昨日から、『安楽死を遂げた日本人』という、宮下洋一氏のノンフィクションを読んでいる。

未だ半分程度しか読んでいないが、宮下氏自身が、『安楽死』を自殺幇助と書かれていることに、驚きを感じている。この本を読むまでは、宮下氏自身が賛成の立場で書かれていると信じて、何の疑いも考えていなかった。

だが、この本を読み始めて直ぐに、私の先入観が間違っていることに気付いた。宮下氏は、色々ある死生観を中立的な立場で見続けていることにも気付いた。そんな中でも小島ミナさんとの出会いや小島さんを見送るまでのことや、それに伴う宮下氏の心の逡巡までもが文章にされており、単なる賛成派では無いこと、前半では小島さんの実行に至るまでの経緯について、書かれていた。

その中で、他の希望者についても書かれており、末期がんと診断された男性とのことが書かれていた。「末期がんだと診断されたけど、あまり自覚は無い。スイスでの最期の為に、抗がん剤治療を受けている。」とのこと。この方のことを読んで疑問に思ったことは、なぜ?末期の癌であと数か月後には鬼籍に入ることが確実なことなのに、何故スイスに行かなくてはならないのかと言うこと。

私であれば、残り何か月だと命の期限が明らかになった時、私がやり残したことに対して、時間を使いたいと考えている。私の場合は、読書や旅行にコンサートとか。別荘を借りて、家族と静かに過ごすのも良いかと考えている。私の場合はこう考えているのであるが、末期がんの方の考えは違っていた。あくまでも積極的な治療を受ける目的は、スイスで自分が望む最期を過ごす為だと書かれていた。それも家族には、飛行機に乗る直前まで話さずに決行したいと考えるまでに、この『安楽死』を魅了した理由は何かと考えている。

私は、この二人がこの様な考えを抱くに至ったと言われる、本を読んでいないから、自分勝手な考えでしか考えるしか出来ない。二人が読んで、著者の宮下氏に連絡を入れたという本、『安楽死を遂げるまで』を読むまでは、結論を出すのは止めようと考えている。私は、海外の『安楽死』について、一般的な知識しかない。もっと分かりやすい基準で言うならば、『ウィキペディア程度』の知識しか無いのが現実。

私の基本的な考えは、私自身や家族に限っては、天から与えられた命を最後まで生きるということ。癌や脳血管障がいに心臓病なども含めた、治療が難しい難病に罹ったとしても、緩和治療を十分に受けて、肉体的にも精神的にも、苦痛の無い人生を送ることで同意している。私に限っては、意識が戻らない状態となった時点での、治療の中断を申し入れている。所謂『尊厳死』と呼ばれているような治療を希望し、病院側にも申し出ている。だけど、意識が戻るかも知れない。それは神さまにしか分からない世界だと、私は考えている。

だけど、私が望む最期は、自宅で家族に看取られてが理想。その様に考えておられる方も多いのでは?と、考えることも多い。特に子供たちの多くは、最期まで生きる希望を持っていると尋いている。生きることが困難だと考えるのは、本当に最後の最後だと云う。子供の考えの中には、『安楽死』という言葉は無いと、私は考えている。あるとしたら、大人の誰かが教えたケースだとしか考えられない。子供の多くは、親と共に生きることを考えていると尋いている。だから、子供のように、最後まで家族と共に過ごすことを考えたいのが、私の生き方である。

更に読みながら考えたことは、小島さんの生きるスタイルのこと。家族に介護をしてもらうことが苦痛ということや、繰り返した自殺のこと。私から見えた彼女は、自分勝手な人に思えた。テレビで見えた彼女の横顔以上に、更に、理解が難しい彼女の横顔が見えてくる。『家族にお世話して貰うことが辛い』と彼女は話し、『今でないと出来ない』と話しながら、自殺未遂を繰り返す。姉との在宅の生活が、家族にとっては地獄のような時間であったと、宮下氏も書いている。

だけど、家族に介護して貰うことは、同居を考えた時点で、考えていなかったのだろうか?私にもトイレや食事の失敗は多い。タヌから文句を言われつつ、片付けて貰ったことも多々ある。これらは割り切りだと、私の経験上考えている。辛いと考え始めるとキリがない。人間は誰でも、食事や着替えに入浴やオムツ交換などの世話を受けて大人になっている。親にオムツや下の世話になって育ち、晩年は子供に食事や着替え、洗濯や入浴、オムツの世話になり、人生を終える。考えてみればシンプルなことだと考えているのだが、私の考えは、世の中とはズレているのだろうか?既に、自分の生活は、自分の手の中には存在しない。タヌや訪問看護師とヘルパーが、私の生活の支えである。私がすることは、感謝の意を示すことだけ。意思伝達装置をスイッチで操作して、「ありがとう」と、伝えるだけである。

