今回はライプニッツ哲学の思考の原理である矛盾律について紹介します!

矛盾律は思考上の嘘発見器として機能し、それは次の文言で知られてます。


曰く、

『在るものは在る! 在らぬものは在らぬ!』



・・・・バカにしてんのかコイツは、ってキレないでね

矛盾律はあのライプニッツが大絶賛してた原理なので大丈夫ですよ。安心して下さい(?)。捻くれた見解がありますよ!

矛盾律の文言はいわば美人局みたいなもので、背後に「生成変化を認めないぞコラ」って言ってくるとても怖いオジサン達が控えてます。(不生不滅、不可分、不動、完全など)

分かりやすくするためにお絵描きしよう




なんでこんなヤバい状態なのかっていうと、

「ある物が突然消えたり、何も無い所から突然出現することはあり得ないだろ」

ってことが矛盾律から導けるんです。
そういう消えたり現れたりって想定は、思考上の妄想であって、「嘘だからヤメロ」って即論破になるんです。

矛盾律の由来は古く、古代ギリシアのパルメニデスという伝説の詩人が女神ディケーから自身に授けられた啓示として叙事詩を書いています。

【ディケー】
『ディケー(古希: Δίκη, Dikē)は、ギリシア神話に登場する女神。正義を神格化した存在であり、人間が不正を働くとゼウスの傍らに座って、人の心の悪を糾弾するという』

『全く在るか・全く在らぬかの二者択一! それ以外認められない!』

このように正義の女神サマが「在るのかい、在らぬのかい、どっちなんだい」と私たちに突きつけてくるわけ。 あ、思考の話でね。






しかも、ディケーの対応は次のような感じ。

在る→「許す

在らぬ→「死ね

そ、そんなぁ・・・。

「在る」「在らぬ」の二者択一とか言っておいて、実質一択じゃないですか・・・。く、クソゲーだ・・・・。


例えば、ヘラクレイトスのように万物は流転するとか、お釈迦様のように諸行無常であるよとかって話は、現実世界の感覚・経験としては正しいと言えます。しかし、矛盾律に照らし合わされると論理が通っていないので、屁理屈オジサン達の餌食になります。

ちなみに現代の科学はディケーの問いに対して徹底的に沈黙を決め込んで実験知(真実)のみを追求する形で発展してきた原子論ですね。物っていう概念を頼りに思考の難しいことに立ち入らないようにしています。

最初はそれで良かったかもしれない。メカニズムにすれば簡単で分かりやすいし。
しかし、どんどん精緻化して複雑化していった結果、最先端とも言える量子力学の見解は「物質が在らぬ」「在るかわからぬ」という論理的におかしいことになってる。

【量子力学が投げかける究極の問い──「物質は実在しない」は本当か?】
https://gendai.media/articles/-/87838?page=2
『科学理論は実験結果だけから構築することはできず、世界観を必ず伴っている。つまり、新しい物理学をもたらすには、新しい世界観が必要なのだ。
ある科学理論が、進歩のために変化すべき時点に到達しているのに、特定の考え方に固執しつづければ、それは謬見(びゅうけん)・偏見となる。進歩するには、考え方の枠組みはシフトしなければならない。
シフトの方向の導き手となるのが世界観であり、哲学はその源として頼れるだろう。シフトを妨げる、科学者個人や科学者コミュニティーに潜む偏見に常に注意を払い、理論にどんな解釈があり得るのか、どの解釈に発展性があるのかについて、オープンな心で探り続け、また、哲学や歴史を学んで、大局観を失わないようにしようと、ベッカーは呼びかける。』

ボーアみたいに道具として割り切る分には良かったんでしょうけどね。

今になって困ってしまい、「在るってなんだ?」という問いを改めて投げかけざるを得なくなっている。更に、世界観の話もしてて、これも思考の話なので矛盾律が適用されないといけないパターン。

ゼウスの横で女神ディケーがアップしてる様子が想像できます・・・・これは『在る』ね。

現代でもパルメニデスは全く古くなく、むしろ評価が上がりっぱなしの哲学者ということ。あのソクラテスでさえ退けたという話は頷けます。。

以上、矛盾律でした!


で、我らがライプニッツはというと、
彼は矛盾律を組み込んだモナドを使うから大丈夫です。モナド、モナドって言ってれば通過できます
顔パスみたいなもんです。


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それじゃ
ノシ