国際機関の存在意義とは | 走り続ける毎日に感謝

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予定:10km走 @4.30/km
実績:11.0km 48:02 4.22/km

月間走行:距離 106km ペース 4.32/km

 

コロナ肺炎ネタを繰り返して恐縮だが、一連の動きを見てWHOのコメント、発表には疑問を禁じ得ない。

 
日本国内でも一部マスコミは指摘していないが(多くの論調は指摘しているが)、エチオピア出身の事務局長の発言が余りに中国寄りと見えるものになっている。
 
中国への出入国は不要という見解は、どう見ても中国政府への忖度だろう。そして中国はWHOの大拠出国なのだ。
 
近年、WHOのみならず混乱を含めて国際機関の活動に疑問が呈されている。まず、国際機関の議決は多数決であり、どの国も等しく一票を有している。建前としては美しいが、関心もなければ見識もない国も多い。その結果、実態は票の売り買いが始まる。はっきり言えば、自国の意見を通すために経済協力で票を買うことは公然と行われている。
 
そして国際公務員のレペルが低いこと。
 
国際公務員として働く日本人が少ないことを、日本人のグローバル意識の問題や、教育の問題として論じる人がいるが、違う面もあることを指摘したい。
 
例えば国連機関の事務局長の処遇がどのくらいか。「日本の」公務員時代に調べて、たいしたことないな(もちろん当時の自分よりも格段に高いものの)と思ったくらいだから数千万円の下の方だろう。無税特権があるとしても2000~5000万円くらいでは?
 
この金額は今や少し稼げる日本人にとってチャレンジするほどのものではないが、途上国の人にとっては一攫千金に近い大変なポストなのだ。だからこぞって応募する。そして、そんなことが目的だから、すぐに汚職に手を染める。札束で頬を叩くような国に忖度する。
 
これが国際公務員の実態。
 
国際組織の中でも、特に酷いのは国連系。特にUNESCO などではなかろうか。かつて粉ミルクの支援を受けた恩義でもなかろうがか、いまだに機能不全の国際機関を有難がる日本のマスコミとそれにリードされた日本人、という実像に気付いた方が良い。