走り続ける毎日に感謝

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最近はめったに記事を書かないが、例の某有名水泳選手の不倫騒動が気になって、書き始めた。

 

始めに断っておくが、私は不倫を肯定しているわけではない。連れ合いが不倫をしていると知れば傷つく人は多いし、自分を気付つけたくないように最も近くにいる他人である妻あるいは夫を傷つけることが許されるものではない。

 

しかし、私は二つの点からこの不倫騒動が偽善に満ちているように思えてならない。

 

第一に、当たり前のことだが、不倫は一人ではできない。相手のいる作業だ。今回の水泳選手が複数の相手と不倫に呼んだというならば、この水泳選手の相手となった女性も複数いたということになるが、彼女らに対する非難はされておらず、あたかも被害者であるかのように扱われている。あるいは無視されている。

 

これはどうなのだろうか。

 

彼が女性を誘ったのであれば、力ずくでもない限り、女性も何らかの同意をして不倫に合意したわけだし、選手が夫人を裏切ったというならば完全に共犯というべきだろう。選手は有名人で相手の女性は一般人だからというが、他人を傷つける行為に関してそこに差を設ける理屈は分からない。有名な人物だから批難されるに値するという理屈であれば、たいして有名でもない一般人なら、例えば私不倫をしても非難に値しないということだろうか。ダブルスタンダードに見える。

 

第二に、不倫報道を読まされて、彼が避難の的になっているのを見ている人は、不倫をしたことがないのか。いや、実際に不倫行為に及んだかどうかは問題ではない。街ゆく女性を好色の目で見たことがないのか、素敵な男性に誘われてみたいと思ったことなど一度もないと言い切れるのか。心の中にこのような思いを持つことと、実際に行為に及ぶことは紙一重である。いや、心情においてもは差がないというべきだろう。

 

そんな私たちが、避難の嵐におぼれかける有名人を見て、内心で留飲を下げている。自分だって機会があれば不倫もしてみたいけど、それほどの勇気も機会もないのに、彼は有名人だからって次々と楽しい思いをしやがって、という本音が透けて見えるではないか。

 

偽善の臭いがプンプンとする。

 

繰返すが、私は不倫を肯定しているのではない。石を投げつける資格もない私たちが、偽善に満ちて彼を非難していることに腐臭を感じるというだけだ。