資格とっ太郎のブログ -5ページ目

資格とっ太郎のブログ

宅建と行政書士を半年で合格したのがプチ自慢(笑)の資格とっ太郎です。
今はネットで起業してビジネスをやっているので、資格の勉強方法だけでなく
独立開業のためのビジネス情報なんかも記事にしていきます(`・ω・´)


最近、「続けるのが苦手です」「すぐに飽きちゃいます」という話をよく聞きます。


正直、その気持ちは僕もよくわかる。

資格の勉強だって、最初から楽しかったわけではないし、途中でやめたくなったことも何度もあるんですよ。


英語の勉強とかに至っては、20代までの頃は何度も失敗していて、やる気出しては三日坊主で諦めて、、、みたいなことが何度あったか。

で、僕の場合、英語の勉強ってめちゃめちゃ苦手。

 

何度も三日坊主になっているのは、辛いからなんですけど、ある時僕は思ったんです。

 

英語力って僕にとっては絶対に欲しいものではあるんですけど、「焦らんとこ」と。

 

焦って辛いこと頑張りすぎて、すぐに耐えられなくなってやめる、っていうくらいなら、

 

楽でもいいから、なんでもいいから、「続けられる」方法だけ考えてやり続けよう、と。

 

 

もう、どんだけ時間がかかってもいいから、とりあえず続けられる方法で続けて、続くまで続けよう、と。

 

そしたら、“めっちゃ伸びました”

(あの、TOEIC250点が最高得点だった頃が信じられないくらい。低すぎだろw)

もちろん、それなりに時間はかかったけど、でも自分がそういう方法でしか続けられないんなら、もうしょうがないだろと。

 

そういう自分の命運を引き受けて、でも続けられる方法でしかやれないんだから、そういう方法を選んでやった。

 

一般的なセオリーとか、成功者の方法とか、いろんなノウハウとか、もうそんなの一切関係なし。

 

いろいろ試して、無理だったんだからそこには固執しない。

 

自分が続くやり方じゃないと続かないんだから、どんなに楽でもいいし、無理して辞めるんだったら、簡単でも続けた方がいいに決まってる。

 

それが自分が絶対に欲しいスキルなんだったら、もうそうするしかないじゃん、という気持ちで。


思うんですよ。

何かで成功する人って、結局なんでも“続ける”んですよね。

「努力できる才能がある」わけではなく、ただやめないだけ。


僕はたまたま、いくつかの資格とか、いくつかのビジネスとか、

そういうものでたまたま辞めずに続けたものは成功しているし、

その裏で、続かずに終わったものもたくさんあるんだけれども、

続けたものだけが、成功に辿り着いているわけです。


例えば、資格試験の勉強をしている人を見ても、すんなり合格する人は少数派で、

大抵の人は、一度や二度の失敗を経験しています。

でも、成功する人はそこで諦めない。

「もう少しやってみよう」
「次はこうやればいけるかも」

そうやって、何度も挑戦しているうちに、気づけば合格ラインを超えている。


そんなもんじゃないかなと。


これって、資格だけの話ではなく、仕事でも、人間関係でも、スポーツでも同じで。


「向いてない」とか「才能がない」とか、そういうのは本質じゃなくて、
続けるかどうかが、成功を決める一番の要素なんじゃないかと。


もちろん、「続ければ絶対に成功する」わけではないけれども、
でも、「成功した人」はみんな続けている。

続けることでしか見えない景色がある。

だからこそ、今日もまたコツコツ積み重ねていこうと思います。


何かを続けようとしている皆さん、一緒に頑張りましょう。



 

どうも、資格とっ太郎です。

今日も過去メルマガのリライトになりますが、わりと最近、しかも極一部で配信した内容になりますが、

 

僕は昔、とにかく「成功したい」と思っていました。

それも「若くして成功したい」と。

それは、両親が僕が中学の頃に色々とお金関係でトラブったり、兄の金銭面だったり仕事上の失敗だったりを間近で見てきたからこそ、

「お金さえあればこんな苦痛はないのに」

というのを当時から痛いほど直接に感じるような原体験があった、というのが理由として大きいと思いますが、

とにかく若くして成功したい。

この時の僕にとっての成功のイメージというのは、とにかく「お金」だったのですが、早くお金が欲しいと。


僕の中学以降の人生っていうのは、なんかそんな感じで凄く生き急いでいたというか、切羽詰まったように目先の人参を追いかけるような、そんな人生を送っていたように思うわけです。

