今日は梅雨に入った,束の間の晴れ間だった。土曜日。官公庁は休みだ。親子で外出。車で私も昔は来たものだ。家族奉仕。休日のファミリーの憩いがなつかしい。よく来た街での無銭徘徊。時間を持て余し気味であったあの頃。梅雨の晴れ間は,遊びの好機。

ちょっとした対面での対話で 話を聞いてくれるのは 誰でもできるでしょう。オトナなら。

では,狭い昔ながらの,旧道。バイバス道路ができると,昔ながらの旧い街道は狭い銀座道路になりやすい。市内道路。昔から住んでいる住人らにとっては生活道路。町内会のお店に用もあろう。銀行や病院や専門店も多い。通常,道路を占領するのは車。そこを歩いて往来する姿は少ない。

子どもたちの姿も少なくなかった。ただ通り過ぎるだけだが想像させてくれる。サッカー試合の帰りか,同じ色のユニフォーム姿,自転車3台とすれ違う。車道の沿道を向こうから歩いてくるのは高校生か。独り言を放つ自分の方へ目を向けた。実は,老人の方が外出は多い。ウォーキング。高齢社会のおススメ運動の筆頭。だから自分もこうして歩いているのだ。背負うリュックの,返却本は少し重たい。いつも通る食堂の朱い暖簾は目印。今日は三度目ぶりにやっていた。誰もいない客席。声をかけていつものメニューを告げる。おばあさんとは何回目だろう。もう顔なじみ?気楽。後から年配の女性が入ってきた。斜め向かいに座った。前回の男性と同じ席になる。会話は「おひや」の飲料水機器から。外は晴れ。暑かったろう。声を挙げるが聞こえない。自分でいれようと機器をいじる,その中年?女性に品あり。店のおばあさんは厨房で忙しい。≪ありがとう,今日は厨房は,とりわけ熱い≫ なぜマシーンが動かないか,と,余裕ある自分は好奇心から身を乗り出す…女性はそれを制止しようとするが・・が。親切でするのではない。出せるはずだと。「押す」では出ない水。電源が切れていたので,「入」にしても,だ。彼女はそれに気づかなかったようだ。「壊す」といけないからという女性の意見は尤もに思われた。智恵なのだ。じきに貴女の料理もできるだろうから・・・と,手を引いて自席に戻る。これを機会に,一気に話し出す自分。堰を切ったように・・。これも情念,否ココロの仕業かな。お店のおばあさんも相席か?誰と話しているともなく,吐いている自分。前から気になったお店のこと。きっとご主人が亡くなってその後を継いでいるのだろう,と勝手に想像。「何年になりますか,このお店?」

「・・・。そうね・・・」  <・・・40年かな?・・・>

「母がやっていたから・・・・」 <じゃ,数十年じゃないナ。100年??> 

「大正時代から?」声に出していた・・・妄念を続々と吐いていた。それでも付いてきてくれたお客の中年?女性。きっと私より上だったろうか。わからない。いろいろと井戸端で,四方山話を尋ねると,ここら辺の人ではないという。それ以上立ち入らない。それがミソ。駅前のことも知らないし・・この店のことも知らない・・・。新聞に目が行く。すぐ開く。部屋用の老眼用メガネを出した。用意して持ってきている自分は若いときと同じだ。メガネを取り換えて新聞の文字も良く読める。文字を拾って声に出して読んでいた。これが余計だった。まるで話しかけているかのようではないか。それでいて相手を気にしてはいない。聞いていようがいまいが,どうでもいい自分勝手。自由気ままな自分の境涯を愉しんでいるだけ。ボケ老人の認知症,前触れか。

長話・・・昭和の生れ・・だが,平成時代が私の一番の盛りだったと訊いてもいないことを答えている自分は何なのだ?  怪しい,危険な,オジ(-)さんだ。情念はさまよう。

「子供たちは大変だ・・・」と言う。どうして・・を,遠回りに述べていた。脳の中では来る前に観ていたテレビ番組の・・・「本四架橋」の先端技術の謎が・・・令和何年? 西暦では,生年月日が言えない? 平成,昭和,大正,明治・・平塚らいてう 一歳時の 明治憲法発布の日(の祝賀行事)に,キョトンとしていたにちがいない。2月11日 建国記念の日。

