中学を卒業し制服のない高校に進学することになったわたしは、
先輩や同学年に存在するひとにぎりのおしゃれさんに衝撃を受けました。
最初に感じたことは、ばれる…!ということです。
「ばれる」というのは、少し奇妙に感じる方もいると思います。
ただ、わたしの「おしゃれ」は雑誌のモデルのようになる、
ということだったので、雑誌で輝いているものだったら何でも良く
わたしの意志はツメの垢ほどしか反映されていませんでした。
なので、いざ彼らを目の前にすると、自分のおしゃれは「ウソ」で「ハリボテ」
だということを見抜かれてしまうのではないかとものすごい恐怖が襲ってきたのです。
雑誌に載っている服とメイクをするだけのできの悪いマネキンのようなわたしは
「自分が雑誌の中のモデルのようになること」
「自分の責任ではなくて誰か他の人になること」
を楽しんでいると同時に、自分というものを捨てさり
他の何かになろうとして、とても苦しんでもいました。
もう少し鼻筋が通っていたら…もっと…
もう少しまつげが長かったら…もっと…
もう少し目がぱっちりしていたら…もっと…
もう少し顔が小さかったら…もっと…
もう少しお金があったら…もっと…
もう少し…
もう少し…
もう少し…
もっと…
もっと…
もっと…
いつも足りない部分だけを見ては、自分はあのモデルのようにはなれていない…
だから、もっと、もっと、もっとあたしにはかわいいものが必要だと
自分を否定的に捕らえ、足りない部分を補うことを「おしゃれ」だと認識していました。
でも、高校で出会ったおしゃれな人たちは全く違っていました。
仲良くなって、もっとおしゃれになりたいと思ったわたしは
自分と彼らの違いを分析しました。
わたしと彼らの違うところ…
・彼らはおしゃれを楽しんでいる(自然体である)
・自分がどういうものが似合うのか模索している
・自分の良いところを分かっている
の3点。
それからのわたしは、あんなに読んでいた雑誌を全く読まなくなりました。
魅力的な人(3)に続く…
