どうも、こんばんわ。
まだまだ寒く、雪がなくなったと思ったらまた降って、という日々が続いております。
突然ですが、
昔話をしようと思います。
感動的な話でもないし、気分が悪くなる話ではありますが
暇つぶし程度に、読んでくだされば幸いです。
もちろん、読まなくてもいいです。
他にもっとやるべきことがあるでしょうし、他にもっとおもしろいブログがあると思うので、そちらへ行ってください。
自分の周りの環境も変わってきて、身辺整理のつもりで書き残しておこうと思います。
今までで一番、長いです。
そして、読みづらくなってしまいました。
それも踏まえて、ご理解いただいた上で、読んでください。
それでは、さっそく始めます・・・。
私の小さい頃は、それなりに裕福で、好きなことだけしていたいました。
両親と兄弟、自営業の祖父母と一緒に暮らし、好きな物は買ってもらって、我儘な子供だったと思います。
楽しい生活が、このまま続くものだと思って、私は好きなことを好きなように過ごしていました。
そんな楽しい生活が一変したのは、私が中学生の時でした。
叔父が結婚しました。
その叔父は、子供の私が見ても出来の悪い人間でした。30歳を過ぎても母親から離れられず、仕事はしているが、あまり役には立たない。仕事も父親のコネで就いた仕事で、一人では何もできないタイプの人間だった。そんな役立たずを祖父母は溺愛していた。私も溺愛されて生きていたけど、このまま過ごすと、この人みたいなダメな人間になるのかと嫌になったのを覚えています。
その人が、30歳半ばで、突然結婚相手(以下:叔父の嫁)を見つけてきました。そして、その叔父の嫁が、私の生活を一変させる、元凶となったのです。
叔父の嫁は、ほとんど笑わず、笑顔が作った置物のような冷たいもので、気味が悪いと感じました。結婚後、祖父は、2人に一軒家を与えました。そこで、夫婦は暮らし始め、2人の子供(以下:子供A、子供B)を授かりました。その後、息子を溺愛している祖父は、私たちと同じ敷地内に新たな家を建てて、そこににその一家を住まわせたのです。
一緒の敷地内で過ごし始めて、叔父の嫁の本性が露わとなってきました。
子供2人の世話を祖母にまかせ、自分は働きに行き、礼も言わず祖父母たちの面倒もみない。それどころか、金を要求することもありました。
祖母は面倒見がよく、嫌な顔せず子供Aと子供Bの面倒を見ていましたが、高齢となり、うまく体が動かなくなってきました。それを全く気にせず、叔父の嫁はほぼ1日中子供の面倒を祖母にみさせていました。
私たちは、祖母がやっていることには深く介入はしませんでしたが、買い物など生活面のフォローはすべて私たち一家に頼ってきていて、次第に祖父母との関係が悪くなっていきました。叔父の嫁には何も言わないくせに、私の両親には色々と頼んできて、さも当たり前のような態度をとっていました。
向こうには文句を言わないのに、こちらばかりに文句を言って、面倒を見てもらっているくせに何様だと感じ始めました。
そんな中、祖父の会社が倒産する形となってしまい、私の生活は一変しました。金銭面が苦しくなっても、祖父母の態度は変わらず、いつまでも私の両親に頼りきりで、叔父たちには金銭面も含めなにも要求しませんでした。そうなってくると、私の両親も気に入りません。何でもかんでもこちらばかりに文句を言って、そんな中でも叔父の嫁は当たり前のように子供を祖母に預けて、仕事へ行っていました。
いくらなんでも、おかしいと言っても、叔父を溺愛している馬鹿な祖父母は、向こうには何にも言いません。その頃には、私の目からも、叔父の嫁がおかしい人間だとわかっていました。表情が乏しく、常識がない、急に声を荒げる姿も目にして、恐怖を覚えました。
私たち、祖父母、叔父一家の3つの関係が日に日に悪くなっていき、家に居場所がなくなってきました。毎日のように両親と祖父母は喧嘩をして、両親も口げんかが絶えず、母も精神的な疲労がどんどん溜まっていました。数年前の家族の姿はそこにはなく、顔を合わせれば言い争い、私も帰りづらく、遅くまでフラフラすることが多くなりました。
家に帰っても気が休まず、布団の中で泣きながら口喧嘩を聞いていました。自分以外の人間への不信感が募り、年を取っていき、高校生のころには私も両親や祖父母と喧嘩することが多くなりました。
私は1日でも早く、この家から出ていきたくて、必死に勉強して、バイトする生活となりました。両親からは、「金もないのに高校なんか通って、とっとと辞めて働け!」と毎日のように言われていて、殺意に近いものも感じていたと思います。
私も初めの内は子供Aと子供Bの面倒を観ていたのですが、どんどん親に似てきて、憎らしくなっていました。また、子供Aは知的障害もあり、うまく面倒見れなかったのも覚えています。
