<5月4日の動物園・・・入口正面>
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<サル山の日本猿たち>
今日もおかげを頂きました、感謝、感謝です。
曇り空、時折小雨のお天気です、13時のご祈念参拝&御理解を頂き、後、コンビニへ立ち寄り帰宅。
自己体温、36.5℃で平熱、元気です。
現在、霧雨、気温18℃、最高、19℃、最低気温16℃、日の入りは19時9分。
天と大地と御霊様へ拝礼。
今日の御理解・教典-90頁-
覚 帳 12-12-1 明治1(1868)
14. 同じく9月24日仰せつけられ、神号変え。
生神金光大神
丑(うし)
日天四(にってんし)
寅(とら)
鬼門金乃神(きもんかねのかみ)
未(ひつじ)
月天四(がってんし)
申(さる)
大(だい)しょうぐん不残金神(のこらずこんじん)
天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上(みのうえ)安全の幟染(のぼりそ)め立て、
日々祈念いたし。
<教会長先生、御理解>
ここに「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全の祈念をいたせ」
とありますから、私どももさせていただいていますが、なかなか、そこに実感ある祈りが出来ているとは思いません。
けれども、神さまがそう仰せられるからそうします、で良いと思うのです。
神名も同じです。そう仰せられるからそうなのだ、ということ。
教祖さまが表現のしょうもなくて あえてこういうお名前にされたのである、と言うお方もあります。
けれども私は、神様御自身の表明であると思っています。
心がけとしては、先入観をもって見ることをせずに、とにかく先ずき素直に頂くこと。
そして信心を重ねていくうちに自ずと明らかになる解を見出していけばよいのです。
神名は、いわば教祖さまの天地観というものであって、なかなか合点がいかない、と言う人もあります。
私も以前はそうでした。ですから、読む時に、何となく無視していたものです。
今風に言えば、スルーしていたものです。
それが、今から27年前に 「比較宗教学」というお言葉と文字を頂いて、独学で学び始めたのですが、やがて教祖が現わされているお道こそ真の道であると気づきはじめてからは、見方が変わってきました。
つまりは、素直に見るというか、直視するというか、事実を事実としてありのままに見つめるということになってきました。
そうするとですね、教祖のご理解というものが、真に道理に合うた教えばかりであることが見えてきたのです。
つまりは、「ここにいながら天地の大道理を伝えるのである」 と教祖が仰せられるように。
とりわけ、日乃神 月乃神 金乃神 という「天地三神」 というお方こそ最も道理に合った神さまであると。
それで、そういった答えを著書としたのが 11年前に刊行した「天地金乃神さま 基礎編」 です。
刊行した後、ふと、「こんな本を出して良かったのでしょうか」 と神さまにお尋ねしました。
すると御心眼に煌々と輝く御神灯を頂きました。
電球が光っているのをよく見ると、透明ガラスの電球なのです。
透明ですから、中のフィラメントが光を発しているのだということ。
お前が著したのは、神の真の姿を見せたのであると、言われたような感じがしました。
それが、いつまでもいつまでも光続けるのです。
目を開けても、光り続けているのです。それは強烈な印象でした。
さまざま不思議と思わずにおれない成り行きが続きました。
それは、さながら、天地の親神様を親神様と補完されるかのような、お道で頂いている神さまこそ 真の神様であると、そういうことを証明するかのような資料や出来事ばかりでして。
それで、昨年に発行したのが「天地金乃神さま 解説編」なのです。
いずれ、その改訂版を出そうと思います。
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『おかげは和賀心にあり』。
只今、修行中、和楽美・拝。