長崎駅からは、
ここ数年ずっと行きたかった場所
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鹿児島へ。
知覧特攻平和会館にずっと行きたかったのです。
戦争を勉強したいと
言うと必ず行っておいた方がいいと言われる場所。
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おびただしい数の灯篭と桜道。
不思議な空気感。
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知覧特攻平和会館は
太平洋戦争末期
沖縄に上陸してこようとするアメリカ軍を主体とする連合軍と日本軍の戦いで
爆弾を積んだ飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、絶筆などが
保存、公開されている場所です。
館内はすべて撮影禁止なので
ネットで公開されているものをお借りしてご紹介しますね。
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こちらの絵画は
紅蓮の炎をあげて燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄を6人の飛天(天女)が救い出し昇天させる姿を表したもの。
この絵をみた瞬間から涙がとまりませんでした。
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明日には特攻にいくと決まっているのに
こんな笑顔。
遺書には
「みな、清々しい気持ちです。笑っていってきます。」
「必ず命中させてきます。」
「親孝行できなかったことをお許しください。」
死を目の前にして書かれた遺書は
お父さんとお母さんへの感謝の気持ちを述べものが圧倒的に多く
一番若い方で17歳、
20歳前後の男の人
男の子と言ってもおかしくないくらいの年齢の方が
1036名も大空へと飛び立ち散っていきました。
ずらーっと並ぶ遺書、遺影を
そこにいる多くの人が涙をおさえながら
じっとみていました。
こんなにたくさんの人が、、、
と唖然としました。
本当に綺麗な字。
そして立派な文章。
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外には
特攻の日までの数日間を過ごした
三角兵舎。
出撃の前夜にはこの三角兵舎で壮行会が催され
酒を酌み交わしながら
隊歌を歌い
薄暗い裸電球の下で遺書を書き
別れの手紙をしたためて
出撃していったそうです。
特攻平和観音堂をお参りしていたら
ずっと会館にむかって
帽子を脱ぎ頭をさげて
祈っている方がいました。
胸が痛くなりました。
ふと気付いたら
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ここだけ桜が満開だった。
気付いたら何時間も
知覧特攻平和会館の中で
全部は無理だったけれど
ひとつひとつ、じっくり
いかなくちゃならなかった
いろんな方の人生の最期を覗かせてもらった。
永遠の平和を願いながら勇士たちは...
今でこそ
「無限の未来のある若者がしなきゃいけなかったことなのか。」
「こんなの集団催眠だ」
とか
「非人間性の作戦行動」
とか怒りにも似た感情が生まれてくるのですが
果たして
その時代、存在していたらどうなのか
ずっと考えていました。
絶対に、
こんなのおかしいだなんて言えないし
大事なひとが守れるなら、、、と考えてしまうかもしれない。
特攻隊員より大人なはずなのに
あんな文章書けない。
想像しようと思っても
どうしても想像できませんでした。
語り部さんがおっしゃっていました。
「
敵艦につっこむとき
「天皇陛下万歳!」って言うひともいたかもしれない。
でもね、ほとんどのひとが
「おかあさん、、、」
って突っ込んでいったんだよ。
」
そして、やはり
「日本人だけじゃなくて
中国人、韓国人も数人、特攻隊員として
出撃していったんだよ」
語り部さんがおっしゃっていたのが印象的でした。
特攻隊員のおかげで
今の平和な世の中があるんだ
っていうことには納得できないかもしれないけれど、
でも、、
知覧特攻平和会館。
行けてよかったです。
遺書、遺品、絶筆、、、
膨大な量で
全部は見られなかったけれど
お墓参りのつもりで
また、知覧に戻ってこようと思います。