書籍レビュー「暴力はどこから来たか?」

 

 

まず、最初になぜ?この書籍のレビューを書こうと思ったのか?を説明すると

 

近年は日本と隣国の関係がにわかに緊迫してきているのはご存じかと思う。

ネット右翼、通称ネトウヨなんて言葉もあるけど(若干私はネトウヨだけど)日本人の民族として存続の危機感を感じる人が増えてきて「ナショナリズム」傾向の人が増えてきている。

 

ナショナリズム、つまり愛国心がある事は結構だと思うが、時にそれは過激になると「レイシズム(人種主義)」になってしまう事がある。

 

ネットを見ると、中国や北朝鮮という言葉に過剰反応して、中国企業が日本に進出すると「侵略だ!」と脊髄反射的に過剰反応しているケースも多く見られる。(最近だと熊本TSMC問題が記憶に新しい、台湾半導体ファブ企業のTSMCの創業者が中国人だというだけで大騒ぎした)

 

また、イスラエルとパレスチナ問題などではニュースを見ればガザ地区の小さな子ども達が空爆に巻き込まれて悲惨な姿になっている映像が流れ、それを見て心優しい人などは自分の無力さからくる自責の念に苛まれ、時に心を病んでしまう人もいる。

 

そんな悲惨な状況を見て、中にはイスラエル軍に強い怒りを感じてしまう人も多いと思う。

 

冷たい言い方かも知れないが、僕はそのようなニュースに余り感情的になるべきじゃないと思っていて、冷静になる事こそが世界平和につながるのではないか?と思っている。

 

というのも、感情的になると問題の本質を見失ってしまうのでは?という気持ちがあるからだ…

 

更にレイシズムのような状態になると収拾がつかず、時にそのようなレイシズムは為政者に悪用され、世界平和と真逆の方向に世論を誘導されかねないとも思っている。

 

イスラエルとパレスチナの問題はレイシズムによる「報復に対する報復」の繰り返しである事は間違いない。

 

この憎しみと暴力の連鎖をどうやって人類は克服すべきなのか?皆さんはどう考えますか?

 

この「暴力はどこから来たか?」は、京都大学名誉教授の山極寿一氏の著書である。

山極教授の専門は霊長類学、人類学者であるので、正にこの書籍のテーマを説明する人物としてうってつけだと思う。

 

学者らしく、感情を排除して冷静な目で霊長類のコミュニティー、または人間の文化、歴史を観察している。

そして、その観察から「人間の暴力の起源はどこから来たのか?」という謎に迫っている。

 

例えばゴリラの「子殺し」について書いている項では、群れのボスが入れ替わった時に新しいボスゴリラは古いボスの子供をその母親ゴリラの目の前で殺してしまう事がよくあるのだと言う。

そして、恐ろしい事に母親ゴリラは全く子供を助ける事なく、時には容認するような素振りを見せる事もあるらしい。

 

その上に母親ゴリラは子供が殺された後に、目の前で子供を殺した新しい群れのボスゴリラと交尾をすると言う。

 

このような話を聞くと「なんて残酷なんだ!人間と違ってゴリラは野蛮な生き物だ!」と感情的に思ってしまいがちだが、これには理由があって、簡単に言うとゴリラの生存戦略だと言う。

 

母ゴリラは子供がいるとホルモンの関係で新しい子供を宿す事が出来ない為に殺すのだという。

 

詳しい説明を本文から引用すると…

「授乳が止まった事によってプロラクチンの抑制が解かれ、エストロゲン量が上昇して発情するようになったと考えられる」

 

つまり、子供がいると授乳の際にホルモン分泌されて発情出来ないので、強く若い新しい群れのリーダーの子供を産むためにやむを得ず子殺しをしているというのだ

人間ではちょっと考えれない事だ…

 

なんて残酷なんだ!ゴリラは自分勝手だ!酷い!と思う人もいるだろう。

 

しかし、人間を少し考えて欲しい。

 

人間は冒頭書いたように、自分達と民族が異なるというだけの理由で、宗教が異なるというだけの理由で、直接的な利害関係の無い、何の罪もない子供たちを殺しているではなかろうか?

 

また、人間の殺戮には制限がないのも特徴で、ゴリラの子殺しはより若く強い子孫を残すという現実的な目的があってされる事であり、最終目的は種の存続であり我儘と言えるだろうか?