高校受験の際には、地元の進学校を目指せる成績だったし、担任の先生からも「ホントにいいの?」と念を押されたけれども、

「大学に進学するということは、就職して本格的にお金を得られるのが22歳以降だから、それだと遅すぎる。」

と、本気で思っていたので、進学校に行くという選択肢はなく、

工業高校なら高卒でも“成績さえよければ”それなりに大手の企業へ就職できるのだから、それを目指すのが“最短”じゃないかと、そんなことを思って工業高校へ進学したわけです。


だからもう中学生の段階で、それなりに大人になった後のことまでハッキリと考えていて、「とにかく早くお金を稼ぎたい」と。

今考えると、とにかく生き急いでいたように思います。


で、実際に高校時代には好成績をキープして学校紹介の求人を一番に選べる権利を手に入れて、その後は誰もが知る大企業に就職することができたわけで、

僕は正直この時、「これでやっと成功した」と思ったわけです。

こんな大企業に入れたんだから、きっとお金もたくさん得られるだろうと。


■だけど現実はそんなに甘くない


大企業とは言え、当たり前だけど高卒で入りたての若い奴に高給をあげるわけがない。

初任給で16万円くらい、手取りだと諸々引かれて二桁あるかどうか、くらいですからそりゃもう普通に低いわけですよ(苦笑)

なんなら、中小の工場に就職した同級生のほうが交代勤務手当がついて格段に給料が高かったくらいです。


その頃の会社の先輩たちの話しを聞く限りでは、

「30歳過ぎたあたりでやっとまともな給料になるかな~」

と。

当時生き急いでいた僕からすると当然ながら「あと12年も!?」という感想になるわけです。


ちょうどこの時、地元の工場から横浜の事業所へ転勤になって、周囲で働く人のほとんどが大学院卒の環境になったことで、僕はもう少し社会の現状を知ることができるようになるのですが、

どうやら30歳過ぎたあたりでまもとな給料というのは高卒に限った話で、

大学院を出ていれば、勤続3~5年くらいでかなり給料が上がるらしく、24歳くらいで入社し、27歳にもなればそれなりに良い給料になると。

あらゆる情報をかき集めて独自に計算したところによると、

大学院卒の27歳と高卒の35歳が概ね同等になるという試算が出たので、同じ会社の同じ職場で同じ仕事をしているにも関わらず、こんなに差が出るのか、と。


少し前のメルマガで書いた、ラーメン屋の隣の席で聞こえてきた、

「同じ仕事してるのにこんなに給料違うっておかしいだろ」

というサラリーマンの会話っていうのは、まさしく僕自身も強く思っていたし言っていたことでもあるわけです。

やっぱりサラリーマンが思う不満っていうのは共通なのだろうなと。


まあそれはさておき、生き急いでいた僕はこのとき「失敗したかな」ということをふと思うわけです。

大学に行っていた方が、実は成功が早かったのか、と。


とはいえ今更それを思ったところで引き返せるわけではないので、当時生き急いでいるわけですから(笑)、どうにか挽回の一手が必要だと。

この時僕が思ったのは、もう原理的に考えて社内で圧倒的に頑張るとか、転職するというか、そういう現状の延長線上で挽回できるものでもなく、

もっと根本的に何かを変えないと実現できないレベルにあるな、と。


■ある先輩の勧誘


そうこう考えているうちに、ある時、確か3.11の震災があってから間もない時期だったと思いますが、会社のある先輩から飲みに誘われてこんな話しをされたんです。


先輩:「実はさぁ、おれ来年の四月で会社辞めようと思ってるんだよね。」

僕:「えっ!なんでですか?」

先輩:「これ内緒なんだけど、実は副業でビジネスやってるんだよね」

僕:「へ~、そのビジネスで稼いでるんですか?」

先輩:「うん、先月はもう本業より稼いだよ」

僕:「えっ、マジですか!?凄いじゃないですか!」

先輩:「興味ある?」

僕:「興味はありますけど、、どんなことやってるんですか?」

先輩:「それは今は秘密なんだけど、興味があるなら西君も一緒にやらない?今度それに関係するセミナーあるからおいでよ。もちろん一緒にやるってなったら、オレは全力でサポートするよ。」


