仏教よりキリスト教? 多神教より一神教? なぜキリスト教か?
07/02 Tue. 『喜んでいなさい』を探して
「中風の者」
【Matthew 9】2 “ Son, be of a good cheer; your sins are forgiven you.”
(子よ,元気を出しなさい。お前の罪は許された。)
自分は全く無知だ。何も知らない。「聖書の話~キリスト教 福音宣教会~」(↓)を読んで少し知った。「パウロ」と聞いてもわからない。ましてやテサロニケって何?紀元5世紀?「奇跡」は信じられない。うさんくさい。敬遠してきた。だから一層認知していないわけだ。
上の掲げた文中の,forgiveが良く分かっていなかった。一時間以上奮闘しているた。英英辞書を二冊廃品回収に出してしまったことを後悔している。断舎利と銘打って早まった行為だった。どうも第一の意味は 「to stop feeling angry --- / to stop blaming---- 怒り=瞋恚は,私が最も内面で幅を利かす最悪最強の「毒」煩悩であり。辞書には,harm, annoying, upsetが並ぶ。自分を傷つけ,悩ませ,動顚させる敵に対しての怒りをやめること・・を言う,と。それ以外の意味はないのだろうか。オックスフォード英英辞典だったか,ジーニアス英和も同様の意味が書いてあるが,他に意味(英英も)がない。
上の英文は,変じゃない? 「あなたの罪は許される」? どうしてyouが最後にあるの?
<だけではなかった。なぜなら,YOUR SINSが主語だったら,通じない。STOP FEELING ANGRY
YOUなら通じるが,・・・憤懣や非難の対象とならない,SINなのか。社会的な罪ではないからか。でも姦淫は空想しただけでも禁止のはず。イスラムの厳しい掟社会では罪人は厳しく処分され,被害者の身内の者は未来永劫にわたって犯人を捜し仇を討たねばならない。>
能動態に変換してみる。誰がforgiveする? 神様? Heでいこう。
→ He forgives you your sins. これを,受動態に変えると↓
①Your sins are forgiven you (by Him). *( )は略可。そしてyouが付くワケが解明される。
②You are forgiven your sins (by Him).
<補記:07/09 英文法は機械的,演繹的です。能動態=受動態ではない。あくまで英語の構文理解の便宜的なアプローチに過ぎない。だから本来He forgives...やYou are forgiven...の英文は勘案すべきではないのだろう。与えられた文こそ第一とすべし,か。ここではYour sins are ....の文だけ考慮すればいいのだろう。②はカスタマリーではない? You have your sins forgiven. あくまでも構文表記の仕方の問題。内容的には,「あなたの罪が赦される」にしろ,「あなたは罪を赦される」にしろ,難しい問題だ。>
あ,ところで,この単語sinは,私にはいわくつき・・大学受験を翌春に控え,最後に覚えたこの単語がテストに出たのだ。その縁が今に結んでいると思うと不思議=驚き。聖書はWONDERに溢れている。POWERを「驚くべき偉大な力」と捉えたり,簡単に「権威」としたりされている。(この語は後々大変重要だと知る)
「behold」だって,「驚くことに」,(転じて)「見よ!」と喚起させる語となっている。
「assuredly」も同様の修辞でないか。訳に出たり出なかったりする正にレタリック。「確かに,確信して」(転じて)「よく聞きなさい」となる次第。実は,< >は,07/05あとがきです。
<(目をよく開いて,耳を澄まして)「よく聞くがいい」 Attention! 威厳や権威を示すシンボルとして残ったか。BEHOLD も,ASSUREDLYも,古語としておくにはもったいない,味わいことばです>
(もとへ)この「FORGIVE」とは,どういう意味なのか。
「許す」適当に訳すと,通じてしまうが,以上何か深い意味があるようだ。本来は,きっと「赦す」の方がいいだろう,と思っていたら,後で知るのだが,後続の対訳の中,そのように訳出されているではないか!と発見した次第。<聖者や霊の世界は魑魅魍魎。歴史が深すぎて辿りつけない。その帰納的学習では命はもたないだろう。論文を仕上げるのに半生かけておられる,高齢の,立派な学者(哲学者)でさえ,理解できない古い資料があるようです。ましてや凡人の私は敬遠してきた神話の世界での用語はまさにIt’s Greek to me.(ちんぷんかんぷん)だから先達の知見に依存するほかない,わかる範囲の文献で。>
「赦す」は,死刑を減刑して無期,などに見られる「恩赦」に違いない。恐らく天皇や王様ら,権威ある人がその偉大なる権限によって罪をお許しになる行為。
では,「あなたの罪」は赦されたとしたら,そして,また「あなた」が赦されたとしたら,その罪はなくなったのだろうか。やってしまった行為はなくなるはずはない。
聖書の教え?が,ポエムとなり叙事詩っぽくなる。おぼろげになり,曖昧模糊なのだ。
絶対である神が,病人を治す(cure)とは明言していない。heal 癒す→「清める」なのだ。《※07/09訂正です。「heal 」の意味は,「癒す」「浄化する」~「清める」となっていました。「清める」は多分聖書解説者の意訳でしょう。「癒」を改めて調べると,癒える=「病気が抜かれて消える」とある。「癒す」なら,「病気を治す=治癒する」です。つまり古代では「heal」は治癒するに使われていたことになります。
「病の気が抜けて消える」から,「気功」を思い出す。すると「数千年前,中国発祥・・」と見つかった。病を治す術者がいたのでしょう。宗教が生活に密着していたのでしょう。施術者は信徒やその指導者,絶対存在なら唯一の神キリスト(イエス)になるのでしょうか》
ただ,RAISE THE DEAD(死者を起こす)はどういうことだろうか。歩けなかった人がARROSE(起き上がった)ともある。蘇生を暗示している。私はどうしてもなじまなかった「奇跡」。どうも日本の「古事記」を思い出す。「ヤマトタケル」を梅原猛氏は創作して歌舞伎の「猿之介さん」に原稿を提供していた。神話はどれも嫌いであった。思考がストップして立ちいかない。
それなのになぜ今聖書か? (続)
〔参考〕
「テサロニケ人への手紙:テサロニケIの5-16,17,18」
https://bible-cafe.com/story/46
「ローマ人への手紙からテサロニケ人への手紙まで・・・」
「パウロはもともとイエス様を異端(今でいうカルト)だと考えていました。そしてイエス様の弟子たちを殺そうとまでしていました。そのパウロがイエス様がキリストであるということを悟りました。キリストを異端視し、その弟子たちを殺そうとした自分までもイエス様は赦し、救ってくださった。ここにパウロの原点があるのです。」
パウロ Iテサロニケ5:18 「いつも絶えずすべてに 喜び,祈り,感謝せよ」
感謝合掌