 

対するイスラエルとパレスチナの問題は複雑ではあるが「宗教」「領土問題」「人種問題」が原因である。

 

そこには制限がない。

 

「一族郎党根絶やしにする」という言葉があるが、現在のパレスチナ情勢などを見ると分かりやすいが、さながら民族浄化のような状況になっている。

 

ガザの住民は繰り返される空爆と兵糧攻めで住み慣れたガザ地区から放出されようとしていて、残った住民の命も風前の灯である。

 

このままだとガザ地区の住民は根絶やしになる危険性も出てきている。

ここまでする必要があるのだろうか?なぜ?ここまでするのだろうか?

 

こんな事をしても新たな「憎しみ」を生み出し、憎しみのループは無限に繰り返してしまうので、全く合理的ではない。

 

こんな事をする生き物は人間だけだと言える。

人間とゴリラの殺戮はどちらが我がままなんだろうか?

 

山極氏はこのような人間だけが行う理不尽な殺戮には特徴があると言う。

それは全てが人間の「想像力」が作った「概念」が元で始まる殺戮だと言う。

 

例えば、分かりやすいのは「宗教」である。

本来は人間の幸せの為の宗教だが、時に大量虐殺のきっかけになるのも宗教である。

猿に宗教はあるか?と言えば絶対に無い。

神を語る人は多くいるが、実際に見た人はわずかである、宗教はリアルというよりは概念の産物といえる。(全てとは言ってない事に注意)

 

「土地」の概念も人間特有のものであると言う。

例えば、小鳥は止まっている枝が「これは私の枝だ」と主張して、他の鳥と喧嘩になる事があるだろうか?

しかし、人間は本来は誰の所有物でも無いはずの土地を巡って争いが起こる。

実際の地面には土地を示す線などは一切に見当たらない、土地や領土は人間の想像力が作った概念だ。

 

なぜ?土地の概念が出来たのか?山極氏は「家系図」と「農耕の発展」が関係すると言う。

 

実は「家系図」「土地」は農耕文明特有のものだと言う。

事実として、世界中の多くの狩猟民族には「家系図」に当たるものや「土地」に当たるものはないそうである。

 

理由はそもそも狩猟民族は特定の場所に定住しないからだと言う。

その時その時で捕れる獲物は生息する場所が変わってくるために絶えず移動するのが狩猟民族である。

 

また、家系図はそもそも「豊かな農作物が育つ土地」や「備蓄した食物」などを子孫に継承するために作られたもので、やはり人間の想像力の産物だと言う。

 

なので、家系図や土地と言う概念は豊かな土地に定住する農耕文明が想像した概念だと言うのだ。

 

そして、その概念は人間の最大の暴力である「戦争」と関係する。

世界中で大規模な戦争の痕跡が見つかるのは、おおよそ農耕が始まった1万年前以降からだと言う。

日本でも13000年前~3000年前の縄文時代の間

約10000年間は大きな戦争の痕跡は見当たらず、痕跡が見つかるのは農耕が始まった弥生時代以降からと言われている。

 

一般的なイメージとして「狩猟民族は野蛮」であり、狩猟の為に武器を作って、火を使う事を通して、人間の脳みそが大きくなっていったという俗説があるが

 

これは第二次世界大戦後に、戦争を経験する事で得た心の痛手を癒したい世間の雰囲気と、当時レイモンド・ダートが発掘した霊長類の化石に対する間違った報告が元で生まれた一種のプロパガンダの様なものだったそうだ。

 

それに当時のハリウッドが飛びついて「猿の惑星」やら「2001年宇宙の旅」などの暴力的な猿が武器を持ち「智恵」を身に付けたという物語が流行ったらしい。

この辺りの話はめちゃくちゃ面白いので、是非書籍を購入して確認して欲しい。

簡単に言うと私たちは過去のプロパガンダに今も洗脳されている状態だと言う事である。

 

少し脱線したが、このような人間の争いの元になる創造力が作った「概念」には、言ってみるとこれといった「実態」は無い。

 

「宗教」だと「神」を語る人は沢山いるが、実際に見たと言う人は限られる。

「土地」や「領土」の境界線は実際の地面に線が引かれている訳でも無い。

「家系」や「財産」は実際にあるではないか?と言うかもしれないが、動物には「家系」も「財産」も無いので、人間の頭が作った概念なんだろう。

 

