6月2日の日曜日のNHKスペシャルについて、話し合いました。
お薬の処方をお願いに行っただけの筈なのに、思わず濃い話になりました。
最近の私の状態は、体調を崩したことも有って、知的活動が停滞しています。書いている小説が止まっているとの話に、
「人生は山あり谷あり。山に登ることだけでも、色んな解釈があるのでは無い?」
という、言葉でした。
私の中での解釈は、
「今は、山に登っているから苦しい。頂上に立てたら、多くの喜びがある。」
です。
小説を書くことに関しても、
「書きたいこと、伝えたいことがある限り、書き続けたい。」
という風に、考えています。
少々、遅いスタートになってしまいましたが、あるライトノベルの作家さんは、定年退職の後に作家デビューされたとか。まだまだ遅いと言ってはいけませんね。
これからは、NHKスペシャルの内容で、医師と盛り上がりました。医師から見れば、年齢や病名を踏まえた上で、まだ、早過ぎる決断とのことでした。
私も、明日をも分からない難病です。明日の朝には、目が覚めることも無く、黄泉の旅路を歩いているかも知れません。
それでも、生きたいのが私の本音です。
タヌが先に旅立ったら?とか、タヌと離婚したらなどと、不安に感じる因子も無いわけでは有りませんが、私の意思を尊重する形での、私の生活についても、話し合いました。
医師は、放送された内容に対して、
「退院を勧められて、退院するなら死を選ぶというのは短絡的。まだ、声で意思を伝えることが出来るのだから、社会に対して、働き掛けることが出来ると考えるのだが。日本国内であれば、自殺幇助に当たるのではないか?日本では殺人罪に問われるのにね。」
と、重い口調で話していらっしゃいました。
そして、
「今でなくてはいけない!と、考えた根拠は何だったのか? 今となっては、死人に口無し。住まいの後始末も家族任せ。無責任だよね。」
などと、私の眠剤を処方して下さっている医師の考えです。
また、希死願望の強い人が全て自殺したら、国が成り立たないと、タヌも言います。全ての国民が自分の意思で死を選んだら、税金に社会保障に全ての産業やサービスに刃毀れが起きます。
ご飯の質が落ちるかも知れないし、必要な物が手に入らなくなるかも?こんな世界になるかも?です。
「もし、日本に徴兵制が有れば、国民の何割が安楽死を選ぶか?」
というのは、タヌの考えです。
『安楽死』を認めてはいけないという考えは、私たちふたりの間で、共通している考えです。
前述のとおり、私の神経内科の主治医は、私の病気について、
「突然死の可能性が高いよ。」
などと、言っています。
その話を聞いた、メンタルクリニックの医師は、
「心臓にしても脳卒中や癌の一部においても、急に死ぬ時は、苦しいのは一瞬だけ。後始末も誰かに任せて、良いもんだ。辛い一瞬だけの我慢で良いからな。」
などと、軽い口調です。
私に向けての言葉ですが、「安楽死」と「突然死」は違う。と言うように、解釈しました。どちらも哀しい事だと思います。苦しみと自分の心の限界による、予定されている死も有るでしょうけれど、生き抜く事の素晴らしさも有ると思います。
この、「安楽死」を選んだのが、我が子だったらと考えて欲しいのです。今は、悲しい親子関係も有ると思いますが、親のリタイアをその目にされた多くの方は、複雑な思いが有ると思います。
私の場合は、
「私たちより先に死んだら、許さない!」
母の言葉です。
このような方も多いと思います。
十分に話し合った上で、自分の苦痛や家族への思いをお互いに汲み取って、反対する人が居なくなって初めて、『尊厳死』を選ぶ権利があると考えます。
私は、「安楽死」と『尊厳死』では、考え方が違うと思います。事故なり病気なりで、自己主張が不可能な状態になっていたり、脳死や植物状態となってしまった時に、医療処置を止めることが『尊厳死』だと、私の中の勝手な定義です。
それに対して、「安楽死」だと、自らの意思を伝えることが大前提だと、今回のケースだけではなく、約7年前の、アメリカでの11月1日に安楽死すると宣言して実行された、脳腫瘍の女性のケースの時に調べたことを思い出しています。
色々な考え方が有るかと思います。
それでも、私は生きたい!
そのように考えています。
(私の考えを、押し付ける気は、全く有りません。)
今日も、支離滅裂な文章をお読みくださり、ありがとうございます。
そして、ここまで、私の拙い文章をお読みくださり、感謝しておりますm(_ _ )m。
初めての皆さま、初めまして(*^.^*)。
いつもお読みくださっていらっしゃる方々、ありがとうございます(≡^∇^≡)。
そして、これからもよろしくお願いします(^_-)☆。