太平洋戦争終結 「聖断下る」新聞報道(1945.8.14) 玉音放送 同8.15.

犠牲者310万人。生き残った人たちの戦後ゼロ年が始まる。216万の都民が家を失くしていた。だれもが生きのびるために必死だった。焼け跡には闇市が出現した。その数134カ所。占領軍将校の売春婦施設もつくられた。一方,東京湾から103本の金塊(延べ棒)が引き上げられていた。【越中島 1946/4/19】 日本軍の“隠匿物資”といわれる。「フランスのニュース: 日本人が隠した金・銀・プラチナの延べ棒がアメリカ軍のダイバーによって発見された その価値は20億ドル(現在の数兆円)にのぼる」と。

 

食糧配給を求めて 天皇に直訴しようと,  デモ隊が ・・・ 一般国民の姿(女性たちも多く見える・・・家族総出だ・・・・代表が読み上げる・・・

「天皇よ 人間であるならば人民大衆の声を聞け 

即時 宮城内の 隠匿物資を 人民に開放せよ」 

※   この状況は映像でも新聞でも広く一般には伝わっていないでしょう。戦後の焼け跡で,何もない時代ですから。今明るみに出された印象である。

作家 坂口安吾の言葉

 「私は日本が戦争に負けるまで自分がこれほど日本を愛しているということを知らなかった。8月15日敗戦を確認したとき『日本が本当に良い国になるのはこれからだ』という溢れたつ希望とともに祖国に寄せる思いもよらなかった愛情がこみあげてきて困った。」

以上がプロローグ。

戦後ゼロ年の東京。占領軍のカメラマンが撮影した映像が流される。一面廃墟。わずかに国会議事堂の建物がわかる。銀座三越。建物だけになったビルが黒く焦げていた。徳川家の菩提寺,増上寺大門だけが焼け残った。米軍の空襲によって10万人以上が命を落とした。市街地の半分が焼失。新聞広告欄に・・・並んで買っている青壮年たち。

「転換工場並びに起業家に急告」 「平和生産への転換指導はもちろん,その出来上り製品は当方自発の『適正価格』で大量引受けに応ず。」

広告を出したのは,尾津喜之助 関東尾津組 組長。新宿から渋谷を縄張りとするテキヤの組長であった。小津は,1970年にふりかえて言っている。

「軍需工場および下請工場で平和産業に転換せんとする方はおいでくださいと

契約完了したら即時現金で取引をするという広告をやった。さあ来るわ,来るわ わあわあ押しかけて来た」 「今はなんたって ヤミはいけない 統制だから ふん縛られる 責任は俺が持とう 懲役は俺が引き受けるから」

1945年8月20日 新宿マーケット(闇市) 開店。 新宿を明るくすることは帝都を明るくする 帝都を明るくすることは日本を明るくすることである・・・・《まるで東京都選?》

『なにか喰い物はないか』 新橋駅前 握り飯 ふかしイモ 雑貨の新宿に対して食糧の新橋。マグロの刺身や干物が並んでいたことがアメリカで近年見つかったカラー画像写真が映す。新橋を仕切っていたのは,松田組 組長 松田芳子。(夫は殺害されて)

 

闇市の値段は,政府統制価格の30~40倍。米は,130倍を超えた。焼け跡の中で特別撤収された敷地があった。進駐軍による,特別映像。住宅は現,千代田区紀尾井町。オーストラリア将校の家族の住まいとなっていた。水洗トイレ付き。西洋生活文化レベルがちがう,そして相手は戦勝国であるから怨んでもしようがない。日本の庶民の最貧状態と進駐軍将校の厚遇。そのギャップに驚く。

1945年10月17日の新聞に「来年の死者千万」の文字。路頭に寝ころび,上半身裸の男たちが街路の地べたに座っている。服の蚤やダニをとっているのだろうか。背中を掻いているものも見える。上野駅の地下では数千人が・・・夜を明かしていた。毎日死者が出,多いときで一日6人。配給では生きていけない,農村へ闇米の買い出しに。汽車には行列の人だかり。動き出す機関車に中に入れず,つかまって落ちないように堪えている女性たちは皆和装だった。しかも,持ち帰ったコメも見つかれば,その場で警察に没収される。祈る気持ちの庶民は今日の成田国際空港での違法持ち込みに似る。

