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資格とっ太郎のブログ

宅建と行政書士を半年で合格したのがプチ自慢(笑)の資格とっ太郎です。
今はネットで起業してビジネスをやっているので、資格の勉強方法だけでなく
独立開業のためのビジネス情報なんかも記事にしていきます(`・ω・´)

どうもこんばんは、資格とっ太郎です。

 

 

なんだか最近、

 

「眠れない夜はブログ書くぜ」

 

っていう、謎の習慣が身に尽きつつありますが、、、

 

なんか最近、いろんなことを考えるんですよね。(ざっくりだな、おい。)

 

 

その一つが、“学校教育”です。

 

 

おかげさまで、うちの双子も今年幼稚園の年長で、来年から小学1年生で学校へ通わなければならない年齢になるわけなんですけど、

 

「学校って、必要ですか?」

 

っていう、(主に実業家等々の)著名人のTwitter界隈とかでいろいろと持論が繰り広げられれば、それに対する賛否だったり炎上だったり、

 

NHKの教育番組をたまにつけてみたら、

 

「子どもの不登校に、親はどう接するべき・・・」

 

とか、学校を話題としたいろんな情報が飛び交ってます。

 

 

僕も、来年小学生になる子どもを持つ親として、想うところがたくさんありますし、

 

僕の公式HPにも“資格取得のすゝめ”というタイトルで、

 

「おいお前ら、なんでもいいから勉強しようぜ」

 

と、“勉強する”っていうのを強く推奨する一人の人として、やっぱり学業の場である“学校”っていうものにも、いろいろ想うところがあるわけです。

 

 

僕は一貫して、子どもの教育っていうのは、

 

「そいつが大きくなったときに、自分の力で自分の人生を切り開けるようになること」

 

っていうのを常に思ってます。

 

 

つまり、最低限、その時の社会を生き抜いていく力っていうのが、そいつに備わっているかどうか。

 

これが最低限の条件だと思います。

 

 

“その時の社会”

 

っていうのは、子どもが大きくなって社会に出たときのことなので「未来」の話しですよね。

 

 

じゃあ、どれだけの人が「未来」に目を向けているか。

 

今、うちの子は6歳ですけど、

 

十数年後の「未来」が、どういう社会になっていて、どんな能力が必要な時代になっているのか。

 

 

そもそも、これがわからないと「教育」なんて語れないんですよね。

 

 

将来、何が必要な時代になっているかがわからないと、今身に付けておくべきことなんてわかりません。

 

 

“学校は社会性を学ぶ場だ”

 

なんて、お経のように唱えているアホな大人は数知れませんが、

 

そこで語られる社会性の「社会」というのは、

 

今、もしくは、過去、

 

必要とされた社会性です。

 

 

・先生の言うことをよく聞いて

・真面目に学校へ通って授業を受け

・いい成績をとり

 

っていうのが、

 

・社会へ出て就職して

・会社の指示に従って仕事をして

・給料をもらって生活する

 

という事へつながり、

 

・定年まで会社に勤める

 

ことで終わる。

 

 

従来の社会。

 

もし今の子どもが、十数年後の未来においても、そういう社会を生きていくんだ、っていう時代なら

 

それは僕も学校に行く価値はある。学校は必要だ。ってことになると思います。

 

 

だけど、そういう従来の社会、従来の価値観はもうすでに崩壊してます。

 

 

日本で一番稼いでる超がつくほど大企業のトヨタですら、

 

「終身雇用はもう無理」

 

って明言してるくらいなので、企業にとって“人を雇い続ける”っていうことは相当無理になってきてるってことです。

 

 

忘れてはならないのは、もうすでに、現在で「これ」ってこと。

 

十数年後の未来は、また更に状況が進んでます。

 

 

 

さて、じゃあ十数年後の未来ってどうなってるんでしょう?

 

十数年後の社会を生きていくために求められる人の能力って何でしょう?

 

その能力を身に付けるために、「今」必要な教育って何でしょう?

 

学校に行くこと?

 

学校に行かないこと?

 

子どもがやりたいことをやること?

 

やりたくないこともやらせる必要はあるの?