「明治は何年つづいたんでしたっけね」と問う女性。

「45年」。 すかさず,ぶっきらぼうに答える自分。<会話に思いやりがなかった>

千葉県のこと・・・新聞欄も千葉地方版欄を音読していたらしい。皆千葉のことばかりだったから。[乃木希典も千葉出身・・]といったら,そうだったかしらと首をかしげていた。<まともに返してくれていたのだ> 明治天皇が崩御にこたえて,「いつでしたっけ?」と聞いてきた。会話を愉しんではいない自分。記憶をたどるが,至らない。・・・「乃木将軍が殉死されるほどだから,当時知らない人はいなかったろう」と,妙な結びをしている。「5月頃かなあ」とテキトーに答えていた。《頭(mind)は,大正元年の・・たしか,「青鞜」一年目がその頃と重なった。明治45年,イコール大正元年,9月 一周記念。 (深読みできなかった。落ち着いたのが9月ということ。だからその前頃が崩御に当たる次第だ,と)いつだと,聞かれて,答えに窮していた自分。でも,そんな他愛無いやりとりに,つきあってくれた,親切に感謝なのだ。最後になんと言うだろうかと待っている・・・・と,「お先に・・・」の相手の声。それは尊く聞こえた。厨房から「ありがとうございました」の声。私の返事よりすばやかった。

老人の散歩。トボトボと,下を向いて,屈んだ姿勢が特徴的だろうか。自分の姿勢を意識していたろうか。否。そう見えている自分が心地よい。周りが見れている。

自動車の往来は,絶えることない旧街道。国道のバイパスができて,約30年は経つだろう。それさえ意識せずに,表通りの華やいだ新道だけに目を奪われ楽しんでいた就学前の娘連れての隣町へのドライブ。消費者利用者向け,何でもそろっただ直線道路は,気をそそったものだ。長女と遊んだ(時間をつぶした)馴染みのデパートへ。ルーチン回路。買うでもなく,階段を上り下り。店前を通りすぎるだけ。時折り入るが娘は駄々をコネル子ではなかった。最後は決まって三階のメリーゴーランド。ワンコインで済んでいた。一姫二太郎の弟が出産したころだろうか。4,5才頃が一番可愛い時期であったと後で知る。

あれから何年。covid19. 2019年がパンデミックの始まりだのに,だれも気付かないで過ごして既に2020年の春。最後のイベント参加が2月2日の10キロマラソン大会。その後老化を増していく。以来,コロナ禍で,通っていない,懐かしき幹線道路での,馴染みの店ゝ。ついに,入ることなく,過ぎ去った。今では,さらに,定年後の財布のひもがしまって・・・つまり,いっそう経済観念やモッタイナイ感が進んだ。それは皆共通。標準は俺がそうであったと知る。自分がしていることが世間の現象を表していた。世間に合わせようと必死に順応してきた結果が標準の物差しになっていると今日気付く。・・・幹線道路より,燃費に良い,ショートカットで逸れていく,前を走る車は,狭い道路に入って行く。外出では,遠くを見るとイイという。いつもうちの中だらけ,読書ばかりの近眼を,時には外の景色見て遠くを見ると変わる景観。目だけではない。心も変る気がした。真実なり。

往来の車は,絶えない。帰りの途上で,日常の営みは,涙ぐましい努力でなされているのだ。車中,無性に感慨深くなっていた。人がやさしく親切になったと・・・みんな律儀(りちぎ)に生きている・・・。

狭い道路,安全第一。立ち止まって往来の車が過ぎるのを待つ。心の余裕はある。昔ならイライラしたり,セッカチに目を剝いたりしていたものだ。

足元は今にも剥げそうな運動靴の底先がひっかかる。じきに靴底は剥がれそうだ。今では新しく買う気はない。履き切れない程家に残っている安価なシューズ。安物買いの銭失い。買い揃えて,履かないで残っているシューズ事件が何度あったろうか。それまでは,いつも少しでも不足を感ずるとすぐ買い足していた,生来の心配性。が,それは無駄な行為だったと気づく。断舎利。オヤジの突然の死も教えてくれる。いっぱい残っているが,2008年以来,遺物が沢山埃をかぶっている。自分ではもう処分はできない。俺の所有物ではない。主は誰? 