GHQ公認の映画で歌われた「リンゴの唄」(映画『そよかぜ』1945/10/11公開)は明るい未来の希望の歌(並木路子歌唱)かと思いきや,元兵士だろうか,嫌悪していた。 戦地からの復員がはじまっていた。復員と引き揚げが全国で630万人。≪マスク姿が目立つ兵隊さんたち》 食料不足が一層深刻に。一等兵マルヴィン・フィンチ君の,お馴染みの「リンゴの唄」と字幕に,歌声と映像が流れる。

復員兵の言葉がつづく:『どこへ行っても耳にしないことはない。だがおれはこの歌が大嫌いだ。戦争に負けてなにが「可愛いやりんご」だ。べたべたしたその甘ったるい節回し 聞くだけでこっちが小馬鹿にされているようで けったくそが悪い』

 

坂口安吾 『堕落論』:  『戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり,未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間に戻ってきたのだ』

 

性犯罪を恐れた政府は,対策として 銀座に 特殊慰安施設協会をつくった。政府公認の売春施設やキャバレーを管理する組織。大蔵省が330万円を用意し,Recreation and Amusement Association(RAA)と呼ばれた。松坂屋の横に OASIS OF GINZAと書いた派手な大看板が出ている。下にR.A.A.とある。「世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいちはやく婦女子を集めて淫売屋を作るというような例がーー」(と,作家・高見順の言葉)そして民間の売春施設映像が挟まれる。日本側に動画を撮る余裕はないから,米軍兵に依るものだろう。日本の女性に声かける姿の米軍兵も映っている。OPENED 200 GIRLS ARE WAITING FOR YOU  TIME: FROM 12 TO 12の看板が見える。

占領軍の家族の反対にあい,半年で中止された。仕事を失った女性たちは別の手段をとるようになった。

「私は今省線有楽町北口のガード下 暗闇のなか 雨にうたれて ひとりじっと立っております」と録音マイクに語るは,藤倉修一 日本放送協会アナウンサーであった。「大東京の闇に咲く花の生態をひそかに録音するために小型マイクをオーバーの内側に忍ばせて 人を待っているわけであります。」

”パンパン”(街娼)~路上で客を取る~「ラクチョウのお時」(取材当時19才;仲介役)が,質問に答える。その声が録音されていた。

いつもこのところへ何人くらい来るの?  ―― 「150人くらい」

いくら稼ぐの?――自分はやらないし,人の分までわかるわけないでしょ・・・

―――「更生するっていう気持ちがないんじゃないのよ」「堅気にしようと思って(他の仕事に)勤めさせたりしたわよ,でも長く続かないんじゃない。周囲の目がそういうふうに見ないでしょう」

1946年 終戦の翌年 皇居前 晴れ着を着てカメラに収まる若い女性たち3人 カラー映像の着物は色彩豊かで華やか,皆笑顔。他の母子は皇居に向かって丁寧にお辞儀をしている。

1月1日朝日新聞 「天皇,現御神にあらず」 いわゆる人間宣言。 2月 昭和天皇,巡幸を開始。 はじめて人々と言葉を交わす・・・皆整列し,厳粛な姿勢で受けている。

相撲 双葉山 第35代横綱 引退風景。 「こんどは”胴上げ“宗教」 1948/11/2日本ニュース

新興宗教が次々に全国に出現。宗教の自由により・・・・600もの・・・・

「璽宇(じう)」 目をつむって一心に手を合わせて振りながら祈る女性たちに・・・背後には男性たちも控えて,大集団に見える・・・・

人々の不安を煽っているという理由で,警察による捜査がはいった。47年1月。

双葉山が釈放される映像。経緯が述べられていた。現役だったようだ。負けがつづき,弱い迷い心が宗教に引き込まれてしまった,と。警察官と巨漢横綱との大がかりな逮捕劇が映されていた。そして,釈放スクープでは,雪の外に出てきたところフードで顔を隠すかのようにしていた。天霊照妙の旗を背景に映る双葉山。

