皆さんはYoutube見ますか?

 

私はほとんど見ないですが、子どもたちがヒカキンをよく見ていますので、それを一緒に見ることがあります。

 

動画で配信されている内容は、それこそブログと同じで、間違っているものもたくさんあると予想されます。

 

「そんなものは間違っている前提で見なさい」という主張は理解できますが、発信者が間違った情報を配信することが許されるわけではありません。

 

それは動画に限らずブログも同じです。間違っていれば訂正する必要があるでしょう。

 

 

 

 

 

「中田敦彦のYouTube大学」における「正しさ」

以下の記事にも述べているように、中田氏自身が責任をもって発信すべきだと言っているわけですが、その「正しさ」に疑問を持たれています。

 

正しくない情報もあるのは当然なのだから、良いだろうという主張もあります。

 

また、「だったらお前が正しい情報を流せ」という主張もありました。

 

発信をする側として「正しさ」を追求しなければならないのは当たり前なので、今回の騒動を見ていると意外と中田氏擁護も多いのに驚きました。

 

「正しくないのは分かっている」という主張

「本人も正しくない部分があるのは認めている」と言っている方もいたのですが、それならばすぐに訂正すべきです。

 

また、間違いがある情報を垂れ流すのはよくありません。

 

「正しくない部分もあるけど、勉強のきっかけになれば」という主張もありますが、間違った情報で勉強してよいことなどありません。

 

またもうひとつ大きな問題のひとつが、メディアとしての力です。

 

ほとんど見られない動画であれば、間違いがあっても社会的な影響は少ないでしょう。

 

Youtubeの動画を見れば、そうした動画はたくさんあることと思います。

 

しかし、中田氏の場合は影響力が大きすぎます。

 

「正しくないのは分かっている」という人ばかりが、この動画を見るわけではありません。

 

この動画を見て「正しい情報だ」と理解する人も多いはずです。

 

「正しい情報を流さない人が悪い」という主張

そうすると今度は「では正しい情報を流せよ」と主張する人が出てきます。

 

中田氏が間違った動画を上げているのであれば、正しい情報を流す動画を作って流せというわけです。

 

しかし、先ほどからも述べているように、正しい情報を提供するのは発信者の義務です。

 

 責任を持って発信すること、大事ですよね。『クローズアップ現代+』でのコメントは2019年3月ですが、中田敦彦のYouTube大学の開設は4月とそれよりも後です。他にも動画内で中田氏は「これは都市伝説ですね。信じるか信じないかはあなた次第ですね」(19分35秒付近)と、信じる責任を視聴者に丸投げする姿勢を示しており、NHKでの責任言説と大きく異なる態度です。NHKはYouTube大学開設後にもフェイク絡みで中田氏を番組に出演させており、NHK内でどういった人選がなされたのか気になるところです。

 

 取り上げた動画に限らず、多くの中田氏の動画にはその基本的な事実について誤りが指摘されています。100万人以上のチャンネル登録者数を抱える中田氏にも、まずご自身の言った通りのことを期待したいと思いますが、どうでしょうか。

https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20200115-00158914/

 

 

ここでも指摘されているように、中田氏本人も「責任を持った発信が必要」と言っているわけですから、間違いがあるものを流すべきではありません。

 

やり方を変えるなどして、正しい情報を流すように努めるべきでしょう。

 

「正しさ」を人に依存することはできない

また「正しさ」に関しては、人に依存することはできません。

 

今回のような明らかな間違いがある部分については、誤りを指摘することは容易です。

 

また、発信者が正しい情報を発信しようという努力をすることは当たり前の話です。

 

その上で、「正しさ」を誰が判断するかという話です。

 

たとえ大学教授が発信していたとしても、「正しさ」を判断するのは最終的に自分自身です。

 

「正しい情報をお前が発信しろ」と言われて、発信されている情報が本当に正しいのかどうかは、結局自分で判断するしかありません。

 

そうした判断ができるようになるためには、本を読まなければいけないし、勉強もしなければなりません。

 

だから専門家はその動画の誤りを指摘できるわけです。

 

そうした努力をしないで「正しさ」を人に依存することは、自分自身にとってマイナスでしかありません。

 

それは学問だけでなく、あらゆる世界で同様だと思います。

 

それが正しいのかどうか自分自身で判断する場面はたくさんあります。

 

楽して得た「情報」では差別化できない

あと「○○大学」という動画増えましたね。

 

手軽に「情報」を得られるという意味だと思うのですが、楽して得た「情報」に価値はありません。

 

それは誰でも得ることができる情報だからです。

 

義務教育で習ったことをどや顔で発信しても、見向きもされないですよね。

 

だからそうした情報は知らなくていいではなく、知っていて当然のものです。

 

しかし、誰でも知っている情報で差別化はできないのです。

 

また、「正しさ」を判断するための勉強は楽して手に入れるものではないのですから、「正しさ」を判断するための基準を手に入れると同時に、そこで手に入れた「情報」も差別化にもなるんですよね。

 

自ら手に入れた「正しさ」は社会に出ても役に立ちます。

 

それは間違いありません。

 

「正しさ」は誰かに教えてもらうものではなく、自分で学ぶものだと思うのですが、どうでしょうかね。

 

 

 

 

 

 

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とっしー@教育スタートアップCOOのnoteもあります