2018年8月17日

直腸癌と巨大子宮筋腫

同時に全摘ロボット支援オペ。

(直腸癌はISR・子宮、卵巣も同時に全摘)


リンパ節に一個の転移で

直腸癌はステージIIIa

補助的抗がん剤 3ヶ月のゼロックス療法は

2018年12月19日終了。


現在、直腸癌オペ後の排便障害とお付き合い中。




お願い2019年2月22日ニコニコ




半年前に、

直腸がんと、子宮、卵巣の全摘オペ。

その後に4クールの補助的抗がん剤治療。


その間に私自身の考え方、感じ方は大きく変わったと思います。




特に抗がん剤の身体の辛さと、心の辛さは、格別でした。


たった4クールでもこの辛さ。

私より長く受ける方々の辛さは、いかほどだろうかと想像すると、それだけで涙が出てきます。


抗がん剤治療中の方。。。

どうかどうか、何とか乗り越えて欲しい。。。と

いつも心で祈っています。。。




んで、思うんですよね。

これだけの辛さを味わって、なおかつ前を向いて生きようとしている人たちは、明らかに以前の自分よりステージが上がっているんじゃないかと。


宗教とか、そういうんじゃないんですけどね。


周りの人が色んな事で争っているのが、まるで別世界のように見えるというか。


「死ぬ」以外のことは、ほぼどうでもいい事に近いと、知っているというか。


生きて行く意味を知っているというか。


辛さを味わった分だけ、生きている今に感謝しているし、人にも優しくなれるんじゃないかと思っています。


私自身も、考え方、捉え方が大きく変わった気がします。





私の両親は、私が14歳の時に正式に離婚しました。


10歳くらいの時から父に別の女の人が出来て、

私は、両親の修羅場を4年間ずっと見てきました。


母親は精神的にかなり弱い人でした。

私は幼いながらも母親の精神状態を支えていく事に必死でした。


自殺を常に口にする母親。

いつも取り乱し、絶望感に満ちていて。

私は母がいつ、自ら命を絶つかわからない、、という恐怖で気持ちが支配され、小学校5年~6年は、ほぼ登校できませんでした。


母親は、そんな私に頼りきりでした。

精神的に崩壊し、隣近所にも随分と迷惑をかけました。

私はとても苦しい子供時代を過ごしたのです。




父は、最終的に

そんな壊れた母から逃げるように、私達子供にも何の言葉もなく、家から突然出て行きました。


今でも覚えている。

小学四年生の その日、

父から「出て行かないから大丈夫」という言葉を聞いたのに、


夜、私が寝てから荷物をまとめて、タクシーを呼びつけ出ていきました。

そしてそれっきり帰って来なかった。




私は幼いころから、父にとても可愛がられていましたので、父に騙された事にとてもショックを受けました。


理解出来る、出来ない、は別にして、

自分の感情というものをキチンと説明して欲しかった。

逃げるように去ってしまうのではなく、キチンと言葉で伝えてから出て行って欲しかった。




精神を衰弱した母親を押し付けたまま、私を騙して黙って出て行った父を、幼い私は許す事が出来ませんでした。


父とは二度と会わない。


正式に離婚が成立した時に、そう誓ったのを覚えています。





続きます。