もうひとつ,「天照皇大神宮教(踊る宗教)」 踊る女性たちはイイ気持ちで,何かに取りつかれたように,酔ったような,格好で踊っている。無我の舞というらしい。が周りで囲んでみている観衆には,笑い顔の若い女性や少年もいた。教祖,北村サヨは,農家の主婦。私利私欲に走る人間を非難し,無我の境地に入ることを求めるのだと。その教祖のインタビューで彼女は,,「8月15日をご縁として永遠に消え去った我らが乞食の国が潰れた。その日が俺らの神の御国の誕生日です。♪夜明けだ 夜明けだ,と声を挙げて唄って締めた。

戦犯容疑者の移送。北村には,在る政治家との接点がある。やせ細った岸信介の姿が・・・・MPに見守られながら,容疑者の列に交じって入ってくる。岸と北村の二人は,山口県同郷だった。1957・5・8 総理大臣,お国入り,読売国際ニュース 笑顔で健康を取り戻した岸の姿を映している。そこに,歓迎する町の住民に交じって

踊る神様も現れた。握手する二人。選挙のことを考えるとおろそかにできません,と女子ナレーション声。神の言葉を奉納するか?大きな声で詠って奉書を手にしている。「私が世界を治めますから,日本を治めてください」。

配給に並ぶ多くの人々 隠匿物資 46・1・31暴かれた・・大豆,木炭,その他米,靴の底皮,ゴム底など 庶民がのどから手が出るほど欲しい物資が積まれていた。「板橋事件 同1・22」「隠匿物資 これらはもともと国民から戦中にかき集めた財産。こうした物資が闇市に流れ 高値で売られる」と。

外務省 の 隠匿物資発見 同5・6  次官室 つめよると 右へ左へ言をはぐらかし,見ると部屋にはカラになったウイスキー瓶が転がっている。

倉庫にも大量の物資が積まれていた。そのような隠し物資のほとんど,GHQによると70%が消え失せた。「特権を持った政治家や産業界の大物たちが 日本国民の財産を売りさばき,闇市場で莫大な利益を得た」

食糧難 起ち上がる民衆 食糧の欠配や遅配 全国を襲い・・・・雑草を食べて暮らしている

米よこせ 区民大会 世田谷 46/5/12 皇居坂下門 デモ。

直訴状が読み上げられる:「天皇よ 人間であるならば人民大衆の声を聞け。即時 宮城内の隠匿物資を人民に開放せよ。人民の声として天皇の回答を求む」 天皇との面会は叶わなかったが,調理場を覗いくと,出るわ出るわ庶民の届かない食物が・・・。

宮城内 皇族方の夕食献立拝見 見出しは大きく,「白米の残飯が たらひに三つ」と新聞記事に記されている。

1週間後の食糧メーデー。46/5/19 皇居前 25万人が集まった。

※ここから事態は変転したように見える。教科書でも知ることができる,デモに怯える為政者。レッドパージへと世間は動くだろう。

 「働けるだけ食わせろ」広場でのアピール。共産党や労働組合 威勢が良い。泣きの訴え。真摯なものだと映る。(アメリカでは2001.9.11後のテロ対策反;撃湾岸戦争でイラク攻撃の正当化図るべく偽造映像が流されたことを思いだした) 

案の定,GHQは大衆運動を取締るようになる,と述べられる。

 

闇市,摘発。内務省もついに最後の断を下し《それまでは 泳がしていたのだろう。あまりに体面上バツが悪いので,GGQからの指摘もあっただろう。本来自分たちで取締る意欲はなかったと思われる。なぜなら,占領軍兵士への慰安から,自ら公認の売春施設をつくって提供する民族なのだ。外国人の主婦連からの指摘で廃業になっている。銀座のRAA(RECREATION, AMUSEMENT ASSOCIATION)本来,こういう性の貞操観が薄いのか,それほど貧困だったのか。ドイツ軍に身を売っていたフランス人女性への糾弾(見せつけの頭髪を丸刈りにしたり,屈辱を加えている様子は見せない日本の風潮とは異なったキリスト教的制裁か)とは根本的に異なる。

闇市のあった場所はその後復興の出発点となる。

 

坂口安吾『堕落論』で締めくくられた。

「人間は堕落する。義士も聖女を堕落する。それを防ぐことはできないし,防ぐことによって人を救うことはできない。堕ちる道を堕ちきることによって自分自身を発見し救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないものである。」

現在の政治不信と政治離れ・・に通ずる,太平洋戦争直後の貴重な映像は何を語っているだろうか。長くなりましたが,見逃せないフィルムでしたので・・・合掌