と、ざっくりですけれどもこんな会話があって、

なんとな~くなんですけど、この時点でお腹の辺りにもやもやとした感覚があったので、その場では「やっぱやめときます。」と丁重に断ったんです。

断ったんだけど、めちゃめちゃ気になったんですよね。

その先輩が言っていたことが。

だけど、その後あんまり話す機会もなく、しかも一回断ってるんで尚更聞けずに、どんなことやってるのかずーっと気になってたわけです。

で、この時ですね、断りはしたものの、諸々の話しの中で先輩が言っていたことは頭に残っていて、

「サラリーマンは時間を切り売りしているだけだから、絶対に限界があるんだよ」

とか、

「今会社で俺らの上にいる人達が俺らの将来の姿だけど、あんな感じの人生に憧れるか?」

とか、今でいう“意識高い系”のド真ん中みたいな話しですけど、当時はまだそんな言葉もない時、割と僕の中でこういう話しが頭に残ったんですよ。

二十歳そこそこの頃ですけれども。


で、今思うとそこが僕の人生のいくつかのターニングポイントの一つで、そこから少しだけ必死になったわけです。

「本業よりもビジネスで稼いでいる」

という先輩がやっていることがやっぱり気になって、いろいろとビジネスについて本格的に興味を持ち始めたのがその時期からで、

その過程の中で、中小企業診断士の勉強をしてみたり、ネットビジネスについての情報商材を買いあさってみたり、

ブログやメルマガを書いてみたり、情報商材を作ろうとしてみたり、高額なアフィリエイト塾に入ってみたり、

いろいろと紆余曲折合って、今に至るわけで(だいぶ端折りますけど・笑)

もし先輩がそのタイミングで僕を勧誘していなければ、僕が目覚めるのはもう少し後だったかもしれないわけです。


その後、その先輩がやっていたのは実はマルチビジネスの勧誘だったというのを知ったり、結局なんだかんだ大損失で痛い目にあったらしく完全に手を引いて、もちろん会社も辞めることなく今もずっと務めているし、

なんならその後、その先輩は社内結婚したんで

「それもう、会社に骨うずめる人やん」

みたいな。

社内結婚する人はその会社に骨うずめる人、っていうのは完全に僕の偏見なんですけれども(笑)

まあそんな感じで、意識高い系ド真ん中の話しで僕の人生にターニングポイントを与えておきながら、自分は元通り組織の歯車に戻っているという、

そういう面白い先輩の話しなんですけれども、実は僕がビジネスを始める直接のキッカケっていうのはそこにあったわけです。


元々は高校時代から「オレは将来、社長になる」なんて言ってたこともあるんですけど(なんせ生き急いでますからね・苦笑)、

とはいえまだ高校生ですから、世間知らずでとりあえず「お金=社長」みたいな単純な図式で思ってるだけで、具体的な案とか現実的な行動とかは全くなく、

本格的に行動に移すキッカケだったのは、上記の先輩とのやり取りだったなと。


で、その僕が本業の収入を超えて会社を辞めて、ビジネス一本で過ごす日々が始まったのが、ちょうど10年前の今です。

2014年12月12日。

僕は勝手に「退職記念日」と呼んでるんですが(誰からも祝われることはないけど・苦笑)

その当時が25歳。

本当の意味で僕が「成功したな」と実感したのが、ちょうどその時です。

金銭面では当時はまだまだ“会社員時代よりは全然稼げている”程度のものだったんですけど、何よりお金を手に入れる「構造」が大きく変わったというのが大きいわけです。

会社員時代のように労働時間の対価としてお金を稼いでいるという時間の切り売り構造ではなく、“ビジネスによって稼いでいる”わけですから、

同じくらいの金額を稼いでいたとしても、その天井(可能性)は全く違うわけです。

実際に現在はその“会社員時代より稼いでいる起業当時の更に数倍”の金額を“働く時間を増やすことなく”稼いでいるわけで、

これは、会社員のままだと「構造的に」不可能なわけです。

働ける時間の上限は物理的にも法律的にも体力的にも決まっているから、時間でお金が決まる以上、必ずすぐそこに限界がある。


■天井を決めているもの


さて、ここから先はちょっとしたお金の勉強になりますが、

これは別にサラリーマンという働き方に限った話ではなく、ビジネスをやっていたとしても実は同じで、やたら低い天井になってしまっているビジネスモデルというも実は沢山あるります。

