大多数には視えない世界がある。


視える人が視た事を伝える。


視えなくても多くの人が信じる。


視える人には視えていると信じるから、霊視というのは商売になるのでしょうね。



昔、スピリチュアリズムの世界の重鎮の霊視をTVで観て


「本物だ!」


と、感覚的に思った。


それを「確信」する為には、自分を見てもらわないとならない。


それは叶わないので、霊視のニセモノに引っかからない為の本を手にする。


コールドリーディングの本


それを読む。

なるほど、そうか。


スピリチュアリズムの重鎮が行う霊視と重なる。


私の中で疑念が浮かぶ。


感覚的に「本物だ」と思っていたけど、どうなんだろう。



そこで、ライブで霊視を行うイベントに参加をした。


そこで分析しながら霊視をする状況を観察。


恐らくコールドリーディングで出来ないであろうと思われる事があった。


それは、その場所の指定。


客席5人ぐらいの場所を指定して、

「○○がいる。亡くなった○○の魂がここに来ている」

と。

その中にいた方が「うちです!」と。


それプラス、言葉選びもうまかった。

霊視は相手の心の傷に寄り添って優しかったり、相手によって厳しく伝えたり、受け取れる言葉で話が出来るのは、その人の本質も視えているからこそなのかなと。


コールドリーディングの本を読むと、物質的に「当たっている」と相手に思わせるのがゴールなので、ズバッとメッセージは出せない。



やはり霊はいる。


いると思わないと寂しい。


でも、守護霊とか生まれ変わりとかになると、フワッとした感覚。



今、自分の魂がこの世で肉体を持っている事を実感して、考えて、善で生きる。




お天道様は見てくださる。



たぶん。