特に家族とは異なる血筋が作る共同体概念で、山極氏によると「財産」を共同体間で「非互酬的」に共有するために作りだした概念だと言う。

 

簡単に言うと嫁の借金は旦那の借金であり、嫁の財産は旦那の財産でもある。

また、時には嫁の借金を旦那のお父さんが肩代わりする事もあるだろう。

そこには貸し借りの感覚はなく、非互酬的に財産は共有されている。

 

また、家族の優れた点は本来は不可分である「性」を共有する事が出来る事だと言う。

例えば、お嫁さんは結婚すると両家にとっての所有物となる。

 

こういう事を書くと私が「差別主義者」と思われかねないが、これは書籍に書いてある事だと念の為に注釈を入れておきます。

 

簡単に言うと異なる血筋のA家とB家の財産、また互いの不可分の財産である娘と息子を「夫婦」とする事で、A家とB家で財産を共有できるようにした仕組みが「家族」という概念だと言う。

 

人間はこの「家族」という仕組みを作る事で、猿の「群れ」より巨大で強力なコミュニティを作る事が出来るようになったという。

 

財産も「貨幣」などは分かりやすいが、明かに人間の想像力が作り出した「概念」だ。

現在の「不換紙幣」による「貨幣」は「信用創造」と言って、金、銀を担保にしていた「兌換紙幣」と全く異なり実態は無いに等しい。

 

どれも実際には存在しない、感情を排除して事実を観察すると人間が生み出した概念だと分かる。

そんなドライに生きて何が楽しいと言われそうだが、いくつかメリットがある。

逆に言うとこれらの概念には人間特有の非現実的な「暴力」に繋がるデメリットがある。

 

「宗教」「土地」「人種」「財産」これらは概念だからこそ、それから生まれる「怒り」「憎しみ」には限界が無い。

 

例え話をすると…殴られた時の物理的な痛みは「発痛物質」が無くなれば消えるが…

恋人を失った時の心の痛みは脳が作り出した「概念」である。

言い換えると「妄想」なので、それについて思考出来る限りは「痛み」は無限に膨れ上がってしまう可能性がある。

 

それと同じく「人種」「宗教」「領土」「財産」などで生まれた「怒り」「憎しみ」は概念なので、どこかで歯止めをかけないと場合によっては無限に膨らんでいく。

 

それが時には「一族郎党皆殺し」「子々孫々根絶やし」などの大量殺戮に繋がる事がある。

 

動物はリアルを生きているので「怒り」「憎しみ」があったとしても一瞬のことで、シマウマが自分の子供を殺したライオンを付け回して、あの子の恨みを晴らすとばかりに寝ている隙に殺したとか聞いた事あるだろうか?絶対に無い。

 

それはそもそも、人間以外の生き物には「長期記憶」が余り出来ない事や、文章の文節が作れない為に「文脈」での思考が出来ないからである。

 

想像というのは記憶力と言語力が無いと出来ない事だ。

特に人間の言語は「リカージョン(入れ子構文)」と言って、無限に文節を作る事が出来る為に理論上は無限に妄想をする事が出来る。

 

その妄想は社会に役立つ時は「想像力」と言われ褒めたたえられるが、間違った使い方をするなら暴力や大量虐殺の源にもなる。

 

この人間特有の「想像力」の危険性を説いている著名人は他にも結構いて、私が知る限り「利己的遺伝子」のリチャード・ドーキンス「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリなどである。

 

 

 

多くの著名人が警鐘を鳴らすように、21世紀の私たちが「戦争」に終止符を打ちたいと真に願うなら、人間とは何か?と言う事や、人間特有の能力であり、人類をここまで発展させた「想像力」のデメリットについても真剣に考えていく事が重要ではないか??と個人的には考えている。

 

この「暴力はどこから来た」は、ここで述べた内容以外にも「食物の質と分布と群れの関係」「猿はどうやって?インセストタブー(近親間性交渉)を回避するか?」「母系と父系」など、人間でも起きうる同様の問題を考える上で参考になる話がたくさん載っているので、興味が沸いた方はおススメなので是非ご購入頂きたいと思う。

 

最後に…

 

実は私たち運動指導者はこの問題の事を真剣に考えないといけないと思っている。

なぜなら、私たちの運動指導の仕事内容に密接に関係している問題だと思っているからだ。

「なんで?」と思われる人も多いと思うが、それは書くと相当長くなると思うので別の機会に書こうと思う。

 

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