出雲の国譲りについて、色々と疑問を持っていますが、そこに行く前に、出雲の国譲りについて書かれている二つの歴史書、古事記と日本書記について先に整理しておきたいと思います。
1.古事記と日本書紀
(1)古事記と日本書紀。ほぼ同時期にできた二つの歴史書。
率直に、なぜ正史と言われる歴史書が二つあるのだろう!
日本書紀(Wikipediaより)
古事記が712年、日本書紀が720年に完成したそうです。
奈良時代の元明(げんめい)天皇(女帝)~次の美貌誉れ高い元正(げんしょう)天皇(女帝)の時代に完成しています。
元々は、天武天皇(672年頃即位)が、国としての正しい歴史書を編纂しようと命じたのがきっかけ。
天武天皇は何を記録したいと思ったのだろう?(話が長くなるので、この天武天皇の目的の話は別途。)
日本書紀は、舎人親王を責任者として、皇族、新興貴族などが参加して大々的に編纂したことになっており、正史と言われている。
しかし、物部氏、蘇我氏、大伴氏等の昔から天皇家を支えてきたり旧氏族達はあまり参加していない。(参加させてもらえなかった。なぜ??)
参加したのは太安万侶などの新興貴族だけです。
古事記は日本書紀の大人数とは反対に、天武天皇の勅命で記憶力の達人、稗田阿礼(ひえだのあれい)が口伝えに聴いて憶えた内容を太安万侶(おおのやすまろ)が文書にしたことになっている。
稗田阿礼って誰?
貴族でもない人がどうして天武天皇から直接言葉をかけられて、超人的な仕事をしたのでしょう?
通説では、稗田阿礼は殿上人(五位以上)ではなく、天岩戸事件でお馴染みの天鈿女命(あめのうずめのみこと)の子孫という説もあり、女性説まであります。
稗田阿礼の女性説は別として、日本書紀、古事記とも、成り立ち方がどちらも不自然でしょう。
日本書紀は、神代から天武天皇のお妃で41代持統天皇までの歴史が書かれています。
古事記は神代から33代推古天皇まで。ただし24代仁賢天皇以降は系譜のみ。その代わり日本書紀には書かれていない、大国主命の神話が多くのスペースを割いて記載されています。
因幡の白兎や、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が居る根の国(黄泉の国)への脱出と試練と復活、越の国の女神・沼河比売(ぬなかわひめ)への求愛物語等の神話です。
どうやら意識的に、それぞれ別の目的で、かつ誰かの意思で、二つの歴史書ができたように感じませんか?
つづく