徐々に、子供A・Bとも距離を取っていましたが、妄想が現れ始めた叔父の嫁が、私のバイト先に乗り込んできたこともありました。「私の子供の首を絞めたな!」なんて大声で言いながら、私に食って掛かってきて、結局そのバイトでの居場所もなくなり、バイトはやめました。叔父を本気で殴りそうになったのを、なんとか我慢して次のバイトを探しました。
私の祖父は、昔ながらの亭主関白で、世間体ばかり気にしている人間でした。自分の会社が倒産したのに、見栄を張ったり、世間体ばかり気にして、出来損ないの息子の嫁のことが、近所にばれないように必死だったのだと思います。叔父の嫁も近所付き合いも全くせず、町内の集まりにも祖母や私の母が出席していて、本当に自分のことしかしていませんでした。育児も人任せのような人間ですしね。
そんな環境下にある日、外部からの介入者が訪れました。市の保健師です。
叔父の嫁が精神病を患っていたためか、祖父母の生活環境が著しく悪化したためなのかよくわかりませんが、突然介入し始めました。
私は保健師という仕事はよくわかっていなかったので、市の職員が来た程度にしか考えていませんでした。何度か保健師が訪問し、面談を行っていました。
結論から言うと、その保健師はなんの役にも立たず、私は保健師が嫌いになりました。
高校生の頃の私から見ると、外から人がやってきて、話は聞いてくれるけど、何も変わらない。何をしに来たのか分かりませんでした。一度だけ、電話でその保健師と電話で話をすることがありましたが、その電話で、私は保健師という仕事が嫌いになったのだと思います。
「言いたいことを言っていないで、あの人のこともわかってあげないといけませんよ。」
高校生の私に、保健師はこのように電話で言いました。高校生といえど、ただのガキです。そのガキに、こんな声掛けしかできない人間が保健師なのかと、ショックでした。
この人(保健師)は、本当に何をしに来たのか、私たちを怒るために来たのか?と感じました。
よく分からないまま、何度か保健師はやってきて、いつの間にか来なくなりました。
その後もどんどん環境は悪くなり、結果として、私たち一家はその家から出ていくこと形となりました。
家を出た時点で、祖父母と叔父達とは縁を切りました。
家を出るまでの間、祖父に何度、「お前の馬鹿息子のせいで、こんなことになったんだろ!」と食って掛かったか、忘れましたね。
私が幼稚園に入るころから祖父母とともに暮らし、大好きだった祖父母が、大嫌いで憎い対象と変わっていました。とても残念なことです。大人になって考えてみても、縁を切ったことに後悔はありません。
私たちがその家を出て、その後は叔父たちが祖父母の面倒をみることになっていましたが、結局面倒は見ていなかったようです。近所の方から聞きましたが、祖父はひどい状態の遺体で発見され、祖母は親戚が連れて行ったようです。
祖父が亡くなった時、県外にいる私の枕元にやってきたみたいです。顔はよくわかりませんでしたが、数分間私の隣でうめき声をあげて、消えていきました。後日、その日時に祖父が亡くなったと聞いて、祖父が私のところに来たのだと思いました。相当恨んでいたようですが、お互い様です。
祖母も、もしかしたらすでに亡くなっているかもしれませんが、親戚は私たちの状況をきちんとわかっていないので、私たちが面倒をみないで、出て行ったと思っているようです。おそらく、連絡は来ないでしょう。
私にとって、子供のころの思い出はとても良いものではなかったです。何度も泣いて、何度も怒って、何度も死にたいと思っていました。兄弟たちも、とても大きなトラウマになったと思います。いまだに、叔父の嫁の悪夢をみて飛び起きることもあります。本当に憎いですね。
その家を出たときに、私も両親と距離を取るために独り暮らしを始め、苦痛だった家からやっと解放されたように思えました。
子供のころの思い出が嫌なものばかりで、両親との関係性も悪くなり、今に至ります。
地元を離れ、県外へ出てきた私としては、正直両親との縁も切りたいのですが、まだ切れずにいます。連絡も取りますが、その度金の話になるので、「あぁ、やっぱりあいつら(祖父母)の子供か、親にそっくりだ。」なんて思います。
その馬鹿どもの血を私も引いているので、私も結局そのような末路を辿ると思うと、嫌気がさしますね。
気分の悪い子供時代の影響で、私は子供が大嫌いになりましたし、絶対に家族は持ちたくないと思いました。
どれだけ良い人と結婚しても、私が幸せをぶち壊してしまうでしょうし、もしも子供が生まれても、愛してあげられる自信がありません。
結局、私も自分のことしか見れていないので、うまくはいかないのです。
今の私には、家族の縁もほとんどなく、仕事しかありません。
唯一のいきがいである仕事に、全身全霊で臨んでいこうと思います。
そして
生きがいを失くしたら
次のいきがいを探すか
終わりにするのです。
最後まで、憂鬱な話をお読みいただき、ありがとうございました。
仕事頑張ります。
ではでは。