3日前の7月4日はアメリカ独立記念日ではなかったか。それを含めるのを忘れていました。忙しく過ぎる毎日です。

今日は七夕さまの日。暑くてたまりません。部屋の温度が32度。外の方が居心地よい。暑そうな陽光の中,散歩兼ねて外出。私はまた探し物をしていました。そしてついに今見つけました。コレ↓です。

「私は,真理と思ったことは命をかけても主張する真の勇気が日本の学者には欠けていると前々から思っていたが,残念ながらそれを改めて確信せざるを得なかった。学問というのは,それまでの通説を覆す仮説を創造することであるが,その仮説が正しいと思ったならば,『千万人といえども吾往かん』の勇気をもって,それを主張しなければならない。勇気は軍人や政治家のみに必要とされる徳ではなく,むしろ学者にもっとも必要な徳である。」と2012年3月12日付けで記されている。梅原猛氏のことばです。【大震災の反省 『老耄と哲学』より】

 梅原さんは,当時86歳のポンコツ老人と自称して書いている。そして自らを哲学者だと。「道徳」という言葉がキーワードのようだ。この道徳とは,何か。この文でも「必要な徳」と述べられている。本文は氏の体現してきた自らの姿を反映していることがわかります。新鮮で心に訴えるものがあります。まだ読書の途中ですが,ずっと探していた言葉でした。戦中派の先達の教えには共鳴する沢山の含蓄があります。学問は真理の追究,そして仮説が正しいと思ったら勇気を以て主張しなければいけない。それが徳だろう,と仰るのだ。何とすがすがしい言葉でしょうか。

当時東日本大震災で福島原子力発電所の爆発事故があった後の世相を反映しているだろうと振り返られる。友達の学者がテレビに出演し,期待した主張をせず,東電に迎合した発言に接して落胆したことを別の節で述べられている。真理を説く学者がその信条を捨てて人災(否,文明災)を引き起こした当事者を擁護する学者に憤慨していたに違いないです。忖度(そんたく)していたのです。そこには醜い真実が・・・。謝礼金が東電から学者にわたっていたのだ。そういうつながりは決して学者だけではない。原発依存の電力複合企業団体の一端を見せていた。利得,カネで結ばれた「共同社会」の反映である。どっぷりつかっていたメディアさえも。抗うような主張はされず,曖昧にぼかした発言が多かった。スポンサーへの忖度があった。当時学生や民間人,著名人らが運動して大きなうねりを巻き起こしていた。脱原発へ。ところが実際どうなったでしょうか。大方の意見が反故にされ,ほとんど変わらず原発政策は安倍元首相のもと続行,推進されていった。実存主義のなれの果てに絶望があると書いておられる。そこにも共鳴される。皆が皆同じ意見に染まって右へ左へと大きく傾くことはある意味で危険である。必ずしも同調することが賢明かどうかは判断が難しい。「千万人といえども吾往かん」はまるで軍人勅諭にも通じる思想である。中国,ロシア,そして今のフランスなど,同じ思想が共同社会を覆ってしまうとその流れに対抗する,理想や仮説の真理信託がしぼんでしまいかねない。大衆民主主義のコワい一面だと思います。人間が導いている不条理や人災,矛盾(戦争もしかり),新鮮な提言に心を傾け思考思想を広げたい。梅原猛氏のことばには沢山の提言があります。ではまた。感謝合掌