「ピカソがわからない絵を描き出した」(キュービズム,立体派)

『小林秀雄全作品22 近代絵画』に出てくる言葉である。

映画『ピカソ――天才の秘密』(1955 クルーゾー作) を見て,書いている。

「ピカソの姿は映らず,銀幕全体がカンヴァスとなって現れ,線が引かれ,色が塗られ,非常な速力で幾枚も幾枚も絵が出来上がっていく。・・・・」

 ある日,ピカソの秘書,サバルテスという人が「どうしてこんな妙な絵が描きたいのだ」と聞くと,ピカソは「だから,このあいだも言ったじゃないか。僕は窓から身投げしたくはなかったのさ」と。小林秀雄氏の解釈はこうだった。「ピカソは,白いカンヴァスを前に,『さて何が出来上がるかな』とよく言うそうである。彼は何が出来上がるか知らないのである。描いている間も知らない。クルーゾーの映画を観ていて実によく感じられたことである。今描いた線や色からまた新しい線や色が自ら生れてくるようだ。彼の姿は映らないが声は聞こえてくる。おや,だんだんいけなくなるとか,よくなって来たとか,描きながら独り言…しかしこの作業は自動的でも無意識的でもない。精神の異常な集中なのである。そこに窓があいている。意識の集中を中断すれば,窓から墜落してしまう。『だから,言ったではないか。墜落しまいとしたら,こんなものが出来上がったのだ』というわけである」と。

 

サバルテスは,ピカソの気ちがいじみた蒐集癖について書いている,とつづく。彼の部屋は何ということなく集められた,あらゆるくだらぬ品物の迷宮なようなものだ…部屋に入らなくても彼のポケットを覗いてみればわかる。紙屑,釘,鍵,ボール紙,小石,小刀,ノート,マッチ箱,煙草,ライター,勘定書き,ボロボロの手紙,糸,リボン,ボタン,消しゴム,鉛筆,万年筆,そんなものが充満している。上衣は実に重そうで,ふくらんで・・・夏の旅行から帰ってくるとトランクは,石ころ,貝殻,波と砂で磨滅したガラスや陶器の破片,魚の骨,動物の顎骨や頭蓋骨でいっぱいだ。こんど出かけるときはそれを部屋中にぶちまけて出発する。・・・なんでも一度手をつけたものはとっておく。子どもの時しめたネクタイ,自分の最初の絵,スペインの煙草の包,昔のマッチの空箱,マークのちがういろんなシガー,マンドリン,ネグロの人形,カスタネット,と切りがない。・・・・・

品物は機縁によってありがたく手に入るが,これを棄てる理由はすべて虚偽である。… 整頓する理由がどこにあるか。ピカソが,整頓のあらゆる理由を否定することによって喚起した無秩序は,おそらくフロイトによって喚起された夢に似ている。フロイトは,夢は睡眠を妨げるものではない。夢を見なければ誰も眠ることができない,と考えた。夢を単なる覚醒の不足とは考えなかった様に,ピカソは自分の無秩序を秩序の不足とは考えなかったであろう。

あらゆる記憶が,心の奥底に沈殿するように,彼が経験したあらゆる物の形は彼のポケットに,彼の部屋に,雑然と堆積するのである。

がらくたの山が自分の睡眠を待っていてくれるのなら目を醒ましていなければならぬ,いかなる理由もない。・・・ピカソは,フロイトに文句をつけるであろう。君は,夢まで整頓したいのか。」 

私は,世間の物差しのひとつ,いわゆる「断捨離」に疑問を呈したいと思うようになった。感謝合掌