虹の橋へ…。 | はっぴーらいふ with ferrets

虹の橋へ…。

昨日の2月5日の午前8時20分頃。

約8ヶ月間の闘病生活の末、
ゆうちゃんが虹の橋へ旅立っていきました。

享年4歳2ヶ月。

虹の橋へ①

入院で衰弱を阻止する処置を行っている矢先でした。

※本記事の最後の1枚だけが旅立った後の写真です。

最後は消火器穿孔(しょうかきせんこう)で腹水がたまり、
眠るようにゆっくりゆっくり息を引き取ったそうです。

1月28日に風邪を引いたゆうちゃん。

虹の橋へ②

虹の橋へ③

風邪は完治したのですが。

それがきっかけで持病のIBD(炎症性消化管疾患)が再活発化し、
衰弱が一気に進んでいったゆうちゃん。

2月3日の朝はとうとう後ろ足にあまり力が入らなくなりました。

シリンジでゆうちゃんが大好きな猫用リーナルケア、免サポをあげても3本くらいでぷいっ。
便は水下痢&オレンジ、または白い色。

自宅対応での限界でした。

虹の橋へ④

虹の橋へ⑤

2月3日にゆうちゃんを連れて病院へ。

先生と相談した結果、
栄養不良も起こしている為、入院で栄養剤の静脈点滴で衰弱を阻止する処置を行うことに。

まさか、それが生きているゆうちゃんの姿を見る最後になるとは、
自身も、そして相方も想像すらしていませんでした。

そして2月5日の朝。

虹の橋へ⑥

出勤日だった自身は仕事休みの相方にゆうちゃんの面会をお願いして職場へ。

が、職場に向かう最中、
ゆうちゃんの容態が急変したと病院から電話が。

「今すぐ向かいます!」
と先生に伝えて家にUターン。

相方にゆうちゃん急変の連絡を入れ、
家で合流する前にゆうちゃんが息を引き取ったと病院から電話が。

話を聞いた瞬間、信じられなくて頭の中は真っ白。

虹の橋へ⑦

虹の橋へ⑧

自身はゆうちゃんの最後に。

………。

間に合いませんでした。

看取れなかった悔しさ。
もう2度と温もりを感じられない悲しさ。

いろんな感情がごちゃごちゃになっているのが正直なところです。

同時に最後はもがき苦しむことなく、
昏睡状態のまま眠るように旅立っていけたこと。

それを先生からお聞きしてホッとしている自分もいます。

いつか最後が訪れた時。
どの子も出来るだけ苦しむことがないように。

そう願っているものでして。

虹の橋へ⑨

今回ゆうちゃんの死因の引き金となった消火器穿孔ですが。

腸が炎症、または腫瘍が原因で穴があき、
手術でしか穴を塞ぐことが出来なかったそうです。

長期間ステロイドを使用していたゆうちゃんには手術のリスクが高く。

とてもとても辛い選択ですが、
入院した時点で消火器穿孔が分かっていても手術は断っていたと思います。

いっぱいいっぱい頑張ってきたゆうちゃん。

虹の橋へ⑩

もう十分過ぎるんじゃないかと。

ゆうちゃんを家に連れ帰ってきて、
なーちゃん、まなたん、だいちゃん、たっくんと順番に対面。

ゆうちゃんの耳やお尻を何度もクンクンとにおいチェックしているなーちゃん、まなたん、たっくん。
フェレベッドで横になっているゆうちゃんの傍でちょこんとまるくなって寝始めるだいちゃん。

その姿を見ながら涙がボロボロと止まらない相方と私。

虹の橋へ⑪

虹の橋へ⑫

みんなゆうちゃんの死で何か感じているのかな。

午前中にいつもお願いしている移動火葬の業者さんに電話し、
明日の2月7日のお昼頃にゆうちゃんの火葬を行うことになりました。

ゆうちゃんを心配し、励ましてくださった皆様。
最後の最後まで懸命に治療をしてくださった先生、病院のスタッフの皆様。

本当に本当にありがとうございます。

虹の橋へ⑬

虹の橋へ⑭

ゆうちゃん。

我が家の家族になってくれて本当にありがとう。
病気と仲良く最後の最後まで頑張ってくれて本当にありがとう。

出逢えて共に過ごせて良かったと。
心からそう思っています。

いつかまた出逢えると信じているから。

虹の橋へ⑮

またね、ゆうちゃん。

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