっとした動作から、登場人物だけでなく、周囲にあるもの、空間、その空気、世界を自由に思い描いて行く。
演者がベースと背景にヒントを与え導入してくれて、観客が自分の創造力をもって完成させていくように感じたの。
 
お嬢さまで天真爛漫な薫。
日記にはすらすら気持ちを書けるのに、無骨な浩介。
 
両想いになるまでの二人のやりとり、双方の日記が時系列で読まれていくんだけど、
それがもう途中からキュンキュンくる。おねがい
 

これは誰もがひとつやふたつ似たようなエピソードを胸にしまっているのでは?
と思っちゃいましたね。
 
特に、浩介が酔い潰れた薫を背負って歩いてる場面。
 
「降ろしてください、歩けます!」/(彼の背中はとても逞しかった)
「うるせえなあ・・黙ってろ」/(彼女は細くて柔らかかった)
 
「このご恩は一生忘れませんから」/(汗の・・匂いがした・・)
「いいから黙ってろ」/(長い髪が、俺の頬に触れた)
 

何て秀逸な!ラブ
心が動いていく様、ふとした惹かれる瞬間。。ですよね?
 

これが細部まで提供される舞台や映像であったなら、それはそれで素敵でしょうが。
朗読劇に至っては、服も風景も登場人物の距離も、ある意味自分の引き出しなんですね。
薫を背負った浩介の頬に薫の長い髪がかかって、浩介が動揺するシーンが、もう本当に見えてきて。
もちろん演者の鈴木拡樹さんや増田有華さんが実際に動いて演技しているわけではないのです。お二人は座っておられます。
 

もうひとつ、序盤で胸キュンした場面です。
惹かれながらもなかなか出会えない薫と浩介。
クリスマスに、地下鉄入口の先にある屋台のおでんやで、2人が再会する場面。
 
初めてふたりで飲んだ屋台で、浩介がひとり飲んでいて。
薫が「ひとり?」「隣空いてる?」と話しかけて座るのですが、何を言われても
「見りゃわかるだろ」と答えるのね、浩介が。
でも、「私が来るかもって思って、待ってたんでしょ」と冗談半分で言われても、
「見りゃわかるだろ!」って言っちゃうの。爆  笑
 

そのきゃーーっな場面がね?
地下鉄入口、交差点、道路、ビル、埃っぽい街・・・、赤ちょうちんの屋台・・
すっかり見えるわけです。
過去の記憶を総動員して、想像力が働いてます!
 
それを見させる演者の2人の上手さね!おねがい
素晴らしい表現力に他ならないです。
もちろん脚本・演出を手掛けられた岡本貴也さんも素晴らしいのですが!
 
 
序盤からがっつり引き込まれ、
両想いになった2人の日常が展開されるの。
 
でも徐々に、浩介の心の闇が見えてくる。
結婚に理想を持たない、夢も持たない浩介。
薫にもわずかな症状が、頭痛としてあらわれてくる。
 
すれ違う二人の心。
1年経ったクリスマスの日に、また屋台で事が起こるの。
頭痛で薫が倒れてしまうんだけど、それまで薫と少し距離を置いていた浩介が駆け寄って
助け起こす。。
 
それがリアルでね?
浩介が叫ぶんだけど、それ聞いただけでこちらは涙が沸いてきましたね。。
 
人間、その対象を失くすかどうかと思った時に、本当にその大切さがわかりますよね。
全力で駆け寄って、薫を抱きあげ、人目もはばからず叫ぶ浩介に泣きました。
(もちろん拡樹さんは座っています)
 
ちょっと序盤だけで、こんな具合ですもの。
 
これから、二人は結婚して、すこしだけ穏やかに生活して。
まだまだ1/3なんですよ、これで。
 
 
 
(休憩ポイント)
 
 
 
 
ああ、教会のベルの音と、二人の輝く指輪恋の矢
そのシーンは、二人とも舞台後方中央に立って、
浩介はジャケットを着て、指輪の交換をするんですが、
ライトが当たって指輪がキラキラ輝いてて。
本当に幸せを表していましたね。
朗読劇でもこのような程度には場面を見せてくれます。
素敵でしたよお。。
 
解説するつもりはなかったんですが、
だって感動ポイントが最初からいっぱいあるんだもの。
 


ああ。
中盤はね、薫の症状が目立って出だすんだけど、
もうひとつのシチュエーションにドーーンと来ちゃうんですよ。。。

浩介のバックグラウンドが明らかになるの。
彼の恋愛観、結婚観、人生観がどうしてそうだったのか、
浩介の過去が明らかになるからです。
 
結婚したのが4月、症状はもの忘れだったり、頭痛だったり、めまいや失神!
ここまできても病気はまだ発見されないのが苦しい。
翌年、1年経ってもまだだ。
このころに浩介の母親のことが露見。
 
まだ詳細を知る由もない薫に、(真っ当に優しく、思いやりのある薫に)
正義感の強い薫に詰め寄られ、ついに浩介が激白。。。。
 
その内容がもう号泣しかない。
本から抜粋します。
 

「10歳だった。それまで1度も祭なんか連れてってくれなかったお袋が、
急に俺を七夕祭りに連れだした。・・・俺は楽しくて。楽しくて。はしゃぎまくった!
そおっと怒られないように、綿菓子が食べたい、って言ったら、すぐに買ってくれた。
金魚すくいも何度も何度もやらせてくれた!
そんなこと、一度もなかったから、俺は夢中になって、
必死でお袋のために金魚を一匹、取った。振り返ったら!
・・・・お袋はいなかった。俺はどうしても自慢したくて、ずっと、その場で待っていた。
祭りが終わるまで・・・終わっても、ずっと、ずっと・・・。
アイツは、男と消えたんだ。俺より男を選んだんだ。
あの時の俺の気持ちが、お前に分かるか!なんで七夕祭りだったんだ。
普通の日に、普通に捨ててくれれば、毎年、毎年、思い出すこともなかったんだ。」
 