例えば、「喫茶店を一人で1店舗経営する」というのはまぎれもないビジネスですけれども、こういう場合も構造上の“天井”というのが必ず出てきますよね。

お店の席数、営業時間、回転率、顧客単価、

どれも喫茶店という形態を取っている以上、ほとんど相場として決まってくるものですが、

どんなに頑張ったとしても、月の売上の天井は構造的に500万円は越えられなくて、いいとこ100万円程度に落ち着けば御の字くらいで、

間違っても、「私は年収1億円欲しいんです!」という人が始めるべきビジネスではないわけです。

それはこのビジネスの天井を考えると、構造的に不可能だから。
(だから飲食店で大きく稼ぐためには、普通は「多店舗展開」が大前提)


“大きく稼ごうとしたときに”

こういう「天井」の存在っていうのは必ず意識しておきたいことなんですが、実はこの問題の本質っていうのはもっと深いところにあって、

“そもそも何で天井が決まるのか?”

というところ。

例えば会社員の場合、時給換算で2000円の仕事だったとすると、その天井はだいたい月額で50万円くらい(時間外労働100時間で働いた場合)になりますけど、

そもそものこの「時給2000円」っていうのは誰が決めてるの?という話しです。

この時給が5000円なら同じ労働時間でも天井は130万円だし、1万円なら260万円、5万円なら1300万円、、、と、際限なく天井は高くなるわけですけど、

時給が2000円だから、天井が50万円なわけです。

誰かが決めた2000円だから、それで天井が決まると。


で、もちろんこの時給2000円というのを決めているのは「雇い主」で、基本的に雇われる側というのはこの金額に対して交渉の余地が無いわけです。

「いや、僕は時給2万円がいい!」

と言っても、当たり前ですが相手にされないわけですね。


いわば、労働の「価格決定権」を相手が握っている状態。

僕はこれこそが「天井」というものの本質だと思っています。


なぜなら、たとえ時間を切り売りするような構造の仕事だとしても、“自分で自由に価格を設定できれば”天井は際限なく上がっていくわけで、

実際に「1時間の相談料で10万円以上」みたいな料金設定をしているにも関わらず、依頼が殺到しているような経営コンサルタントも存在しているわけで、

この場合、時間をお金で売っているという「構造」はサラリーマンと同じわけですけど、

だけど、時給2000円のサラリーマンよりは天井が遥かに高いわけで、

それは、「1時間10万円」という価格を自分自身で決定できているからです。


構造的に天井が存在するビジネスモデルだとしても、価格決定権によって天井を押し上げることができれば大きく稼ぐことが可能な事例ですが、

いずれにしても僕らが十分なお金を稼ごうとした時にまず重要になるのが、この“天井への意識”です。


構造的に無限に高い天井を持っているか、あるいは構造的な天井はあるけれども価格決定権によってそれを引き上げるか。

大きく稼ぐとしたらここしかないわけです。

ここを満たさずして小手先で現状をどうにかしようとしても(天井が近いんだから)必ず行き詰まるので、

その意味で僕は、早い段階で会社員としての働き方に見切りをつけたわけです。


なんせ、とにかく生き急いでいましたからね(苦笑)



ということで、僕自身のお金にまつわる昔話から、ちょっとしたお金のお勉強でした。

 


 

さてさて、今回の内容も過去のメルマガのリライトにはなるのですが、割と過激なタイトルとなっております。

ブラック企業の体育会系の営業職に求められそうな、なんかそんな雰囲気を感じますが、

「知識不要!スピード命!」

実はこれ、いま僕が会社の顧問契約をしている税理士事務所の裏スローガンとして存在するとかしないとか(ネット上で見かけた噂ですが・笑)