 

 

 

・・・・と、こんなん考えだしてたらもう寝れないでしょw

(まぁ、こういう僕の話しは嫁にとっては子守歌になるようですけどね・笑)

 

 

 

で、何が言いたいかって??

 

 

常識だからとか、今までそうだったからとか、誰かが言ったからとか、

 

なんかそんな感じで近視眼的に、教育を考えるなってことですよ。

 

 

今の子どもなんて、否が応にも、みんなスマホ持って、当たり前にネット使って、当たり前にSNS使って、当たり前にYoutube見て日々を過ごしてゆくわけです。

 

 

勉強したけりゃスマホで勉強できる時代だし、

あらゆることがネットで完結してしまう時代。

 

 

僕みたいに、1日中パソコンの前でカタカタとキーボードをいじっているだけ(傍から見ればそう見えるだろうな・笑)でお金を稼いだり、個人の力でネットを使ってお金稼いで生計を立てる人なんて今でもたくさんいるけど、未来ではもっと増えているでしょう。

 

多分ですけど、一昔前まではそういう人たちってテレビでたまに取り上げられる程度の珍しい人、っていう感じで自分とは無関係、っていうのが普通だった。

 

それが今だと、頑張って探しまわれば自分の周囲にもそういう人がいるかも、っていうレベルくらいには広まってると思います。

 

で、さらに時代が進むと、頑張って探さなくても周囲にいる、くらいに広がると思います。

 

 

いま、ユーチューバーっていうのが人気ですけど、

 

つい4年くらい前までは、ユーチューブの収入だけで生計を立ててる人なんて、たぶん数えるくらいしかいなかったと思います。

 

ヒカキンとかはじめしゃちょーとか、トップユーチューバーがいっぱい稼いでいて、それに次いで中堅どころのユーチューバーがやっと生計を立てる程度には稼げている、っていう感じだったと思うんですけど、

 

もう今だと、数えきれないくらいいろんな人がユーチューバーとして生計立ててます。

 

ユーチューバーっていう限られた範囲だけでも、“個人で稼ぐ”という人はそれだけ増えている。

 

 

一方、「会社」っていうのがどういうふうに変わっているかっていうと、まあ言っちゃ悪いけど、

 

“役立つ人だけが残り、役立たずは切られる”

 

というのが、もうすでに大企業でも顕著になってます。

 

 

これからの「会社員」っていうのは、一部の本当に優秀な人だけが社員として雇われて、

 

そうでない人は、超低賃金で、誰でもできる仕事しか選択の余地がない。

 

 

こういう二極化の流れが、急激に加速していくと思います。

 

 

多分ですけど、十数年後とかになると、まともに生計を立てて満足にお金を稼げる「正社員」というのは、本当にごく一部になって、

 

正規雇用ではない低賃金の社員、もしくは「正社員」と名は付くけど実際は超低賃金で生活ギリギリの正社員か、もしくはフリーター、

 

 

“誰かに雇われる”

 

という、今まででは当たり前の世界が、十数年後には極端に二極化しているはずです。

 

現在でも二極化は進んでますけど、まだまだ全然序の口。

 

これからもっともっと加速します。

 

 

で、“誰にも雇われない”という生き方は、今もうすでに広がってますけど、これも将来十数年後にはもっと広がってるでしょう。

 

 

「広がってるでしょう」っていうより、そういう道に進まないと、自分が生きやすい人生は手に入らないよな、っていうことに実感を感じる人がかなり多くなってくるので、そういう道に進もうとする人が単純に増えます。

(まあ、僕もその一人ではあるんだけども)

 

 

 

さて、これは僕が今まで日々「勉強」してきて、世の中を見てきた中で「今」感じている未来観ですけど、

 

僕は、自分の子どもが社会に出ていくくらいの年齢に、世の中はそうなってるだろうな、と本気で思ってます。

 

 

 

じゃあ、そういう社会を生きていく自分の子どもに「今」必要な“教育”。

 

なんだろう、って考えます。

 

 

すると、、、もう、

 

「マジで学校なんて行きたくないんだけど」

 

って、絶対子どもは思うんですけど、

 

「行きたくないなら行かなきゃいいじゃん」

 

