卒業生の名前が一人一人呼ばれる中、果てしなく自分の番が遠く感じ、蜥蜴はぼんやり明穂の後ろ姿を眺めていた。
彼と仲良くなったきっかけを思い出そうとしても、どうしても思い出せない。
高校生活の中で気付いたら2人、一緒に行動するようになっていた。
ただ、思い出にある一番古い記憶の中で、誰もいない放課後のOA教室にて、蜥蜴は明穂に説教されていた。
「なんで言い返さないんだよ!」
この日、授業が始まる直前に英語の教科書を隠された蜥蜴は、ヒステリックに叫ぶ女性教師に、何故毎回忘れ物をするのか詰られていた。
「すみません。」
生徒全員の前で1人立たせられ謝る蜥蜴の姿を、明穂はイライラした面持ちで眺めていた。
あともう少しでも、彼女がひどい勘違いから、彼に心無い言葉をかけようものなら、立ち上がって、言い返してやろうと思っていた。
「あぁいう時は、本当のことを言えよ!」
明穂は放課後になっても、他人のためにイライラを募らせていた。
その時の明穂の真剣な顔を、蜥蜴は静かな無表情で眺めていたが、「彼が好きになった」と、はっきり自覚していた。
最後のホームルームが終わり、校外に出ると、後輩達から小さな花束を渡され、涙ぐむ舞子がいた。舞子はこちらに気づいて、手を振ってやってきた。
「2組終わるの遅かったね!」
蜥蜴が頷くと、携帯出して、とせがまれる。
蜥蜴は要らないと言い張ったが、キセルに持たされたスマホをバッグから取り出し、舞子に渡した。まだ明穂の連絡先しか登録していない。
彼女は慣れた手つきで、画面を操作して、
「これが、私の番号とアドレスだから。連絡するからね。また会おう!」
と元気に笑った。
「・・・舞子さん、君のお茶、美味しかったよ。家でも飲んだけど、学校で飲んだやつの方が美味しかった。」
ある日、猿子のキッチンを覗いていると、銀色の小さな缶に目が留まった。聞くと、抹茶ですよ、料理に使うんです、と言うので、缶の蓋を慎重に開けてみた。
「飲んでみます?」
と言いながらも、猿子は笑って、これしかない、とカフェオレボウルとミルク用のクリーマーを取り出した。
その時のことを思い出しながら言うと、舞子は笑ってありがとう、と言った。
「ねぇ、覚えてないと思うけど。前に私がチョコレート作ってきたことあったでしょ?」
蜥蜴は頷く。
バレンタインの日に、決まって舞子はチョコレートを作ってきてくれた。
しっかりテンパリングしてから、モールドに流し込んで作ったと思われる、つやのある売り物のようなチョコレートだった。
「最初に岸くんに食べさせた時、小さいチョコなのに、ちゃんと2つに割って食べたでしょ?で、水飲んで、口の中リセットさせてから、別の味食べてくれた。」
そうだっけ?と言うと、そうそう、と頷く。
「チョコレートを大切にする人に悪い人はいない!岸くんは絶対いい人だって確信したの!」
なんだそれ、と言って笑ったが、蜥蜴は手を差し出した。舞子は俯いて手を握り返す。
生涯の友情を、交した気がした。
そう言えば、舞子とも、仲良くなったきっかけを覚えていない。
校門を出て歩いていると、後ろから呼ばれる声で振り返った。
和が駆け寄ってくる。
「明穂くんに告白した?」
隣を歩きながら、蜥蜴の顔を覗き込む。
「する予定ない。」
「そう、つまらない。傷心の時こそチャンスなのに。」
明穂と麗香が別れた、ということを、本人より先に知らせてきたのが和だった。
「そう言えばこれ、ありがとう。」
蜥蜴は、和から借りた最後の本を、バッグから取り出した。
和はそれを受け取ると、
「今までたくさん君には本を貸してきたから、レンタル料を請求する。」
と笑った。
蜥蜴が眉を上げると、なんでもいいから、とせがまれる。
ふと卒業式と言えば、ボタンと、思いつく。
目線をボタンに向けると、和は「そうそれ!」と言わんばかりの顔をした。
一つだけ、以前、同級生から身体を地面に叩きつけられた衝撃で、表面が歪んだボタンがあったはず。それを外すと、彼女に渡した。
「ありがとう、親友。
私達、見た目が変わっても、このボタンさえあれば、どこで会ってもお互いがわかるね。」
猿子にメールで呼び出され、和と別れたあと、彼の部屋を訪ねた。
彼は蜥蜴を見るなり、
「珍しいですね、第二ボタンじゃなく、第三ボタンをあげてきたんですか?」
とからかった。
「なんで、第二ボタンか分かります?ハートに近いから、ですよ。君は誰かに胃袋でも掴まれたの?」
と言ってまた笑った。
ソファに腰掛けると、猿子は奥から封筒を持ってきて、中身を蜥蜴の目の前に置いた。
「写真が出来たので、これを彼に持っていってください。」
蜥蜴は写真の中の自分を横目で見て、すぐさま、封筒にしまい込んだ。
少し開いた片足を投げ出し、椅子にもたれるように座り、顎を軽く上げた自分が、異様に思えて恥ずかしくてたまらない。
「あぁ、言い遅れました、おめでとう。」
そう言いながら、手にいつもの蜥蜴用のマグカップを持って、猿子が隣に座る。
彼の華奢な手首を掴むと、ソファに2人沈み込む。
跨って、制服の上着を脱ぎ、彼のシャツのボタンを外そうとした。
猿子は眉をひそめて、蜥蜴の手から逃げようとする。
「もう、高校生じゃない。・・・それに、分かるんだ、あなたは、ここを舐められると、抵抗出来ない。」
そう言って、蜥蜴は猿子のシャツのボタンを外すと、胸に舌を這わせた。