南相馬市での経験②関西→南相馬の行き方&宿泊事情 | 十津川サポーター

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十津川村出身者(通称とつさぽ)が運営しています。台風12号で被害を受けた十津川のために、何かできることはないかなと思って、このブログを立ち上げました。

今回の活動日は20日、21日、22日の3日間。21と22日は土日で、ちょうど週末をはさんで日程になっていた。

福島の地理に関しては、バスを予約するまでは、うっすらとしか知らなかった。南相馬は福島県でも太平洋側に位置している。福島県は横に広く、内陸のほうから、会津→中通り→浜通りという3つの地域に別れており、地域ごとに風土もまったく違う。南相馬は浜通りになり、茨城県北部からひとつづきに浜通りという地域をなしている(実際、テレビの天気予報も会津地方、中通り、浜通りというふうに予報がでてくる)。本来であれば、南相馬は常磐道を使って東京から3時間半ほどで行くことができる。が、原発の影響で常磐道は途中までしか通っておらず、現時点では南相馬に行くためには東北道(郡山などを通る)を北上し、内陸の二本松から下道(山道)を1時間半~2時間ひた走り、飯館村を経由して南相馬に降りて来る。東京から自家用車であれば、渋滞がなくスムーズに走って4時間半、バスであれば5時間はかかってしまう。折しも3月31日で、東北道の高速道路の無料化が終了してししまい、往復の高速料金はボランティア活動の大きな出費をしめるようになってしまっている。

リーダーのゆきちゃんは20日の0時頃東京を出発し、朝方南相馬に到着し、仮眠をとったあと活動をスタートさせるという、何ともパワフルなスケジュールを組んでいた。東京から彼女の車に同乗することもできたが、そうすると関西から出発&ボラ初心者の私にとってはかなりきつい日程になるため、大事をとって(要はへたれということです)前泊し、公共交通機関で南相馬まで行くことにした。宿泊については、ゆきちゃんの友人のご厚意で仮設住宅に宿泊させてもらえることになったが、前泊は私一人だったので、自力で宿を手配することになった。南相馬市は市の一部が30キロ圏内に入っている。そのため、長期で滞在する企業の関係者が宿を押さえており、一般が宿を確保するのは非常に難しくなっている。私は3週間前に予約をしたのだが、それでも何軒も満室でごめんなさいがつづき、ようやくキャンセルの出たばかりの部屋を押さえることができた。

関西方面から南相馬へ行くには、東京を経由して相馬ライナーという東京発の高速バスを利用して南相馬に行く、若しくは夜行バスでいったん福島まで行き、福島から南相馬まで路線バスに乗るという方法がある。鉄道好きの私は鉄道を使いたかったが、常磐線が全線運行できていないため、全てバスという行程になった。東京→南相馬の相馬ライナーも、震災後ずっと運休していたが、この3月から復活し、南相馬へのアクセスがかなり楽になったようだ。

相馬ライナーは東京駅の丸の内側にある御幸通りのあたりから発車する。私以外はほぼ地元の方で、独特の訛りがある。みな東京の親戚や友人を訪ねてきたようで、見送りの方が大勢いた。バスに入ってまず気付いたのは、3人に2人がマスクを着用していたことだ。途中の佐野のSAで売店に立ち寄ると、5種類以上のマスクが売っていた。

この相馬ライナーは直行便であることは大変ありがたいのだが、到着が夜11時とかなり遅い。しかも、駅周辺ではなく郊外に到着するため、地元に知り合いがいない限り、市街地まで2キロ弱歩かなければいけない。次回からは(もう次回行く気なのかというつっこみはおいておいて)知り合いができたのでお迎えにきてくれることになったが、今回は初回だったので、i-podの地図を頼りに南相馬の中心地である原町まで歩くことになった。真っ暗な道には人っ気がなく桜が満開になっており、何台もの空のタクシーが走っていく。桜も散ってしまった京都から来た私にとっては、もう一度春が繰り返されているかのようだ。こちらの桜はしだれ桜が多いうえに、一本一本の木に高さがあってダイナミックだ。 寒さは覚悟してきたが、ユニクロのジャケットにヒートテックで充分暖かかった。

ビジネスホテルの和室にきちんと敷かれた布団を見たとき、ようやく緊張が解けた。SA◎POROの黒ラベルとチーズで到着に乾杯し、この日はばったりと眠りについた。

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なかなか話がのろのろですが、まったり書いていきたいと思います。