で、終わりそうなんですよね、マジで。僕の意見として。

 

 

行きたくないものを無理矢理生かせる価値が学校にあるのか、って考えちゃう。

 

そう考えちゃうと、もう、僕が見ている未来観に照らし合わせると、今の学校制度だと「No」と言わざるを得ない。

 

 

無理矢理にでも学校に行って得られるものと、

学校に行く時間を他にこと(教育)に使って得られるもの、

 

どっちが大きいだろう?って。

 

 

そう考えると、少なくとも、行きたくない学校に無理に通って得られるものよりも、

 

行かずに他の事やるほうが、圧倒的に可能性あると思うんですよね。

 

 

スマホがあればネットにつながる、ネットに繋がれば一瞬で世界中の情報にアクセス出来て、

 

世界中にコミュニティがあって、コミュニケーションの場があって、あらゆる知識に触れられて、あらゆる学びの場があるわけで、

 

学校っていう閉鎖的な場で得られるものと、どっちが大きいんだろう?と。

 

 

学校なんて、いまだに「学業に専念できないからスマホ持ち込み禁止」なんてやってたりするくらい、アホ丸出しの空間です。

 

なんで、こんなに便利なツールがあるのに、それを学業に活用できないかなぁ、って思うもん。マジで。

 

(僕の知り合いの先生は、

 

「板書した内容なんてスマホで撮ればいいんだから、私の喋る内容の方をちゃんと聞いといて」

 

って生徒に言ってるみたいで、そういうまともな先生もいるんだけれども、

そういうのもまだまだ教育現場では少数派だそう。特に公立は。)

 

 

もう未来が全然見えてないですよね。

 

もっと言えば、「今」も全然見えてない。

 

 

ぶっちゃけ、先生の授業なんかよりも百倍わかりやすい授業がいくらでもYoutubeで見れるのに、なんでわざわざ学校の授業が必要なんだよ、って思っちゃうくらい、

 

ホントに質の高いYoutube動画いっぱいありますからね。

 

 

学校の授業受けるより、スマホ使った方が勉強になるんですよ。

 

本気でスマホを活用できる方法知ってれば。

 

 

そうなってくると、

 

「いやもう、学校行かなくて良くね?」

 

と。

 

 

 

 

なんかそんな事を想いながらも、来年から子どもが小学生になるってことで、

 

「ランドセルはどれがいいかなぁ」

 

なんて、展示会に足を運んだりして必死に選んでる僕がいるわけなんですけど(笑)

 

 

 

 

というわけで、、、

 

あぁ、そうこうしているうちにもう深夜1時半になってしまいました。

 

 

夜更かしもほどほどにってことで、全然まとまってはないけどこの話題はいったん終わりにします。

 

 

 

 

 

 

どうもこんばんは、資格とっ太郎です。

 

しばらくぶりのブログですが、今日の記事が「令和」初の投稿です。

 

ようやく僕のパソコンも令和への対応が完了したみたいで、なぜか気づいたら「れいわ」が一発で「令和」と変換されるようになってました。(先月まで変換できなかったのに、なぜだ。。。なんか逆に怖いんだけど・笑)

 

で、令和初のこのブログ記事。

 

5/6に投稿できるか、5/7の投稿になるか、非常に微妙な夜の時間なんですけど、

 

普段なら僕はこの時間、寝てるか、寝てなくてもベッドには入って寝る準備はしてるとこなんですけど、

 

今日の僕、まったく眠れる気がしなくて目がギンギンです。

 

 

そうなんです、ここ最近「不眠症」に悩まされてて、、、

 

 

 

 

っていう、誰かが心配しそうな冗談はやめといて、

 

実は僕、こう見えて(どう見えてんだよ)、大の“コーヒー好き”なんですよね。

 

 

で、コーヒー飲んでカフェイン取りすぎて眠れない、っていうアホなことは、

 

僕くらいのレベルになれば常識的に回避できるはずなんですけど、今日は失敗してしまったんですよね。

 

 

っていうのも、なんか最近「もっと旨いコーヒー飲みたいんだけど」っていう謎のチャンネルが僕の中で開いてしまって、

 