涙腺崩壊・・・・・。
もう少しで呼吸困難になるとこだ・・・。
自分が母親だから、こんなことあり得ない・・って想像すらできないんだけど、
それでも、こんな仕打ちを10歳のまだまだ母親恋しい時期の男の子が受けたら・・と思うと
辛すぎて。
哀しみも怒りも沸いてくるから、かなり浩介寄りになる。
 
だから、薫の優しさや正義感に疑問すら持ちたくなる。。
 
 
ここはね。
鈴木拡樹さん・・・、もう凄すぎた。
もう痛いくらい七夕祭りの風景が見えた。
綿あめも金魚すくいも、子どもからひそかに離れていく女の姿まで見えたよ。
 
 
浩介の母親は落ちぶれて生きていて・・
結局ふたりは、家を買うはずだった貯金を解約して、浩介の母親の借金返済に充てる。
薫が提案し、浩介も受け入れたからだ。
 
『愛/許し』・・・・
今年観るもの、観るもの、このキーワード多いなあ。。
 
髑髏城も無関係じゃないよね、このテーマ。
映画「リメンバー・ミー」もそうだったよね。
邦画もそういう系に多くあたった。
そういう年なのかな?
 
浩介、薫、この翌年12月に初めて薫の病気に診断がつく。
 
若年性アルツハイマー。
 
浩介がその事を知るのは、なんとずっと先なの。
翌年5月に薫が内服している薬を発見して、はじめて理解する。
 
(飲んでる薬って、きっとアリセプトだね。。)
 
ここからが、もう、どれくらいに一回泣いたか分かりません。
 
症状が増強していく薫。
増田さん、上手い・・・。
アルツハイマーは本当に内側から壊れていく病気。。
最初は外見ではわからないから。
 
でも、喜怒哀楽が激しくなるし、記銘力・記憶障害、妄想、過集中、逆に注意力散漫、
萎縮していく脳の部位が統率するはずの神経症状がまだらに出て、
人としても周囲から呆れられ、理解されなくなる。
 
診断がついたとして、どれだけの家族、身内、友人、知人・・・、愛情を持って接してあげられるのだろうか?
愛情なのか、忍耐なのか?
 
ちょっと感想から軽く逸脱しますけど。
若年性であろうとなかろうと、アルツハイマーのように認知障害を起こし、
進行していく病の恐ろしいところは、苦痛が本人だけではないことなんですよ。
 
人間らしさを失っていくということは、それだけ介護する側の負担が、心身ともに大きいということ・・・・。
 
壊れていく薫の台詞も、献身的な介護をする浩介の台詞も、
なにもかもが、私に情景をはっきり浮かび上がらせました。
 
叫ぶ浩介も、叫ぶ薫も、
静かに耐える浩介も、何度も耐えられなくなる浩介も、
浩介のために、わずかな自分を保っていられるうちに離れようとする薫も、、、、
 
心が張り裂けそうでした。
お二人とも渾身の演技でした。
 
この朗読劇を観劇して、リアルに辛かったのですが、脚本・演出、音楽、演者、
すべて素晴らしかったので、本当に観て良かったと思いました。
 
でもやっぱり、続けて観るのは無理かも。
 
あの薫が浩介を「和也さん」と違う名前で呼ぶところ。
最初は怒り悲嘆し、否定する浩介が「行ってきます」と容認するところ・・。
嗚咽しちゃいそうになった。。
 
許すってなんだろうね?
 
ラストは泣きすぎて頭痛・・・・・。
スケッチブック、何枚も何枚も描かれた浩介の顔。
見えたよ!
海風にめくれていくスケッチブックの絵が!
 

最後に浩介は、薫への愛を誓って客席のほうを堂々と見るのですが、
もう、鈴木拡樹さんの顔が、涙だらけでえーん
それ見てまた号泣だから。
 
 
観劇後、目は腫れてるし、頭痛はすごいし、鼻詰まってるし・・・・・。
 
これ、演者が好きだからと言って二日間観れるものだろうか。
何回も観れるものだろうか。
 
でも、きっと「私の頭の中の消しゴム」が来年も上演されたら、きっと通うのかも。
 
 
 
さっ!!照れ
 
書かなきゃ、書かなきゃ、と思っていた感想。
申し訳ないほど幼稚に書いちゃったけどお許しください。
 
この名作を、演劇・映像でやる良さもあると思います。
それも観て見たい。
でも、この全身ぐったりするほど、持ち合わせる限りの想像力を使って、
演者の表現を心に刻む朗読劇も大好きになりました。
 
鈴木拡樹さん、増田有華さん、ありがとうございました。
 
 
 
そして、やっぱり廣瀬智紀くんの浩介を観たいと思うのでした。
ちゃんちゃん。てへぺろ
 
 
 

浩介の台本より
(演者の方の薫への言葉が書かれています)