pentēkostē つながる心 | 走り続ける毎日に感謝

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ランニングのこと、仕事のこと、世の中のこと、徒然なるままに書いてます。

予定:朝ジョグ @4.30/km

    夕方 15kmロングジョグ @4.30/km

実績:朝 薄曇 6.1km 26:35 4.21/km

    夕方 薄曇 11.0km 54:59 5.00/km

月間走行:総距離 348km 平均ペース 4.42/km

 

今月の走行は結局348km。340kmを超えたのは2年4か月ぶりか。

2012年から2014年の3年間は、12か月の平均で340kmを超えていたのに、最近はあちらが痛い、こちらが痛いで、めっきり走れる距離が減っている。完全に年寄り状態。

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今日は、キリスト教世界では復活祭(イースター)から7週目に当たり、聖霊降臨祭(ペンテコステ、pentēkostē)と言われる祝祭日。

昇天したイエスが聖霊となって再び弟子たちに降臨したとされる日だ。

 

宗教の話なので、復活って何?とか、肉体の蘇りなんてあるわけない、という反応が当然予想されるのだけど、特に今年のような状況の中では、改めて肉体の限界を持った人間という存在を認識しなおす機会となったのではないかと思う。


幸い日本ではあまり実感がなかったかもしれないが、欧米のパンデミックの状況を見れば、ある日突然親しい人が陽性だと判定され、重篤化し、死に至るかもしれない。自分自身が濃厚接触だと宣言されて隔離されてしまうかもしれない。親しい人に会うことも、別れを告げることもできないままに亡くなってしまうかもしれない。そんな「死」を急に身近に感じたのではないだろうか。

 

宗教というものは、詐欺まがいのご利益宗教を除けば、有限の時間の中で生きる人間が、生きる意味を考え、あるいは死ぬことに意味を見出そうとして生み出したものだと考えている。

 

キリスト教世界では、祝祭の際に聖餐式という名の、パンとブドウ酒を少しずつ分け合って食べる「儀式」がある。十字架に付けられる前の夜にイエスが弟子たちにパンとブドウ酒を少しずつ配って、引き裂かれる自分の肉体と流される血を思い出せと言ったという故事に由来するのだが、いずれにせよそれ以来、仲間が集まって食事をし、飲むことが大切にされている。

 

今年は、これが大きな制約を受けた。集まることも、パンやブドウ酒の配餐を受け取ることも「三密回避」のために避けなければならなくなったのだ。

 

でも、宗教儀式であろうがなかろうが、人間はだれかと一緒に食事をし、誰かと一緒に飲みたい! という強い交わり欲求がある。その証拠に、オンラインランチ、ズーム飲み会が、結構流行っている。

 

人間だから、人とつながりたい、分断されたくない、誰かのことを思っていたい。昔の人は、離れていても同じ思いになれる時に「霊」の働きを感じたのかもしれない。現代人は、もう少し小賢しくなり「バーチャル」につながることができるようになった。でも、ネットの上であっても同じ思いになっていなければ交わっている感を得られないということは、何も変わっていない。