早朝から
(4時半)
ブログを書いております。
意味不明のブログにお付き合い
いただきまして
誠にありがとうございます。
まだ、主人が気切もしていなかった頃
(気管切開は2019年)
まだまだ早いと思いましたが
主人に今後どうしたいか
決めてもらった方がいいと
そう思ったこともありました。
でも主人は
理解力が、あまりない人で
やんわり
言っても伝わらず
医師からはっきり言われても
聴いてない
こんな感じでした。
2019年に
もう喉が動いていないと
当時いびきは尋常ではなく
二階で私が昼寝しようとしても
木造の我が家
うっすら聞こえ尚且つ
HSPの私ですから
寝られないほどでした。
(普段は主人の横で
寝ており
トイレに起きて
動いている息遣いが聞こえる
程度の耳栓をして
休んでおりました)
もう気管切開をしましょうと
言われました。
主人に延命治療と
医師からの説明も
赤子のような主人には
「延命処置」の日本語が
難しかったので伝わらなかった
のです。
続けて胃瘻増設も行われました。
もう我々に選ぶ権利は
ありませんでした。
やるかやらないかではなく
「手術をします」でした。
退院してきた主人は
気切カニューレと胃瘻の
チューブが取れれば治るんだ
と思い込んでおり
「治らないかも」と伝えても
「何でだ!!」と怒る始末でした。
主人も寝ていて
無意識の状態で
気切の人工鼻を外すこと
幾度かありました。
人口鼻
指でつかんで外した形跡です。
そりゃさぞかしつけているのは
えんずこい(主人の自宅特有の言葉)
正しくは
いずい状態
(心地悪い?)
だったのでしょう。
手にレッグウォーマーをつけて
寝かせたり
首にバンダナを巻いたり
私も抜去を防いだのですが
挙句の果て
胃瘻のpegを
事故抜去
(主人の場合自己抜去?)
本人は外したことは
記憶にないと言っていました。
それから
何度もつけたものの
胃液が流れ出て
胃瘻部周囲が
潰瘍になりました。
(肌が因幡の白兎状態)
キレイにガーゼを付け替えても
何をしても
胃液は止まりませんでした。
そして胃瘻ではなく
腸瘻になりました、
胃から出る
胃液は
これでせき止めたりしましたが
脇漏れもあり
とても対応出来ずにおりました。
胃液は肌を溶かす強さです。
私は
外科の先生に
「胃瘻の穴を閉じてほしい」と(;´Д`)
頼みましたが
荒れた状態の肌を
手術で閉じることは
出来ないと
断られました。
挙句の果て
胃液の漏れをウロバックに流し入れる方向になりました。
尿路にもウロバック
胃にもウロバック
悲しいったらありませんでした。(>_<)
まだまだ胃液は漏れ続け
治るどころか悪化を辿りました。
それなので
何度も何度も
荒れた胃瘻周辺の治療で
入退院を繰り返したわけです。
今回は
胃液が出すぎて
高カリウム
低ナトリウムになり
主人の心臓に負担がかかり
危険な状態になっての
入院でした。
熱が下がらず
SPO2の数値が
下がってしまいました。
胃瘻周囲の肌もようやく安定し
前例の少ない
事故抜去の胃瘻の跡を閉じ
胃瘻を造り変える運びになりました。
何故前例があまりないかと言うと
事故抜去は
高齢者が多く
手術をするための
全身麻酔に
体が対応できない
事が多いそうです。
主人の場合はまだ60歳手前でしたし
全身麻酔に対応できる体であった
と検査結果でわかったそうでした。
1時間半で終わる予定の
手術でしたが
思ったより大変で
なかなか傷が閉じず
2時間半近くかかりました。
そして入院中に
菌に感染してしまった
そうでした。
(これは想定内だったようです)
なので
こんなに入退院を繰り返しておりました。
主人の状態は
素人が自宅で介護する
領域を超えておりました。
今度こそやっと
手術もうまくいき
安心して
帰宅しました。
私も本当に潰れそうだったので
気分転換のために
ユーミンの苗場ライブを
パソコンで観戦したり
介護仲間と巣鴨の染井温泉に
行ったり
(日帰り、自宅から地下鉄で一本)
ノイローゼになっていた妹から
逃げるように
(共倒れになるから担当看護師さんに
接触を控えるよう促されたのです)
大山でぶらぶらしたり
(主人の入院してる病院付近)
次男に会ったりして
過ごしておりました。
お陰様で妹も安定しました。
やっとやっと平穏な日常を
取り戻したわけです。
長くなりました( ^^) _旦~~
昨日は誕生日を祝い
歌をたんまり歌って聴かせました。( *´艸`)
今日は39(サンキューの日)
ブロ友の皆様
Special thanks!
頑張りましょう。