とうとう生豆を仕入れて、自分で焙煎するっていうところまで行きついてしまいました。

 

 

ちなみに普段は、家の近くにある自家焙煎のコーヒー屋さんで豆を選んで、その場で好みの焙煎に仕上げてもらったものを、家でドリップして飲む、っていうのが日常で、

 

その自家焙煎のコーヒーを飲んでから、僕のコーヒー好き人生が始まったわけなんですけど、それがもう10年近く前になるのかな。

 

マジでびっくりしたもんね。

 

コーヒーってこんなに旨いのかって。

 

別に僕は全くコーヒー好きではなかったけど、むしろ嫌いだったけど、それっていうのは、

 

「あぁ、僕が今まで飲んできたコーヒーって、“コーヒーじゃなかった”からなんだって。」

 

本気で思いましたからね。

 

それ以降からですよ、僕が不味いコーヒーの代名詞を『ボトルコーヒー』と呼ぶようになったのは。

 

 

もうほんと、マジでボトルコーヒーに失礼な奴ですけど(笑)、それが僕のコーヒー好きの始まり、その時に僕の中のコーヒーチャンネルが開いた。

 

 

で、最近になってもう一段階、僕のコーヒーチャンネルが開く出来事があって、

 

先月、とあるデパートの一角にあるような喫茶店に入って、嫁と、

 

「コーヒーでも飲もうか」

 

っていういつものパターンで、どうせ喫茶店だから満足なコーヒーは飲めないだろうけど、まあいっか的な感じで入ったところが、珍しく豆の種類選べる店で、わりとこだわり系の店だったんだけど、とりあえずマンデリンを選んでアイスコーヒーを注文。

 

ちなみに僕はアイスコーヒーしか飲まない。真冬でも。アイスコーヒー愛好家である。

 

喫茶店だと、ホットなら注文受けてからドリップするけど、アイスコーヒーは作り置きされてる店も多いから、僕が店でアイスコーヒーを頼むときは、ちゃんとその店が注文受けてからドリップしているかどうか確認が必要なんだけど、

 

(っていうか作り置きのあの鮮度の落ちた、苦汁を飲んでるような、ニガイだけの不味い液体はなんなんだ、って感じだけど。アイスコーヒーの待遇悪すぎだろ、と。)

 

その店はちゃんとしてる店。

 

で、マンデリンは自家焙煎で何度も注文したし、飲みなれている豆のはずだったんだけど、そこでまた衝撃を受けたんですよね。

 

出来上がったアイスコーヒーを受け取って、一口飲んでびっくり。

 

「えっ、不味っ!」

 

と。

 

飲みなれているはずの味が来るはずだよな、っていう先入観が覆されて。

 

なんか酸っぱいし、苦みはほとんどない。

 

びっくりして、口に入れた分、味わう間もなく一気に飲み込んじゃったけど。

 

改めて、もう一口入れて、ちゃんと味わう。

 

「うん、まあこれはこれで旨いんじゃないか」

 

っていうか、メニューの豆の説明のところに「トロピカルフルーツのような爽やかな風味が・・・」って書いてたけど、一般的にはマンデリンって苦みとコクがある豆なはず(ネット情報による)だけど、

 

この目の前のマンデリンは何なんだと。

 

「めっちゃフルーティーで、これはこれで旨いじゃねぇか!」

 

と。コクも苦みもねぇぞ、と。

 

でも旨いぞ、と。

 

なんかコーヒーの常識を覆された。

 

 

自家焙煎のコーヒー屋さんの話だと、焙煎を浅くすると酸味が、深くすると苦みが際立つ、っていう話で、

 

“アイスコーヒーは深煎りが基本”

 

っていうのは知ってて、

 

それを知ったうえで、「あえて中煎りの豆をアイスコーヒーで飲む」っていうことはアイスコーヒー愛好家として普通にやってるけど、さすがに浅煎りまで試したことはなかった。

 

というか、浅煎りなんてほとんど市場に出回らないレベルの焙煎度合いらしいじゃねぇか。

 

まあそれはさておき、その“フルーティなコーヒー”っていうのがまじで衝撃的な体験だったんですよね。

 