自分の靴さえ処分に甘い。数度履いたきり,とっておいたゴルフ靴。久方ぶりに履いて出たコース先で突然靴底が剥がれ落ちた事件は忘れない。ビッコを引き引き,最終コースまで歩き通していたっけ。以来,ゴルフは辞めている,十年以上経つ。

「現在」に戻そう。道路上で立つ私の姿を見てか,往来の右手から来る車が停止した。ずいぶん前に止まって待っていてくれていた。対向車が停まってくれたのがわかった。右左見かえして,すぐ渡った。幅員狭い二車線道路。横断歩道のない途中の横断である。昔自分なら,車内から睨みつけて,怒っていただろうに。「何でここを渡るんだ? あぶないじゃないか。小学生だって知っている,横断歩道を渡れ!!」と。

だから感動この上ない。渡ったあとでも,通り過ぎた車の背後に向かって,深くお辞儀していた。最敬礼。そして手を挙げて,丁寧に,感謝を表していた。きっとバックミラーで見てくれていると信じている。運転手なら,だれでも覗いて見返しているはずだから。ホントにありがとうございます。感謝の念は今日はとりわけ深かった。「なんで,皆こんなに,親切で,やさしいのだろう!!」 横断歩道のずっと手前・・・横切る人に・・・いつでも,余裕で,止まってくれる。一台とは,限らない。みんな,よくわきまえている。分別がある。民族性か。

それは,自分には,当たり前ではなかった。「自分が先」だった。そんな一方通行の経済理念に生きていた。それが当然だといった観念があった。否過去の出来事だろうか。

数分前の出来事もそうだった。決して珍事ではない社会の優しさ。外出の用件,図書館訪問。返却と借用の用事を済ませたあとの,帰路で,散歩を兼ねて道を行く。信号のある交差点に差し掛かったとき,進行方向の信号が青になっていた。私は急がない。広い空間に心は満たされていた。空気も空の天候もばっちり。余裕である。急かない自分がイイ・・。

もうちょットで信号の色が変わるかも,気にかけない余裕があった。慌てなくなったのも老化現象の一つだが,慌てないことも大事。数メートル前で,背後から来ていた車両がが一台あった。黒い軽自動車か。横目に,前に進まないのがみえる。「ん?」待ってくれている? ・・・「まずい・・・渡らないと・・・」今度は,行動はすばやくなる。周りを見ながらだが,急いで渡る。するとその黒い物体は,左折して走り去る。黒い背中を目に残して。私はありがとうと手を挙げていた。無意識だった。

車は,余裕で先に行けたのに。あえて自我を通さないで,私を先に,多分行くだろうからと待っている心の余裕がある。優しい心根・・・ココに感謝した。

自分を反省させられる。自分は,つねに「ソツなく生きてきた」と。毎回自負してきた。無駄なく効率よく・・アイドリングなく。時間を無駄なく・・・空いた時間はない。つねに精一杯使って無駄なく,コストパフォーマンス一番だったろう。それは,はたして,本当に豊かな,精神状態だったのだろうか。アクセク働いていた自分。時間との競争である。<その問題を今突きつけられた感じなのだ>

停年前のお勤め時代,その時の,ツラいだけの自分の姿が思いやられる。そして今,世の中のツライ暮らしを思いやっている。皆が「現役」で勤めている。営みに真面目に取り組んでいる。競争ではなく,思いやりが・・きっと当時もあったろう。なのに・・・自分はどうか,どうだったか。そのギャップ・・・理解できていなかった。<悟得するには,まだ遠いかも>・・私の頭には,昨夜?のテレビ番組の残影がある。そして珍しく見た鶴瓶さんの『家族に乾杯』に感動していた。ぶっつけ本番のロケは,大分県の日田市。そこでの始原の窯業風景がイイ。カエラ?さんの人となりも奏功していた。唐臼のしくみに無邪気に感動していた。私も同じく見て驚いていた。土地の土を叩いて,壊している。水の流れを利用してコットンコットンと動力を生み,・・・そして曰く。電気や水道など,文明の利器を介さずに作業につなげる昔ながらの営みはまるで別次元。銘柄をつくっていた窯の主は次元が違っていた。そしてそれは自慢でもなくツライ否なことと言って憚らない潔さがあった。・・脚漕ぎでの作業など苦しみだけの,近代化機械化との狭間での戦いがあった。縄文時代からの声かもしれなかった。泥に手を使って気落ちイイと絶叫するタレントさん?馴染みのモノと分れる悲しい気分がよくわかります。感慨深さがよ~く伝わってきた20周年記念番組であった。≪残念なるかな,番組の本旨とずれを見せている番組にずっと,そっぽを向いていた・・のが真実だ。家族に乾杯のはずなのに・・・いつしかゲストに乾杯となってしまっている。実は嫌悪感が一杯だった。ゲスト要らないよ≫

