七夕の願い
断っておきますが、今日は 笑えません。
でも、私が昨日 素直に感じたことをどうしてもかきとめておきたい。
よかったら、おつきあいください。
以前にも 少しふれたことがあったが、うちの息子はネフローゼ症候群という腎臓の病気もち。
1歳半の夏に発症し、副作用の強い薬を飲みながら 現在は普通に生活している。
7歳の今に至るまで、本当にいろいろなことがあった。
たくさん、たくさん涙を流してきた。どうして うちの子ばかり・・・。と たくさん泣いた。
そして正直なところ、今でも、毎朝の検尿にドキドキし、再発したらどうしよう。という不安を抱えて生きている。
けれど、もし息子が病気にならなければ出会わなかったであろう、たくさんの人達と出会うこともできた。
当たり前に健康に生きてきた自分には、とてもとても想像のできない病と闘う家族達。
過酷な状況の中でも、少しでも少しでも 光をみつけようと 踏ん張る人たちに 励まされ 勇気づけられてきた。
(上の2枚の絵は 息子が1歳半の2ヶ月間の入院生活中 描いたものです。)
昨日は 月1の外来。薬を飲み、症状が落ち着いている息子は学校。
私は 薬を処方してもらうために、毎月病院に顔を出す。
この時期 この病院で恒例の七夕飾り。
七夕の飾りは 学校や公共施設、デパート等、
街のあちこちで飾られている。
うちの息子も
「ぼく、『レゴの先生になれますように』ってお願いしておいた」
と、のどかに話してくれた。
だが、ここの七夕飾りほど、切実で胸をしめつけられるものを
私はみたことがない。
・○ちゃんが退院して、一緒にお散歩ができますように。
・退院して 妹と遊べますように。
・手術が無事 成功しますように。
・目がひらきますように。
・足のくだがとれて、げんきにはしりたい。
・病院に入院しているみんなが完治し、元気に退院できますように。
・呼吸器がとれますように
・一日も早く、家族がそろって うちに帰れますように・・・
ざっとみただけでもこう。こんな飾りが 病院のロビーにぎっしり。
私達がよくみかける願いごととは、世界が違う。みんな、みんな この病院の中で闘っている。
そんな中
私の目に飛び込んできた 短冊。
「すいぶんせいげんが なくなりますように」
K君。
まだ入院してたんだ・・・。
昨年9月。息子が再発を繰り返したため、検査入院、全身麻酔の検査手術をした時、同じ病室で過ごした 息子と同い年の少年。
昨年の夏休みに突然の入院。
次々に周りが入院しては退院、入院しては退院をしていく姿を見続け、先のみえない入院生活でかなり自暴自棄になっていた少年
「ママにきってもらうんだ!」と爪を切ることを かたくなに拒否。
片道2時間以上かけて見舞いにくる母親を毎日毎日待ち続けていた少年。
ずっと気になっていた。
院内学級の彼の作品をみたのが、去年の冬。
退院できたかな?
病院にくる度に、病棟をながめ思った。
主治医に確認さえしたくなる気持ちを何度もおさえた。
うちの息子が退院する前日。みんなが食堂で夕飯をとるのに、「彼は部屋で食べる」という。
彼と二人きりになった時、はじめていろんな話をした。
病気のこと、家族のこと、学校のこと、友達のこと。
病院ですっかり大人びてしまった彼が私に初めてみせた、普通の小学校1年生の顔だった。
彼は いつ退院できるか わからない。と言っていた。
でも彼は 普段みせない表情で 「ひみつだよ。」と私にある計画を教えてくれた。
「先生が病気を治して、ぼくが退院できたら、先生に 大きな金メダルを作ってプレゼントするんだぁ」
息子退院の日。
私は 彼に大きな金色の入ったおりがみを プレゼントした。
「もうすぐ退院できるかもよ。準備しておかなくちゃね!」
こうして彼とさよならした。
まだ ここにいたんだね・・・。
複雑な思いで 病院をあとにした。
よく人は生まれてくる前に、自分の人生のテーマを決めて この世に生を受ける。
一番自分にとって必要な人を 親として選び この世に生まれてくる。という。
私は、こども病院にくる度に 思う。
頑張っている子ども達、そして家族達をみて思う。
これが 本当にこの子達が選択した人生なのかと。
立ち向かい、乗り越えていくことに学びがあるという。
私には よくわからない。
けれど、 一日も早く 短冊のひとつひとつのお願いごとが かなってほしい。 そう心から思う。
部屋が汚いだとか、時間!時間!だとか、兄妹げんかするな!だとか ガミガミギャアギャアの自分にうんざりする毎日だけれど、
実は こうした当たり前の時間が 宝物。ということを いつも気づかせてくれる こども病院である。
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