昨日からの拳銃強盗事件に関して、思うところが多く有ります。特に、メンタルの障がい者への風当たりが強くなることが、最大の気がかりです。

今回の容疑者は、取り調べで、「障がいによる犯行」だと、繰り返しているようですし、「自分は悪くない。病気が悪い。」という趣旨の発言をを繰り返していることが、私の中で、強い引っかかりを覚えます。

そして、考えるのは、「心身喪失による不起訴」という事にならないで欲しいということです。これまで多くの犯罪者が精神鑑定の結果、不起訴になりました。

精神障がい者が社会の中で生活するようになり、対等な人間関係を築いてきたのですから、犯罪を起こした場合にも、同じように裁判を受けて欲しいのです。

今回の容疑者の様子をテレビから聞いただけの状態での判断ですから、間違っていることも有ると思います。だけど、精神福祉手帳を所持している友人と比較しても、パッとした印象は、友人よりも重症に見えます。

さらに、テレビからの情報ですが、「病気が悪い」というひと言。推測でしかありませんが、「病気の症状によって、犯行を犯した」という、病気にそそのかされるように、犯罪への罪悪感が無くなったとも考えてみましたし、「病気の症状が、無意識に犯行を起こしていた」というような、無意識下での犯行とも考えています。

どちらにしても、容疑者が犯行を犯したという仮定のもとでの話なのですが、今回の容疑者は、精神障がい者という立場を悪用しているようにしか、現時点では考えられないのです。どのような理由があったとしても、犯行は許されないという、私の考えからです。


それに、今回の被害者である警察官の方の立場から見れば、どんな理由があったとしても、犯罪は許されることでは無いと、私は考えています。

現在の私には、何の犯罪も犯すだけの身体の機能も、知的な能力も有りませんから、一方的に断罪出来るのかも知れないとは考えています。

だけど、障がい者、特に知的障がい者や精神障がい者が誰かに唆されて、大きな犯罪を犯すという話も、耳にしたことがありますが、大きな罪にはならなかったという話も、ほぼ同時に耳にしたように覚えています。

だけど、これからの社会では、精神鑑定は必要かと思いますが、減刑するための精神鑑定ではなく、犯行へと至った裏付けの為の精神鑑定であって欲しいと思うのです。

そして、障がい者も同じように刑に服すべきだと考えています。

しかし、大きな問題も有ります。介護というか、お世話を必要とする受刑者もそれなり存在するということです。これは、どの障がいや犯罪に限ったことではありませんし、高齢の受刑者の問題とも被ると思います。

平成も後半の頃から、介護を必要とする受刑者の問題がクローズアップされていますね。刑務作業の一環に、受刑者の介護が有るとも聞いています。高齢の受刑者や知的障がい者の受刑者は、自らを保護してくれるサービスを知らず、相談することも無く、犯罪に手を染めると聞きます。せめて、若い知的障がい者や身体の不自由な方が服務期間を終えた時に、安心して生活できる場所の提供が出来ないものかとも、考えています。

私は家族との生活だけで手一杯ということが現状ですから、なかなか難しいことだとは考えていますし、誰にでも可能なこと事だとは考えていません。


だけど、今回の容疑者は、精神鑑定で無罪になると考えた上で、今回の犯行に及んだように考えて仕方がないのです。精神障がい者だから裁判にも手心が加えられると、信じているような様子が目に浮かぶのです。勿論、容疑者の顔や姿も知りません。

これまで、多くの精神失調が疑われる犯罪者が、不起訴という形で社会へと帰ってきました。確かに、多くの精神障がい者は無害です。だけど私は、例外の方を何人か知っています。私が知っている、両手くらいの人には、善悪の基準が有りません。つまり、どんな手段を使ってもかまわないから、自分の欲求を満たそうという方たちです。人を傷つけることも厭わないですし、私は首を絞められて、医師と看護師に助けられました。

私の首を絞めた人も、社会の中で過ごしています。見た目は普通の女性です。普段は何処にも障がいの気配はありません。だけど、犯罪を繰り返しています。彼女に財布を抜かれたのは、記憶に新しい出来事です。だけど、精神障がい者+αということで、取り調べに応じないとだけ、聞いています。担当者が真面目に話すように促しても、全く梨の礫だとか。聞いているだけで、腹ただしいです。

私は、今回の強盗殺人未遂の容疑者に、私に危害を加えた人の中のひとりと同じイメージが湧くのです。(首を絞めた方とは別の方です。)無罪になるというか、重い罪にならないと確信してしらを切っているような気がします。

暴力的な表現ですが、このような方には重罪になるように、キチンと裁判を行なって欲しいと思います。

それから、精神鑑定は、不起訴を決める手段ではなく、どの程度の刑務作業が可能か? とか、犯行までの気持ちの変遷を検討する材料にならないか? などと考えています。

無理なことなのかも知れないですが、精神障がい者も一般の市民であるのですから、服役も公平なこととして、広まってくれれば…ということが、私の願いです。



今日も、支離滅裂な文章をお読みくださり、ありがとうございます。

そして、ここまで、私の拙い文章をお読みくださり、感謝しておりますm(_ _ )m。

初めての皆さま、初めまして(*^.^*)。
いつもお読みくださっていらっしゃる方々、ありがとうございます(≡^∇^≡)。

そして、これからもよろしくお願いします(^_-)☆。