前回の続きです。

今回はライプニッツがマイナーになってしまった理由を紹介!



1.哲学体系が分かりにくすぎる(独自体系)

哲学や自然科学の中でも一番難しいところに取り組んでいました。議論の中では神とか魂とか普通に出てきて中世全開な感じ。だから集中的に読みこまないと訳分からんこと言ってるオジサン。最後まで着いて行ける奴が誰もいなかった悲劇ですね。それは現在にも続く。


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さて、その「モナド」ですが、これもなかなかよくわからない概念です。私も若い頃からライプニッツが好きで、何度も『モナドロジー』を読んでいるのですが、いまだに「はい、これがモナドだよ」って、学生さんや街行く人に説明できません。おそらくしどろもどろになってしまいます。本当によくわかんないんですよ。

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専門に研究している学者さえ弾き返す思想です。

この学者さんは正直ですね。ライプニッツを語る上でモナドを避ける人と「ガンガン行こうぜ」って人といて、読み方は人それぞれっていう感じだそうです。「どの方向からでも行ける」とか恐ろしい事言ってる人も…



2.ニュートンからの嫌がらせ(物理学)

微積分の先取権でニュートンと争うことに。

片やイングランド王立協会のトップ、片やカツラをつけた胡散臭い外交官。微積分という人類史に残る偉業を、国を挙げて争う泥沼になっていきます。せっかくの業績がニュートンというビッグネームと併記されるようになってしまいました。ちゃんと記号まで作り上げたのに「え?微積分ってニュートンの発明でしょ?」とか言われる始末。


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このバトルは泥沼化していき、イギリス側VSヨーロッパ大陸側の大論争にまで発展してしまいました。

ついに、ライプニッツはイギリスの王立協会に「どちらが先か」の判定を依頼します。王立協会の会長はニュートン。つまりライプニッツは敵側に判定を委ねたのです。

すると、ニュートンは王立協会の名義で、ニュートン側とライプニッツ側のやりとりをまとめた「書簡集」を出版し、「先に微分積分法を発見したのはニュートンだ」ということを自ら立証しようとします。しかし、その書簡集では、ライプニッツの手紙の日付が変更されていたのです!

とうとうライプニッツはウンザリしてしまったのか、「今は他にすることがある」と言い、論争から身を引いてしまいました。「泥沼論争をこれ以上続けるよりも、自分の研究のために時間を使いたい」と、ライプニッツは考えたのかもしれません。

結局、二人のわだかまりは解消されることはありませんでした。

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実は2人のわだかまりは微積分だけではなく、「力」や「加速度」の概念、「絶対座標vs相対座標」でも意見がぶつかっていました。

ニュートンは「差し当たってこれで良いじゃん」って所で止めて、誰もが使える科学のパラダイムに向かいます。

一方のライプニッツは高尚で分かりにくすぎる話をブッコむんですが、よく分析するとめちゃくちゃ正しいこと言ってるんですよね。現代の科学者目線で見てもハッとさせられ、答えに窮するんですね。結果だけ見ればニュートンのボロ勝ちだけど、内容に関してはライプニッツの方が正しいんですよ。

というか何でこの時代にこんなこと考えつくんだ?って驚きがあるのがライプニッツの魅力ですね。



3.後継者のヴォルフが微妙(哲学)

とりあえずライプニッツ界隈(?)で悪い評判しか聞こえてこないヴォルフさん。哲学用語のドイツ語化は頑張ったらしいけど、、、ライプニッツ以上に報われなかった人かもしれません。

ライプニッツの哲学は数学や自然科学と結びつけないと、独断論や楽天主義に見えてしまう危険性があるということを、身をもって教えてくれた。


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ヴォルフはドイツ人にとっての哲学を退屈にしたとも批判されうる。ライプニッツのモナド論と弁神論以外のもっとも興味ある側面は受け継がず、ライプニッツ流の退屈でもったいぶった文体をドイツの学界に広めた。ハイネは「ヴォルフは体系的というよりは百科全書的な頭脳をもち、ある学説の統一性を完成した形でしか理解できなかった。彼は一種の小間壁細工で満足した。各小間をできるかぎり美しく配列し、うまく充填して、明瞭なレッテルを貼り付ける。かくしていわゆるヴォルフの独断論が生まれた」と説明する。

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それを批判して有名になったのが哲学者カントです。哲学はカント以前と以後で分けられてしまい、以後において、神とか魂とかについて自然科学を交えて扱う人は大きく数を減らしてしまいました。



4.弟子筋のオイラーが理解しなかった(数学)

ライプニッツの友人であり、弟子でもあったベルヌーイ一族。その後継者こそが数学のサイクロプス、レオンハルト=オイラーです。彼の成した偉業は途轍もないもの。しかし、ここに悲劇があった。

オイラーはライプニッツの難しい部分を全く理解しようとしなかったんです。当時だとライプニッツの思想の全貌が分からないので仕方ないところもありますが、ベルヌーイの説得虚しく完全に匙を投げてしまって、ライプニッツがなした仕事の難しいところに立ち入らず、手がつけられるところだけ数学的に厳密化し、ニュートン力学に接合してしまった。

そうやってエネルギーの根源とか魂とか本質に関わる話題を数学的仮定と数学的ツールに押し込み、「難しい事を考えなくても良い」ようにしたということです。




まとめると、ライプニッツは難しい問題に果敢に取り組み、独自の哲学体系を打ち立てた。代わりに、誰からも理解されなくなってしまい、力学の名声はニュートンに、哲学の方向性はカントに、数学の厳密化はオイラーに譲ることになってしまいました。


以上、ライプニッツが能力の割にマイナー評価となってしまった理由でした!




さて、ニュートン、カント、オイラーに共通するのは、「いかに物事を分かりやすく説明するか」ということで、難しい問題に立ち入らないことで解決しようとしたとも言えます。


この考え方から生み出されたものは汎用性が高く、誰にでも使えるようになったため大いに価値が認められることになります。こうして、経験した(実験)知識を積み上げていく【科学】が勃興/発展することになり、今日に続くという訳です。


「簡単になったから良いじゃん^^

って思うかもしれません。




しかし、ライプニッツの議論を聞くと、そう簡単には行かないんですよねー



ということで今日はここまで

ノシ