おやつ | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

おやつ

すんなりの幼稚園一日目の午後。

担任の先生からの電話があった。用件は 私の 「はんこ忘れ」。ざっぱーは そう変わりはしない。

 

ついでに娘の様子をきいてみた。

 

「みーちゃんは 元気に楽しくやってますよ~」と無難な言葉。

ほっと一安心・・・・。

 

が、
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

「ただ・・・」

 

「なっ なんですか??」

 

 

「おやつのおせんべい もっと食べたかったみたいで

 

 『おかわりする』といってきたんです。もうないことを伝えると・・・」

 

 

 

 

 


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

 

 

 

 

「『おうちかえる!!』 と急にぐずりだして・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わかります わかります。すみませ~ん・・・」

 

 

と受話器をおいた。


もっと食べたかったんだね・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして2日目の朝 園服を着るのを嫌がり かなり心配したが なんとかバスに乗り込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おとこのこたちが うるさいんだもん」といっていた娘。

 

どんな顔して帰ってくるのかな??

 

 

 

バタバタと用事を済まし、すぐにお迎え時間。

 

 

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

バスから降りてくるなり ただいまも言わず ごそごそやりだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なに?なに?なに??
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい おかあさんの・・・・」

 

 

手のひらには 破れた袋の中に 一枚のおせんべい。

 

 

 

 

 

 

 

昨日は「おかわり」をせがみ ぐずった娘が

 

 

 

 

 

 

私のために がまんして 残りの一枚を持って帰ってきてくれたのだ。

 

 

なんだか じーんとした。

 

 

うちで はんぶんこして食べたおせんべいは 格別だった。

 

「でもね こころが嬉しくておなかいっぱいだから みーたん明日から幼稚園で全部たべてきてね。

 

がまんしなくていいよ。」

そう伝えた。

 

 

3歳児は3歳児なりに いろいろなことを考えて生きてるんだなぁ~。

 

 

私の喜ぶ顔を思い浮かべながら 大好きなおせんべいをガマンした娘の優しさにぐっときた母でした。

 

 

 

ここ一週間強 あの人が登場してません・・・。いつか近いうちににひひ

 

 

 

今日も読んだよの ぽちぽち2つ よろしくね。

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おかげさまで 父親が退院できることになりました。

 

が、 これからが色々大変です。介護保険の面接や ケアセンターとの話し合い。

ようやく自由に・・・。の言葉はほど遠く 連日 病院やセンターのはしごですあせる

 

どんな形で一人暮らしの老父をサポートしていくか・・・。

 

少しでも安心して生活してもらうためのあらゆる選択。避けてとおれない大きな課題です。

今日も あちこちバタバタとしますので しばらく更新のみになりそう・・・。お許し下さい。

 

 

 

最後にひとつ 気になった記事

 

 

 

 

放射能いわれなき差別(12日 読売新聞朝刊 被災地から)

 避難先から2人の子供と福島県の自宅に戻った主婦(35)(福島県いわき市)

 

「自宅は原発から約45㌔ですが 原発事故のあと20日間、東京と神奈川の親戚宅に身を寄せていました。

 

4月になり小学校が午前中だけ再開され、新天地での学校生活に不安を感じたため、福島県の自宅に戻ってきました。

 何が不安かというと、福島県から来たというだけで子供達が差別を受けるのではないかということです。福島県民は放射能に汚染されたと思われているのでしょうか。神奈川に避難した知人の子は『ふくしま君』とあだ名を付けられました。我が子もそうなったらと不安でした。

 子供達は現在、帽子とマスクを着け、私の車で登下校しています。屋外の体育はなく、遠足もありません。外で遊ぶ子供を見かけなくなりました。サッカーを習っていた長男は家でテレビゲームをする時間が多くなりました。

 存分に外で遊んでほしいと思い、県外への転校も考えますが、差別のことを思うと躊躇してしまします。いわれなき差別が起こらないようにと願っています。」

 

 千葉に住む私達の街も 原発の爆発後 しばらくどの家庭も洗濯物を外にほさず 外で遊ぶ子供の姿もありませんでした。体育の授業も 保護者からの要請で 外は禁止になりました。

 

家庭菜園を楽しみにしている友達も「今年はやめとく・・・」とのこと。

何も変わらない風景なのに 何をするのにも放射能が気になり生活している関東の私達。

 

ましてや福島の方々を思うと 本当に胸が痛みます。

 

こども達の世界は純粋がゆえに残酷だから きっとこんな事態もおこるのではと気になっていたところの福島の方の投書。

 他県に避難された子供達の多くは 新しい環境であたたかく迎えられていると信じたい。けれど たった一人でも このような差別に苦しむ子がいたら・・・。それは断じて許されるべきことではありません。

 

福島の方々の犠牲のもと 私達の日々の暮らしがある。

福島の方々の痛み 苦しみを想像し こども達にしっかりとそれを伝える責任が大人にある。

 

差別をうみだすこどもの心は 大人にある。

そう強く感じさせられた記事でした。