まあそういう、単なる噂程度の話ですけれどもネット上でふと見かけて、謎に頭に残っている言葉です。

実際、担当の税理士さんとは普段LINEで連絡するのですが、こちらから連絡するとレスがめちゃめちゃ早いのは事実です。

あまりにも即レス率が高いので、この裏スローガンも事実なんじゃ、、、とか思ったり思わなかったりしているのですが(笑)

まあそれはさて置きですね。


このマインドって結構大事だよな、と思うのです。


ついこの前、NETFLIXで「ドラゴン桜」という、落ちぶれた高校生を現役で東大に合格させるという例の有名なドラマを今更ながら見ていたのですが、その中でこういうシーンがあったんです。(シーズン2のほう)

東大志望の天野という真面目な生徒が、主人公の桜木(先生)が堤防で釣りをしているところにやってきて

「ねぇ先生。
東大ってホントに誰でも入れるんですか?
勝算はどれくらいですか?
具体的にはどういう勉強法なんですか?
東大に入る価値がないって言ってましたけど、どんな人なら価値があるんですか?」

と、質問攻めしていく場面です。

で、この質問を受けた桜木が天野に聞くわけです。

「お前、泳げるか?」

と。

「はい、クロールは苦手ですけど、平泳ぎなら25m...」

と答えている最中に、桜木が天野を胸倉を掴んでいきなり海に放り投げるという。。


これ、個人的にめちゃめちゃ好きな場面なんですけど(笑)

なんで好きかっていうと、僕が個人的にその桜木の行動に共感する部分があって、僕もこういう仕事をしているので、似たようなことって(メールのやり取りではあるものの)結構あるんですよね。

「私にも電験3種に合格できると思いますか?
どのくらい勉強したら合格できますか?
いまからやって間に合いますか?
参考書と過去問はどっちからやったらいいですか?
参考書の挿入問題はその都度解いた方が良いですか?
それとも後回しにして章の終わりにまとめて解いた方が良いですか?
この参考書とこの動画、どっちを先に学習したほうが良いですか?」

などなど、などなど、などなど。。。

(ちなみに資格の勉強ではなく、ビジネスの相談を受けているときにも、文脈が違うだけで本質的には上記とほぼ全く同じ状況はよくあります。)


まあ気になることなら質問してもらって大丈夫ではあるものの、一つのことに回答すれば次はまた別の(同じタイプの)質問が投げかけれて、

また回答しては、また別の質問を投げかけて、、、、

というのを何ターンか繰り返して、(もうこの時点で最初のやり取りから1週間とか経ってる)

こういう質問があまりにも立て続けに送られてくると、僕ももう若干、桜木状態になるわけですよ。

「海に放り込んだろか。」

とまでは流石にならないものの、このやり取りいつまで続けたら終わるんかなぁ~と、きっと死んだ魚のような目をしながらキーボードをタイプしているのではないかと思います(苦笑)


なんかこういう質問って、根本的に“あんま意味ない”と個人的に思っているので、上記の類の質問に対する僕の回答はほぼ決まっていて、

「知らないよ。」か「どっちでもいい。」か、どちらかです、はい(笑)

この一言を何重にもオブラートに包んで500文字くらいにして返信するわけですけど、結論だけ言えばこれなんですよね。


■成功と失敗は反対語ではない。


で、なんで上記のような質問を僕が“意味ない”と断ずるのか。

なんなら意味ないを通り越して「害悪」だとすら思っているのか、についてなんですが、

何かに成功するっていう事は、その成功に向けて進む途中で何度も何度も「失敗する」からです。

つまり、失敗というのは成功の反対語ではなく、成功までの「途中経過」であり「条件」に過ぎないわけで、

何かに向かって進んでさえいれば必ずどこかで失敗するから、その失敗を乗り越えてまた一歩成長して成功へ近づいていくわけで、そのプロセスなくして成功は掴めないわけですよ。

進む前にあれこれ考えて、万全の準備ができないと前に進めないっていうのは、これは最も成功から遠い行動パターンではないかと思うのです。

なぜならそこには、

“失敗したくない”

