野菜炒めを作りながら、、ふと、、。
生まれてこの方、目に見えないものを信じるより、生身の人間を信じたほうがいいと思って生きてきた。数多の宗教はあれど、何処にも真の救いは無く、たまたまの偶然を、信心がある無いに、とすりかえるというか、言い出しっぺの一個人、いわゆる教祖さまを崇拝するだけで、
信者を救い、世の救済を教化とするならば、とっくの昔に世の不平等とか犯罪とか戦争は無いはずで、そういう諸々は根絶できるはずもない。
出来るはずもない事に使命感を燃やすのは、悪い事ではないだろうけど、絶対に無理というもの。
強い心があれば、藁など縋らなくても生きていけるものだ。
人は誰でも弱いところはあり、それでも明日を信じて生きる強さはあるはず。
たとえズブズブでも。
それに耐えきれず、自ら命を絶ってしまう人が年々増加しているらしいけれども、生きたくても生きられない人もいる。
世は無常で、生きる全ての人に平等に時間が与えられている。
それを考えれば、生きている時間は金銭よりも貴重。
人間だけではなく、動物、植物、微生物に至るまで、生きとし生けるもの全てにドラマがあり、生きざまがある。
それを全うして、だれ誰もが迎えるピリオドに向けて、前を向いて生きて行けば、どんな苦しみ悲しみも耐えて耐えて、耐え忍んで生きて行けば光明が射すはずです。
孤独なようで、人はたいがい誰かに支えられて生きているもので、それに気づかないだけ。
もう駄目だと決めつける前に、自分が居なくなったら誰が悲しむだろうと見渡すと、、、。
自分、甘えてるだけだったと。
善くも悪くも自分次第の心構えひとつ。
心をニュートラルにして平常心を保てれば、いちいち他人に腹を立てることもなく、悪意に満ちた変な噂に波長を合わせることもない。
人は人、自分は自分、で良いんじゃないかなあ。
そう思いマス(^.^)
野菜炒めを作りながらふと、、、