だが、この「ありがとう」という言葉を伝えることすら、小島さんには苦痛であったように書かれていたように思う。(確認していないので、正確な情報では無い可能性があるが、私の感想のままに進めたい。)  プライドなのか、他の理由であるのかは、文章からは分からない。だけど、自立心が高い方だと、改めて考えている。介護のために家族の時間を与えて貰うよりはと、ヘルパーさんとの契約をしたのは、私と同じ。歩くことが困難になると、電動車椅子を使い始めたのも、私と変わらないように考えている。ただ違っていたのは、障がい者としての生き方だけなのかもしれない。

小島さんは自らが障がい者であることを否定しようと必死になり、私は手帳の等級が重いからと受け止めて、家族やまわりのスタッフに甘えた。それだけではないかと、今となっては考えている。私が発病し、身の回りのことが全く出来なくなってからは、既に20年以上の時間が流れている上に、介助して貰う事に慣れ切っている。小島さんは発病されてから3年目。しっかりされていると考えていたから、障がいの受容もそれなりにと考えていたが、私の勘違いであったことを、テレビで痛感した。彼女は障がいの受容には遠い状態だった。受容が出来ていれば、これ程までに早急な最期は無かったと思う。また、宮下氏への依存もあったから、宮下氏のスケジュールに合わせるような形になったことが、惜しいとしか思えない。

私も家族による介護を受けているが、確かに申し訳ないという気持ちはあるが、死にたいと考える程ではない。小島さんとはブログを通しての付き合いが有り、1か月に1度か2度、コメントを送り、コメントを貰う。主に、『安楽死』に関する内容が多かった。彼女は私に、『安楽死』に関する情報を提供することに対して、私は天寿を全うしたいと返した。

今になって思うのだが、私は彼女の気持ちを理解出来ていると考えていたのに対して、全く理解出来ていなかった。彼女も同じだと思う。私のことを、単なるミーハーか、難病に怯えるひとり程度に考えていたのではないかという思いが、拭い去れない。だからこそ、難病が怖いのであれば、『安楽死』だったのではないかと。

彼女は、自身のブログ上でも、『安楽死』に関する世論の醸成を願う投稿を繰り返していた。まさか、ご自身が海外で実行されるとは、ブログを読んでいた当時は考えてもいなかった。『安楽死』に関する投稿が続いた後、パタリと投稿が止まってしまった。私は単純に、病気によって体調や手の動きが悪いのだと思い込んでいた。私は彼女の一面である、『脊髄小脳変性症』や『多系統萎縮症』しか見ていなかったことも事実。私も彼女には、自分の病気や障がいについてしか伝えていなかったのであるから、同じである。だが、彼女に対して何が出来たかというと、何も出来なかった。今?出来ることは、彼女の冥福を祈ること。そして、生きることに苦痛や限界を感じていらっしゃる方を、何らかの形で支えること。スイスでは、精神に問題を抱えていらっしゃる方や、認知症の方の『安楽死』は、認められていないとのこと。更に高額の費用も必要になる。だからこそ、日本国内での議論の醸成が必要だと思う。彼女のことはセンセーショナルではあったが、時間と共に忘れられていくことでもある。彼女の意思を引き継ぐことは出来ないが、お手伝いなら出来ないかとも考えている。あくまでも、お手伝いのお手伝い程度しか出来ない身体だけれども。

『安楽死』という難しい問題に対して、一石どころか、何石も投げ続けた彼女に対して、そして、多くの考えを示してくれた彼女に対して、何も報いることは出来ないけど、彼女の存在や彼女の考えを、伝え続けたいと考えている。私の立場からの考えでは、議論の提供と、死生観を考えることや宗教観の提供だろうか?多くの方々に見ていただければと考えている。



今日も、支離滅裂な文章をお読みくださり、ありがとうございます。

そして、ここまで、私の拙い文章をお読みくださり、感謝しておりますm(_ _ )m。

初めての皆さま、初めまして(*^.^*)。
いつもお読みくださっていらっしゃる方々、ありがとうございます(≡^∇^≡)。

そして、これからもよろしくお願いします(^_-)☆。