今日は、ケアマネ更新研修。
研修の中で、気付かされた事があったので、書こうと思います。

「大人を支援する援助職として多角的視点を養うトレーニング」の演習

灰谷健次郎著「わたしのであった子供たち」より引用、一部修正あり。
K氏も、また、極貧の中で育つ。小学生のとき、貧さゆえに、友だちを家に連れてくることもはじたという。
ある日教師が家庭訪問に来る。K氏の母は、お茶受け用のヨウカンを無理して買って出す。その教師はそれに手をつけなかった。そのヨウカンを紙につつんで持って帰ってもらう。
その教師は、外に出ると、人のいないのを見すまして、それを道端にポイと捨てたのであった。
K少年は物かげから、教師の行為を目撃する。ヨウカンを拾って持って帰る
それを受け取ったK氏の母は、力任せにそれを床にたたきつけたという。
「ヨウカンは欲しかったけど、そのヨウカンだけは食べたくなかった」
K氏はそう述懐している。

この文章をよんで、
☆教師とK少年の2人への共感の程度を、10cmの線上に記入する。

教師 ーーーーーーーーーー K少年

☆【外に出ると、人のいないのを見すまして、それを道端にポイと捨てた】行為を小学校教師がした『正当な理由(擁護するに値する理由)』を5つ書きなさい。


こんな演習を行いました。
ちなみに、私はK少年にかなり近い所に印をしました。

また、正当な理由は
「出されたお皿があまりに汚れていた」
「教師の立場では、貰ってはいけなかった。」

5つも浮かびません。
そもそも、その行為に正当な理由など見当たらない!そう思ったんです。
ただ、会場の皆様からは他にもたくさんの意見があり、
「少年にあげるため、わざと捨てた」
「母親と昔、確執があった。」
「教師は糖尿病でヨウカンは食べてはいけなかった。」などなど。
ある意味、妄想です(^◇^;)
何故か、教師が良い人になってしまいました。

この演習何かと言うと、ケアマネは中立であるべき立場である事から、共感の度合いも真ん中に近い方が望ましい。ただ、そうは言っても人間である以上どうしても片方に寄るのは仕方ない事。でも、一方の視点からでなく、反対の側面から見て、何故その行為に至ったのか?そこに至るまでを予測する。それが大切。
そんなお話でした。

してしまった行為は許される事ではなくても、そこに至るまでの心情は、受容する。
例にあげるなら、虐待とか。
家族の介護放棄とか。

多角的視点って、意外と難しい。
特に、私の様に善悪や物事に白黒はっきりさせたくなっちゃうタイプは(^◇^;)


久々に、面白い話しを聞きました。
生かさなきゃ意味ないですね。がんばろうっと。









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