そもそも日本人で、ウォール街でボードメンバーになれた人は、本当に数少ないと思います。
そんな中、かつてソロモン・ブラザーズで副会長にまでなった明神茂氏について、まとめてみようと思います。
情報が本当に少ないですが、英語で少しあったので、まとめてみようと思います。

明神茂氏は、「Sigeru」というのが発音しにくいので、「Sugar」と呼ばれていました。
名古屋生まれ、中央大学卒業後の1973年、山一証券にセールスマンとして入社。
2年後、山一証券のロンドン支店に転職するも1979年にソロモン・ブラザーズに転職し、1980年代に日本に戻ってきます。
ソロモン・ブラザーズに移ってからは、金融工学を用いた債券のアービトラージなどで結果を残し、1989年~1991年にはソロモン・ブラザーズ全体の税引き前利益の半分を稼ぐまでになりました。
(ソロモン・ブラザーズの1991年の税引き前利益は9億1900万ドル)
ちなみにこれってすごいことで、今のゴールドマンは1108億円の売り上げで136億円の純利益を出しているけど、当時の日本は、バブルが崩壊している時なので、チャンスといえばチャンスだけど、すごい。

一方、彼がいたソロモン・ブラザーズは、「ウォール街の帝王」とも呼ばれる時期もあるほど力のあった投資銀行でした。これは、ジョン・メリウェザーという辣腕トレーダー率いる債券アービトラージ部門が莫大な利益をあげていたためです。
しかし、ブラックマンデーあたりから業績が低迷し始め、ウォーレン・バフェットから7億ドルの出資を受けます。そこに1991年に米国国債の不正入札が発覚し、ボードメンバーが退陣してしまいます。そこで、1991年に明神茂が副会長に指名されたわけです。
そんな明神茂氏は1996年に、現金と株式で3100万ドルを受け取っています。
その後の1997年にソロモン・ブラザーズは、サンディ・ワイル率いるトラベラーズグループにソロモン・ブラザーズは90億ドルで買収されます。この時、明神茂氏は1140万ドルのトラベラーズ株を受け取り、退職しています。そのトラベラーズグループはシティ・コープと合併し、現在のシティグループになるのです。

ソロモン・ブラザーズを退職した明神茂氏は、1999年にポール・チューダー・ジョーンズに雇われますが、2002年に退職しています。
今、何をされているかはわかりません…

そんな彼には幾つも伝説が。
1.野球のバットを持っていて、机の上には米軍のヘルメットが置いてあった。
2.トレーディングルームで自転車に乗って、従業員にクリームパイを投げていた。
3.重要な取引がある場合、スタッフは先物契約の四半期ごとの満了前に神社にお参りに行った。

3つ目は、できるかなー。

最後にソロモン卒業生について。
有名な人をたくさん生み出しています。

松本大 マネックスグループ創業者
谷家衛 あすかアセットマネジメント会長
三上芳宏 シンプレクス・アセット・マネジメント元代表取締役
金子秀樹 シンプレクス代表取締役
マイケル・ブルームバーグ ブルームバーグ創業者
アラン・ハワード Brevan Howard創業者
エリック・ローゼンフェルド、ジョン・メリウェザー LTCM創業者
マイロン・ショールズ ノーベル経済学賞受賞、LTCM創業者
マイケル・ルイス 作家『ビッグショート』

参考文献はこちらです~
http://www.independent.co.uk/news/business/profile-shigeru-sugar-myojin-as-sweet-as-it-comes-1234060.html