勝手に名付けた横浜歴史散歩シリーズ(第2弾)
1~2枚目は、先日から何度か紹介した「横浜球場」のある「横浜公園」です。(1枚目は日本大通り側から横浜公園入り口付近を撮影。)
実はこの地は、1858年の日米修好通商条約で紆余曲折を経ながら開港することになった横浜の地に、1859年に造られた「港崎(みよざき)遊郭」の跡地なんです。
「港崎遊郭」は、「裏の国際社交場」とも言われたようです。
残念ながら1866年(7年後)の横浜関内大火で焼失しました。400人以上の人が亡くなったとも言われています。
その跡地がその後横浜公園となりました。
横浜公園から海岸に向かって伸びる幅の広い道路が今もある「日本大通り」です。(3枚目 横浜公園側から撮影。)
横浜関内大火の後造り直されたようです。
防火帯の役目も担っていますが、元々は、横浜の港周りの外国人居留区と日本人居留区を分ける境界線でもあったそうです。
関西の奈良京都などと比べると、歴史的には浅い横浜ですが、よく見るといろいろな歴史が残っています。