主役のツルベイさんは,変容を遂げている。いっそうふてぶてしく内に入ってくる。洗練された?やりとりが見れた。鶴瓶さんの姿勢は,より直球になった,年齢のおかげか。イイ番組も長くなると惰性に流れる。初心忘れるべからず,だろう。

さて,現実に戻ろう。散歩コースはもうじき終る。路肩の家の看板に,「一級建築士」の文字が。すぐ,例の番組が掠める。番組進行の女性キャスターは,一級建築士の免許を持つ,田中さん云々。巨大建造物大好き人間だと自称する。四国と本州を結ぶ,本四架橋を採り上げた,最新版『バックヤード』。日本技術の叡智の集大成か。少数民族といわれる日本人は何と優秀なんだろう。鉄橋と自動車の橋を兼ねた,骨髄となるコンクリートは200年先まで安全だという。「世界の橋」に,その最先端技術が利用されている,と携わった会社の広報担当者は誇る。民間の先端技術が生きていた。なぜ全長9千メートルを超える橋が必要なのか。そもそも架橋自体必要なのか。人間万事塞翁が馬。イイから採り入れられるのだろう。自動車で,電車でも行ける,物資輸送は文明の進歩。瀬戸内海を架け渡し,そして四国まで結ぶルートは昔からの祈願であったろうか。昔のまま,船で行く方がいいのか?どっちがイイかと問えば,もちろん,答えは同じだろう。現代の科学先端技術でできた橋の方がイイに決まっている。アメリカ製だったか,以前に作られていた橋たちは,その老朽ぶりの補修で問題を抱えていた。修理に,途方もない難題に直面しているようだ。おカネといい,修理技術といい。詳細は知らないが。しかしながら,なぜ半永久的に橋がもつのだろうか。海上の橋は湿気と塩分で錆びやすい。防護するための技術は目を見張るものがあった。誰もその苦労など知る由もない。文明の利器だが,感謝を忘れ,そして安全そのものも忘れそうだ。つまり,その保全の努力が半端じゃない。高さ170メートルでの手作業。安全ベルトや金具装備であっても,万一作業員が動悸・息切れでも起こしたら,大問題になる。便利の反面の恐怖がある。大惨事につながる。その安全を確保されているといいう弁明を聞くだけしか,信託の証はない。原子力発電所の地震・津波事故や,0.001?%以下の確立で起こる飛行機事故を想像するといい。それより安全だろうか。歴史の事故を経て新しい分野が展開されるのだろうが,安易に,信託することはできるだろうか。完全な安全はない,しかし事故の未然防止策は完全を求めたい。その努力が行われていることをただ信じるのみだ。

裏の安全策と先端技術の便利な環境は永遠に保証されるだろうか。人間が管理維持発展させている。人間の心ほどいい加減なものはない。指針盤の前の凝視する監視員もまた同じ人間,瞋恚・貪欲・愚痴,愛憎や怒り,嫉妬心など機嫌が変わらない保証はない。人の優しさ,親切心に感謝。それは鉄のように固くはない。変わりやすい心・精神である。神を求めるのか,現代技術。

「なぜみんな親切なの? 日本人のよさ?」

これは,自分が年老いた証拠であった。親切なのは年寄りだからなのだ?? 年寄りだろうが子どもだろうが,誰へだてなく親切にすることは民族の優秀性を表すというつもりだった。どうだろうか。合掌