ミササガパーク帰りに、ほんのすぐ近くによさみという公園があることが案内板でわかった。

よくみたら、ナビに登録してチェックしていた公園だった。

地名は刈谷市高須町にある公園だ。

ととぶろ

わーい!100%はっちゃけてる。すべるからきをつけろ。



あたらしいから遊具が凝ってる。これは楽しい。雨やんでよかった。公園の神様のお陰だ。

ととぶろ

ちょっと、ちびはノリ過ぎた。




にーにと離れてひとりで遊具にチャレンジしてる。

ととぶろ


この奥に水遊びスポットと、ミニSLがある。


ととぶろ

ミニSLは中止で残念。 レストランも、集会室だか展示棟もあってやたら行き届いた公園だ。



これ。うえで詰まってるのがチビ。行きも戻りも出来ずに泣いて立ち往生して困った。

ととぶろ

ぱぱじゃあ、入っていけないんだよ。登れたんだから、おちりから降りれば大丈夫だといっても、手の力が無くなりかけて、落ちると泣いてばかり。

モンキーにいさんよんで来た。

ととぶろ

手足じゅんばんこに掛け声指導して、なんとか出られてよかった。サンキュにーに。



なんだろうと気になっていた隣接する建物。アンテナみたいのがある。

ととぶろ

???



依佐美送信所って、この公園は送信施設あとに出来た公園だったんだ。

ととぶろ

お約束のスタンプ。見学者が誰もいない。



見ごたえある。凄いや。

ととぶろ

モータやら、コイルやら、人によってはどうでもいいものを、ぱぱとにーには興味深深。

ここの2階通路で、約20メートルのロング糸電話を体験した。ちびとにーにで通話。


ここは遊び甲斐があった。
この日はデジカメの充電を忘れていて、だましだまし撮影してたけど、ここでバッテリー修了。

まだ遊べる時間だったけど、もうちびも満足したみたいだから、帰ろう。

でも、帰りに二ヶ池公園や、あいち健康の森など、寄りたいところいっぱい見つけたから、またくるぞ。


またWIIKIでお勉強



依佐美送信所(よさみそうしんじょ)は、愛知県 碧海郡 依佐美村 (現在の刈谷市 高須町山ノ田1番地)に建設された長波の使用を主とした無線送信所 である。1929年 (昭和4年)に運用を開始したが、戦後は米軍に接収された。1993年 (平成5年)、米軍より閉鎖する旨の通告を受け、翌1994年 (平成6年)に日本に返還されたのに伴い、アンテナ鉄塔、建物は解体され、その役目を終えた。

送信設備の一部は記念館に保存され、2007年に高周波発電機が機械遺産 に認定[1] 、2008年には送信設備一式が未来技術遺産 に制定された[2] 。さらに、2009年 (平成5年)5月19日には、IEEE よりマイルストーン として認定された。


概要 [編集 ]

高さ250mの鉄塔 8基(4基×2列)にて長さ1.8km、16条のアンテナ 用ワイヤーを支え、逆L形フラットトップアンテナ を構成した。アース 線は、1.76km×0.88kmの範囲内の地中に深さ60cmで網の目上に敷き詰められた。

発信器は周波数 5,814 Hz を発生させる高周波発電機が用いられた。その出力を三逓倍回路を通して3倍の高調波(17,442Hz)を取り出して使用した。これは当時の発電機で直接17,442Hzを出力することは不可能であったためである。このため発電機の出力周波数には高い安定性が求められ、発電機の回転部分は16トンもの重量(もしくは慣性能率が16トン)となった。また発電機を回転させるのにも商用電源から交流モーターを使って直接発電機を回すのではなく、まず交流モーターで直流発電機を回転させて直流電力を発生させ、取り出した直流を使って直流モーターで高周波発電機を回転させた。これは周波数安定の為に高周波発電機の回転変動を検出し、直流発電機を制御するワード・レオナード方式を採用したためだった。依佐美では予備を含めてこのセットを2組用意し、これらを含めた送信設備は鉄筋コンクリート造り、建延1338.5平方メートル の送信機室に納められた。

対となる受信所は三重県 海蔵村(現在の四日市市 )に建設された。太平洋戦争 開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二○八」を送信 した送信所とされる場合があるが、船橋送信所 または針尾送信所 からであると言う説もあり、定まっていない。足利義満 による相国寺 七重大塔の持つ106mという高さ日本歴代記録を約530年ぶりに更新した。