 

というか、その時飲んだそのコーヒーが、本当に浅煎りだったのか、っていうのは定かではないんだけれども、とにかく衝撃的だった。

 

コーヒーの新しい一面を垣間見た。

 

 

それが先月のことです。

 

別に、そのフルーティなコーヒーが格別好きだったってわけじゃなくて、普通のコクのある香ばしいコーヒーは大好きだけど、

 

「これは、絶対にたまに飲みたくなる味だな」

 

っていうのが正直なところで、それを飲みたいときに飲める状態にしたくなっちゃったわけです。

 

で、そのフルーティさを家で再現できないのが悔しい、っていうのが今の現状。

 

再現できないっていうか、コーヒー屋さんで注文すればいくらでも浅煎りで仕上げてくれるけど、それ200g単位で常備してても、毎回それで飲みたいわけじゃないから(たまにでいい)、使いづらくて、

 

ベースとして家に常備しておくのは、やっぱ中間の中煎りくらいがよくて、

 

そういうイレギュラーなのは、ほんとに少量かつ、絶妙なタイミングでほしいんですよ。

 

 

なんていうか、「あっ今日は浅煎りの気分だな」って急に思ったから、浅煎りを飲む。みたいな。

 

 

間違っても、コーヒー屋さんに行って、200g単位で注文して持って帰ってくるようなものじゃない。

 

 

ベースとして基本のローストで日常を楽しみつつ、

 

たまにイレギュラーとしてフルーティなのも飲みたいだけ。

 

 

、、、、、っていうところで、

 

冒頭でも書いた、「自分で生豆仕入れて焙煎する」っていうところに行きついたわけです。

 

 

飲みたいときに、その時の気分で適切な豆を、適切な焙煎度合いで仕上げて、適切なドリップで飲む。

 

 

なんていうか、やっぱ常識って当てにならなくて、

 

「この豆はこのくらいの焙煎度合いが適切」

 

とか

 

「アイスコーヒーは深煎りが基本」

 

とか、そういう情報って、別に間違ってはないんだろうけど、あえてそれとは逆をやってみることで自分の中で新しい扉が開くことがあるわけで、

 

ここまでくると、もう全部のパターン試さないと気が済まないじゃないですか(笑)

 

 

同じ豆でも、焙煎具合で全然味が違うし、焙煎からの経過時間(日数)でもめっちゃ味変わってくるし、淹れるときの豆の分量とか、挽き方とか、ドリップの時間とか、もちろん淹れてからの経過時間とかでも味は全然変わってくる。

 

マジでこだわる人は、80ccだけドリップしたらそれ以上お湯は入れないで(それ以降のドリップは雑味が出るからと)、あとはその80ccをお湯で薄めて飲む、みたいな飲み方をしてる人もいるくらいだけど、

 

いろいろ考えだしたらキリがないくらいの、「パターン」があるわけですよね。

 

 

その無数のパターンの中で、自分にとって最高のものが、そしてまだ味わっていない味があるはずで、

 

そう考えたら、もう居ても立っても居られない。

 

 

で、その生豆が今日の夕方届いて、

 

明日やればいいのに、もう我慢できなくて(試してみたくて)、、、、それでこのザマですよ(笑)

 

 

試しに練習のつもりで焙煎してみて、お店で注文した奴と見比べてみて、

 

「たぶん、ミディアムくらいに仕上がったかなぁ」

 

っていう豆でコーヒー淹れたら、、、、

 

「うん、香ばしい!旨い!」

 

っていう、ごく普通のコーヒーに仕上がったわけです。

 

 

どっかのサイトで、

 

「自分で焙煎したコーヒーは、どう転んでもインスタントコーヒーや缶コーヒーよりは格段に旨くなる」

 

みたいなことが書かれてたんですけど、マジでどう転んでも旨くなると思います。

(まあ僕はボトルコーヒー含め、そういうのはコーヒーじゃなくて「苦汁」と書いて「にがじる」って呼んでますけどね・笑)

 

 

 

まあ、そういう過程を経て、もう深夜一時を過ぎましたけど

 

目がギンギンのまま、こうしてブログ書き続けてます。

 

 

