男前で、知的で、でも妙に愛嬌もある、魅力的な男の子。
そんな高校生の彼だけれど、文字は小学2年生程度にしか書けない。
高校数学もわかり、難しい本の知識もある。
でも自分の住所すらメモを見ながらでないと書けない。
そんな書字障害の彼、きっと利き手に包帯でも巻いて暮らしたいだろう。

現在では少なくなっているor高齢化しているというべきなんだろうけれど、
様々な事情で未識字のまま(読み書きを習得しないまま)成人した人たちが、
役場などで、目が悪いふりをして、字の読み書きを避けたという話はよく聞いた。
それと、彼のことは、結局同じだ。

読み書き(の一方または両方)ができないのは本人のせいではなくて、
恥じなくてはいけないことではない。
でも、それを知られるのがこわい、という。
tottemoには、判らない部分もあること。

tottemoからすれば、できないことをわかってもらえないこと、
理解されないことのほうが、よっぽど、おそろしく、つらいこと、
っていう感覚だけれど。
まあその辺の感じ方は個人差。

あの子がいつか、平然と、『僕、字、書けないんで、書いてもらえますか』とか、
そう言うようになったら、先生、とっても嬉しいんだけどなぁ…。
まあ、でも、無茶なことは言わないけどさ…。



※注※
書字障害、読字障害、というと、まるで
全く書けない、全く読めないことばかりを想像しがちだけれど、
実際にはこの彼ほどにも極端に書けないという事例はまれで、
書ける、読める、けれど『通常より著しく速度が遅い』『誤りが多い』など
そういうものも読み書き障害に含まれる。
また、所見の文章と1回でも読んだ文章では
まるでパフォーマンスが違う場合もある。
『だって読めてるじゃないですか』というような、肯定的な理解が
実は本人を追い詰める結果になっている場合もあることを
忘れないでほしい。