今日は、世間では七夕ですが、こちらの地方では、七夕らしきことは一切なし。来月の7日が七夕ですから、当然かと。

私の七夕は、星を眺めて終わり。それも、星を見ていても、星が見えない。(視力が悪すぎて、全く見えなかった。)  その上、天候も悪くて、月も星も雲に隠れてよく見えなかったらしい。ちょっとだけ残念な七夕であった。

私の願いは、世の中から難病(癌も含めて)や障がいが一切無くなり、誰もが健康で過ごせるようになること。難病が数年で無くなるとは思えないし、私のような、病気についての研究が、全く進んでいない病気もある。癌のように、患者が多いにもかかわらず、その解明が進みきっておらず、死亡者が減らない病気も多い。

そんな病気で亡くなる人や、病気で苦しむ人が、全くいなくなることが希望。私自身、この病気で障がい者となり、ベットと仲良しの生活。そうでなかったら、あれもしたいこれもしたいというような夢も多い。有名な遊園地の乗り物で、制限無く遊ぶことも夢である。

また一方で、将来の夢もあった。薬剤師や理学療法士は、身体のことが合格に届かなかった理由だと、帰り道の駅のホームにて試験官に会って、そう告げられた。当時は、障がい者に対する理解が乏しく、校内の改築も進んでいない時代。介護保険も始まっておらず、電動車椅子が必要な学生には、まだ門戸が開かれてはいなかった。

全ての大学が、障がいを理由に合格を見送っていたわけでは無く、キチンと評価して合格させ、構内の改築に精を出された大学があることも事実。ただし、私には両親から課された条件があり、それをクリアする事が出来なかった。それは、生まれた県か交通の便の良い隣県の大学という条件。当時の学力ならば、落ちることは無いと思っていただけに、ホームでの会話は、気持ちが滅入る為には十分な結果であった。

現在ならば、障がいや病気で学びたい学問を諦めることは少ないとは思うが、現在、再び大学の門をくぐることは、私には難しい。学ぶ為に必要な体力が無いことが最大の理由。それに加えて、介助者が必要であるし、様々な施設も必要。電車に揺られて通学するという、高校生の頃は出来た事が、現在ではリスクになる事が有ることも事実。距離も時間も倍以上かかることも有る。何より、介助者が見当たらない。通学の為の定期の発行も難しい。経済的にも厳しくなる。通えない理由を挙げると、キリがない。

だけど、今は、小説家という夢がある。それで良いかと考えている自分がいることも事実。小説家として、ある程度の収入が入るようになればと考えているのが、今の私。すぐには無理かも知れないけれど、いつかはと考えている。マニュアル本を読んだり、色々な作家さんの本を読んだりしながら勉強中。可能な限り多くの方の目に留まって、名前を覚えて欲しいと考えている。努力に伴う成果があって欲しいと願っている。

話は変わるが、同じ県の隣り合う地域でも、七夕の祭りの日が違うことを、幼い日から感じて育ってきた。私が生まれた地方では、7月開催と8月開催があったからだ。それも、8月8日。その小さな地方都市での七夕を見る事が、私は好きだった。高校もその地方都市では最も歴史のある学校だったから、七夕のシーズンはクラスメイトや同じ部活のメンバーと街を散策した。楽しい思い出である。

こちらの地方では、同じ8月であるが、8月7日。他にも桃の節句や端午の節句もそれぞれ1ヶ月遅れての実施。寒さが遅れての実施の理由だと聞いている。だけど、県内全てが遅れての実施では無くて、県庁所在地や同じ地方でも南のほうは暦どおりだとか。地方によってもさまざまな理由があって、現在の実施の時期であるらしい。そんな理由を探っていくのも楽しいかと考えている。



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