そして、世の中の人に少しでも本当のコーヒーのおいしさを体験してもらおうと、

 

自家焙煎の良さを発信しているわけです。

(完全にブログの趣旨が違うけどw)

 

 

あっそうそう、無理やり話をつなげるなら、

 

勉強する前にコーヒーを飲むと、記憶力と集中力がアップするらしいじゃないですか。

(まあよく聞く話ですけど)

 

カフェインが脳を覚醒させて集中力がアップする、なんてことが言われてますけど、

 

 

せっかく飲むのなら、マズイものよりも旨いもの飲んだほうがテンション上がりますよね(笑)

 

 

ていうか、いくら集中力がアップするって言っても、マズイものは口に入れたくないですよね。

 

それだけでテンション下がるでしょ。

 

 

最近の研究で、コーヒーはカフェインだけじゃなくて、その「匂い(香り)」にも効果があるって言われてます。

 

マンデリンやハワイコナの香りは情報処理能力が上がり、グアテマラやブルーマウンテンの香りはリラクセーション効果があるという研究結果もあります。

 

だけど、香りもくそもないようなコーヒーにそれらの効果があるかどうかっていうと超微妙です。

 

 

コーヒーっていうのは、豆を挽いたときに強烈に香ばしい、良い香りが漂います。

 

「ボトルコーヒー」みたいな不味そうな匂いじゃなくて、

(いやマジでボトルコーヒー好きな人いたらごめんなさい。。。)

 

本当に“豆”の香ばしい良い香りがするんですよ。

 

コンビニの挽きたてコーヒーとか、そんなのとも比べ物にならないくらい良い匂いします。

 

 

その漂う香りを楽しみながら期待感高めて、丁寧にドリップして淹れられたコーヒー飲んでみてくださいよ。

 

最高ですよ。

 

 

「集中力高まるのは、カフェインの成分ですね」

 

なんて言ってる、冷めた研究結果だけには表れない、最高のパフォーマンスが発揮できますから。

 

一杯のコーヒーで。

 

 

 

ってことで、深夜2時を過ぎたくらいでやっと、わずかな眠気がやってきたので、

(ていうか、気合い入れすぎて2時間以上かけて記事書いてるよ。。。)

 

そろそろ僕の独断と偏見にまみれたブログもまとめに入ります。

 

 

1、遅い時間のコーヒーには注意しよう

 

2、コーヒーは自家焙煎に限る

 

3、アイスコーヒーは浅煎りで飲め

(常識にとらわれるな)

 

4、さあ、あなたも自分の手でコーヒーを焙煎しよう

 

 

ってことで以上になります。

(勉強どこ行った)

 

 

 

 

ヤバいです。。

 

マジで超やばいです。。。

 

 

いきなりなんですけど僕、今月(2月)で30歳になりまして、、ガチのおっさんの仲間入りって感じなんですけど(汗)

 

 

早速、やっちゃいましたよ。

 

なんかもう、「えっ、こんなに急に老いるの!?」っていうミスをしてしまいました。

 

 

実は今日、メルマガの記事を書こうかなぁ、ってことで気合い入れて2時間くらい頑張って、入念に書き上げて「さぁ、配信しよう!」ってところで、

 

「そういや、前回までのメルマガって何書いてたっけ??」

 

って、パソコン内のアーカイブ見てたらなんと、

 

「えっ、今日書いた内容、ほぼ同じこと2週間前に配信してんじゃん!!」

 

っていう決定的なミスを犯してしまいました。。。

 

 

2週間前のことをもう忘れてるって、、えっ、30歳の脳って急にこんなに老いるの!?