という思いがあるから。

繰り返しますが、成功のためにはその途中で何度も何度も失敗を経験するのです。小さな失敗から大きな失敗まで。

成功の大きさに比例して、失敗の数も大きくなっていきます。

それを乗り越えた先にしか成功がないんだから、

進み始める前から失敗を受け入れる覚悟がないことには、なかなか道が開けてこない。


だから僕は思うんですよ。

「もういっそ、海に飛び込んでしまえ」

と。


ちなみに上記のドラゴン桜のストーリーの続きでは、天野を放り投げたあとに桜木先生も一緒に飛び込んで、一緒に海に浮かびながら、

「ぐだぐだ考えてねぇで、飛び込んでみろ!」

と、いかにもドラマ的な感じで続くのですが、まあ結局はこれなんですよね。


飛び込んでみないことには、やってみないことには、

“肌感覚として”

わからないことがめちゃめちゃ沢山あるんですよ。

もちろん、個別の質問自体は聞かれたら答えられるわけです。わかってるから。

ただ、それを僕が答えて、情報として知っただけだと感覚として掴めないから、もうほんとに「やるしかない」わけですね。

そして、僕が思っている正解が、他の誰かにとっての正解であるとも限らない。

例えばビジネスの世界だと、

・いきなり広告にお金をかけるか否か

というのは、割と意見が分かれるわけです。

ある人は、

「いきなり広告はリスク高いから、まずは無料のSNSなどで集客を試みるべき。」

と言えば、また他のある人は、

「SNSは効率悪いです。広告を上手く回せば一気にビジネスが加速します。」

という人もいる。

で、傍から見ればどちらの人もビジネスで一定以上成果を出していたりすると、一体どちらを信じればいいのかわからないし、正しいのかも分からないわけです。


そういう意味で、どっちの人もそれで成功しているんだったら「どっちでもいい。」と言えるし、「どっちも正解」あるいは「どっちも間違い」で、

結局は“自分でやってみて”ちゃんと肌感覚として上手くいったり失敗したりという経験を積まないと、何にも分からないわけですよ。


これは、「何事においても」です。


だからこそ、思い立ったら取り合えずすぐやってみる(試してみる)、という意味で、

“知識不要、スピード命”

っていうのは、意外と成功のための真理なんじゃないかと。


で、大抵の場合はそれで何らかの失敗をしたりするわけですけど、その失敗から学べることは少なくとも1つ以上あるわけです。

大昔ですけれども、僕がビジネスを始めようとした頃、自分のメルマガへのアクセスが欲しかったのでグーグルで広告を出稿しようとしたら、どうやら規約に引っかかっていたらしくて、気付かず数日放置してたらアカウントがバンされたことや、

Yahoo検索で広告を出稿したものの、5万円くらいかけて全く反応がとれなかったことも、

メルマガ配信スタンドに登録してメルマガを発行して頑張って書き続けたものの、ほとんど読者が集まらずに廃刊したり、(しかもこれが複数)

ブログに至ってはそういうのが2個や3個じゃすまない(桁が違う)ことだったり、

これらは全部、見方によっては「失敗」なわけですけれども、でもそれを乗り越えていないと確実に今には繋がっていないわけです。

(こういうのを「失敗ではない、経験が一つ増えただけだ」とポジティブに見る解釈も可能ですけれども、まあここでは失敗と定義しておきましょう。)


そうしたとき、

“失敗を受け入れる覚悟”

これがないと話しにならないわけですね。


「どれだけの失敗を経験したとしても、最後には必ずゴールにたどり着いてやる。」

このマインドが成功には近いのだけれども、こういうマインドがあると上記で挙げたような質問の類って絶対に出てこないわけですよ。

別に失敗したっていいと思っているから、とりあえずやってみるわけです。

で、やってみたうえでどうしても上手くいかない場合に「誰かに相談」というコマンドが現れてくる可能性はあっても、

進む前からそのコマンドが選択肢にあるのは、それはやっぱり失敗を受け入れたくないというマインドがそうさせているのだろう、と。


だからもういっそ、海にでも飛び込んで大自然を感じて、細かいことを気にするマインドを少しでも洗い流せば、

それが一番ゴールに近づく方法なんじゃなかろうかと、そんなことを「ドラゴン桜」のワンシーンから感じたのでした。


↓僕のメルマガはこちら
https://jscatch.com/shinri/