(1)33代推古天皇の後、34代舒明天皇以降の歴史について
古事記に追記されなかった34代舒明天皇以降の歴史を少し見てみましょう。
図の天皇系図を見てください。
33代推古天皇の後は、34代舒明天皇、35代皇極天皇、36代孝徳天皇、37代斉明天皇(35代皇極天皇が重祚)、38代天智天皇、39代弘文天皇(天智天皇の息子、明治以後に追加されましたので省略)、40代天武天皇へと続きます。
31代用明天皇以降、40代天武天皇まで、蘇我氏と血のつながりのある天皇が即位します。
一人34代舒明天皇を除いて。ここが重要です!!
舒明天皇の父親は、30代敏達天皇の長男、蘇我氏でない母親(息長(おきなが)氏の姫)から生まれた押坂彦人大兄皇子(おしさかひこひとおおえのみこ)です。
押坂彦人大兄皇子は天皇には即位できなかったと言われており、歴史書にはあまり登場しない人物ですが、なぜか『皇祖大兄』とも呼ばれた重要人物です。
非常に不思議な人物です。
石舞台古墳 牧野(ばくや)古墳
4年半ほど前、私はこの押坂彦人大兄皇子=蘇我馬子ではないか、また押坂彦人大兄皇子
=蘇我馬子=アメノタリシヒコではないかと妄想しました。
詳細は、『seko-yaブログ』の『蘇我馬子の陰謀』https://ameblo.jp/totoro-ojisan/theme-10091035380.htmlをご覧ください。
簡単に結論を説明しますと、押坂彦人大兄皇子は30代敏達天皇の長男となっているがこれは偽造。蘇我馬子がここに入り込んでいると妄想しました。
それをうかがわせる理由はいくつかあります。
『蘇我馬子の陰謀』にも書きましたが、もう一度記しますと以下です。