 

っていう衝撃ですよ(笑)

 

 

いやもう、ありえんだろと。

 

マジ、ありえんてぃーですよ。

 

 

もちろん、1から書き上げたんで、似たような内容ではあるけれども、全く同じ内容というわけでないです。

 

 

まあれですね、「リメイク」。

 

たった2週間でリメイク版が配信されるって、ヤバいですよね(笑)

 

 

なので、新しく書いた記事はメルマガじゃなくて、もうこのブログ内に掲載したいと思います。

 

ブログに掲載するには、長すぎて胃もたれするくらいの文章量なんですけど、

 

今日の2時間の渾身の努力が水の泡になるっていう事実は、さすがに今の僕の精神では受け止めきれないので、見てやってください(笑)

 

 

ではでは、前置き長くなってしまいましたけど、、僕が今日メルマガで配信しようとした「リメイク版」の記事、お楽しみくださいませ。

 

 

 

↓↓以下、記事になります↓↓


いつもお読みいただきありがとうございます。

西(資格とっ太郎)です。


今日は2/28(木)、リアルタイムのメルマガ配信になります。



いや~、このメルマガ(メール講座)も、
絶大な支持をいただきながら、

運営開始から早5年以上は絶つんなんじゃないかと思います。


もう昔すぎて、明確にスタートした時期を思い出せないんですけど(汗)

メール講座の1通目を見返すと、
「24歳」って書いてあるので、今は30歳ですから、

5年以上は確実に経過してるってことになりますね(笑)


とにかくとにかく、長い間、親しみを込めてお読みただいている
読者の方々のご協力があって、

ここまで続けてくることができていることに、感謝です。


本当に、ありがとうございます!



僕はもともと、勉強に対して

「独学で取り組む」

ということに、強いこだわりを持っていて、
多くの難関資格を、独学で取得してきました。


で、僕のやり方をWebサイトを公開したり、
こうしてメール講座として講義をしていったりしながら、


「独学でもできるんだよ」


ってことを、いろんな形でシェアしていってます。




でも実は、、、、


最近では僕の中でこの考え方が
ちょっと変わりつつあって、


「独学でも合格できるんだよ」



ではなく、



“独学じゃないと合格できない”



っていう考えに、かなりシフトしてきました。


これは僕がもう5年以上、
資格試験の受験生の方々を
サポートしてきて、

ものすごく如実に感じる現実です。



独学でやれる自信がないから、通信講座に申し込む、
資格スクールに申し込む、

っていう人は多いですけど、
そのパターンで失敗している人が多いというが事実です。


で、失敗パターンになりがちな思考として、


「教えてもらえば、合格できるのかな。」


っていう発想です。


言い換えれば、“他力”に頼る割合が多すぎているということ。



別に、通信講座とか資格スクールを使っちゃダメ、
ってことを言いたいわけではなくて、

それらを使うにしても、文字通り「使う」、


“自力で学習する”


という大きなベースのオプションとして、
そういうものを活用できている人だけが合格を勝ち取っています。



つまり、ベースに「独学」があって、
その延長線上として、

“活用できる対象が増える”

という、効率アップのために
通信講座なり、何らかのサービスを使っている、

というイメージ。


そのイメージが、どんなサービスを受けるにしても
重要な心構えだと思います。



「もうこの通信講座に申し込んだんだから、
ここの教材以外は一切使わない!シャットアウト!」


なんて考えちゃう人も少なくないんですけど、
それはもう完全にアウト。依存しすぎです。


通信講座に申し込んで合格する人は、
その通信講座以外の教材とか参考書とか、問題集とか、

もっと言えば、ネット検索とか、

めっちゃいろいろ使ってますよ。



なので、僕が言いたいのは、

難関試験っていうのは、

“本質的には全て「独学」じゃないと合格できない”

ってことです。


ここら辺の考えが、ここ最近、
僕の中でかなり強く固まってきてます。


昔からぼんやりと、そういう印象は持ってたんですけど、
(サポートという)経験を重ねれば重ねるほど、

この想いっていうのが、年々強くなってるんですよね。



「独学でも合格できる」


という、従来の考え方じゃなくて、


「独学じゃないと合格できない」


っていう考え。



別に、通信講座とか資格スクール、
使いたいならいくらでも使ってもいいと思ってます。


だけど、それっていうのは
それらを使うことで、

“他力でなんとかできる”

っていうイメージで使うと失敗します。


“自力で何とかする”

という独学のベースがあって、
その「何とかする」を効率よく進めるために、
使えるサービスを使うっていう感じ。



だからそういう意味だと、

教材一式だけをポンと配って、
あとはカリキュラム通りに課題提出して、添削するから、


みたいな、古典的なスタイルでやってる通信講座なんて
マジで要らないんじゃないかと思ってますけど、

まあそれはさて置き。



やっぱり、


“独学で何かをやってみる”


っていうことは絶対に大事だと思いますし、

それで一定の結果を出す、
っていう経験は、

かけがえのない人生の「財産」なんじゃないかと思います。


これ僕自身がかなり強く感じてることで、

高校時代に「電験3種」っていう、
電気業界ではかなり有名で難しい資格があるんですけど、

それを独学で取った、
っていう経験がその後の僕の人生に絶大な影響を与えてますからね。



そういう経験があったからこそ、

高校を卒業して就職して、技術者になったときも、


「(先輩とか)誰かに教えてもらうだけじゃだめだな」


って思って、自力で仕事に関係しそうな参考書とか
本屋で買いあさって勉強して、


周りの、工学の大学院まで勉強してきた
いわゆるエリートだらけの中でも、

まともやっていけるだけの力はつけることができたし、
それなりの、質の高い“経験値”を得ることもできました。


もしこれが、

「誰かに教えてもらえばいいや」

っていうだけの発想で僕が生きてきていたら、
絶対に実現できてなかったし、

個人事業で仕事をしている今みたいに、
自由な生活をすることなんて、もっと実現不可能だったと思います。



日本の学校は、

教えてくれる先生がいて、

先生に教えられたとおりの事を
テストで正確に答えることで高得点が与えられ、

高評価を得ることができる仕組みになっています。



試験問題で、先生が教えた解き方じゃなくて、
別で学んだ他の解き方で回答したら、

答え合ってんのに、「間違い」になった、

みたいなことって、学校だと割と普通にあります。


「教えた通りにやってないから×」


って、僕みたいな人間からすれば

“アホ”以外の何物でもないなって思っちゃうんですけど、


でもそれって、日本の教育現場には根強く残ってるんですよね。


答え合ってる、解き方も間違ってない、

でも、「教えた方法じゃないなら」ダメ。


「ちゃんと授業を受けてないってことだよね?」みたいな。



極端な例ですけど、
日本の学校教育は少なからずそういうスタンスで
教育が行われています。


授業でやったことが全て。

自力で勝手にやったことなんて知らん。


と言わんばかりの。



もちろん、時代が時代なので
今現在、全ての学校がそうであるというわけではないかもしれないですけど、
(これは半分、希望的観測も含んでます)


少なくとも、僕らが学校教育を受けていた時代っていうのは、
そういうのは当たり前だし、

学校、っていう革新的なことを受け入れづらい
古い体質の組織っていうのは、いまだにそういう事を普通にやってます。




だから、「勉強」という行為が
自然と“他社依存”になってしまう。


もう学校教育の弊害でしかないと僕は思ってますけど、
でもそういう中で僕らは育ってきたんだ、っていう事は事実なので、


いったんそこから脱却しなきゃいけないわけです。


特に、高校までを学校で「真面目に」過ごしてきた人、
「真面目に」授業を受けて、「真面目に」先生の言うことを聞いてきたような、

学校でいうところの模範的な生徒ほど、この脱却が難しいです。



僕みたいに、心のどこかで内心学校を馬鹿にしていて、

授業は出席してたけど、

「うわっ、この先生説明間違ってるよ。しょぼ。」

「これ質問しても、この先生は絶対に答えられないな」

みたいな、

ひねくれた性格の人は、逆に脱却しやすいかもしれないですけどね(笑)


いや~、調子に乗ってた。あの頃は(苦笑)



まあそれさて置き。


通信講座とか資格スクールとか、
そういうサービスを使うかどうかにかかわらず、


本質的に、

「自力でやるんだ」

っていう独学の意識は絶対に必要だってことです。





だから、僕はよくメルマガの読者から
こういうこと聞かれるんですけど、


「本当に独学でも合格できるんですかね?」


って。


これに対する僕の答えは、


「いやむしろ、独学じゃないと合格できないですよ」


です(笑)





ということで、久々のメール配信でしたが、
なにか<%name%>さんの気づきになればなぁと思います。





ではでは、今日は以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました!

西