著著『90代・・・輝いている・・・トシヨリ手引き』に,感謝です。ありがとうございます。プロフィール拝見して,60代,70代,80代と老年学関連のご執筆,そして映画もお撮りになっておられます。どうして今までお会いしてなかったのでしょうか。それともお会いしましたか? 小生,じき満70歳。認知障害でしょうか,記憶にありません。杉並区や鹿嶋市でお会いしていたかも。映画は観ておりません。映画館でのロードショー観賞は,生涯で,一度あるか,ないか程度ですから。60歳になる前に,患者としてお会いすることもなかったでしょう。

 ただ,著述の話題の多くが,私の人生とダブり,フシギな縁を感じます。杉並区の浴風会病院。関東大震災後の初の公的な老人ホーム?ですか。そこでの長年の診察と解剖しての知見の豊富さに驚きです。私は,杉並区といえば,永福町で住み込みで新聞配達する高卒二年目(19才)の少年に過ぎなかった。初の都会生活,大学受験のために人生の瀬戸際に立っていました。鹿嶋市には昭和55年から奇遇で臨時教職に就き,26歳で教壇に立ち始めました。人生に不安を抱えた青年期でした。土居健郎著『「甘え」の構造』を拝読したのはその頃かもしれません。乳がん手術で有名だった近藤誠慶応大教授のお説には目からウロコでした。成人後の遭遇でした。『常識のウソ』など思い出されますが,生きた読書になったかどうか疑問です。

 ところで,医者が自分の専門臓器以外無頓着という,総合診察の欠如のご指摘に感銘しております。義父(享年78)がバイク走行中,ある若者の運転する自動車に追突され,転倒し,その事故により昔の古傷を悪化させ死去に至ったのが2008年,通院リハビリの甲斐なく,5月6日死亡しました。病院の診察とリハビリなどの現実を見て,人間の臓器がたくさんあるのに,全体として関連させて診察しない,そのやり方に疑問をいだいておりました。

 私はいわゆる「婿入り」で,性(家名)を変えました。夫婦別姓などの新しい趣はありませんでした。古い体質の社会というか,自分もその一部なのです。社会制度に適合させた最後の見せ場となりました。姓が変わると,ハンコが変わり,何か新しい人生の開始だと錯覚しますが,それはウソ。社会への順応に自己満足するだけでしょう。そうして安堵感を得たかったにすぎませんね。アンドでなく,落ち着きたかったに過ぎない。世間からの評価期待でしかないかも。結婚式・披露宴を晩生になって実行し恥ずかしい限りです。ちっとも華やいではいなかったはずですから。そんな若い年頃の時期ではなかった。出遅れた感は否めない。子どももその年に生まれ,一姫二太郎で,順調にいきました。挽回は奇跡だと思われるくらい仕合せでしたね。ただし,出産に一度も同席していない。全くイマドキの結婚とは異なるかも。「愛情」があったのでしょうか。最初の出産では義母から電話を職場で受けた。何も対応しなかった。二度目も立ち会っていません。何と酷いお父さんではないか。いわゆる高校の「学検」(入試業務)に気をとられ仕事優先でした。家庭を顧みることはなかった。

 貴殿は娘さんお二人に恵まれ,二人とも家を出られており,家と墓が途絶えると平然として言われます。その話に感動至極です。自分の実家の墓守りがいなくなることをずっと気に病んでいたところです。ところが貴殿はスパッと切っておられる。その潔さは,どこから来るのでしょう。海にでも散骨してくれ,とは,なかなか言えません。理想的な謂いです。森林葬送や鳥葬など,多種あるようですが,墓が絶えることは,その代で絶滅させる後ろめたさ,哀しさがあります。理屈では適っているのですが・・。合理的な割り切りに惚れ惚れします。真の知性とはこういうお方をいうのでしょう。三代過ぎれば,今の世の中,墓を守る人はいなくなります,との説。同感です。私の田舎の「家」の墓は,誰も訪れなくなって荒れているでしょう,近い将来見舞う人も世話をやいて見守る人はいなくなります。兄弟たちは皆高齢化し,近々絶えます。必至です。

今住む「家」も,子供たちは都会に出て,一緒にいません。帰郷し同居する見込みは立ちません。いっしょに住んで暮らすという決りもないし,無理に強いることは出来ません。こうして今ある立派なお寺の墓守りの風習は失われることも必至でしょう。だからお説のとおりなのです。

語り継ぐべき,親ゝが次々と亡くなるのですから,当然の話です。死に蓋をして見るまいとしているだけ,忌諱・タブー視しているだけでしょう。死をもっと観るべきなのでしょう。死生観も,だから,うなずけるのです。

 他にも採りあげたい事柄がいっぱいあります。何度も言及される「うつ病と男性ホルモン」にいいから肉をもっと食べた方が良いと。セロトニンがカギ。痩せているより少しぽっちゃりしている方が皺も見えず健康的だと言うのは医者としても是認されている。実際痩せている方が死亡率は高いそうですね。本当でしょうか。どうしてでしょう。痩せていると免疫や抵抗力が低い?癌にもなりやすい? 精進料理のお坊さん,断食や,収容所で小食しか与えられなくてもその後長生きする人はおります。どうでしょうか。コレステロールや,血圧,血糖値が低くて元気がないよりは,少し高めで元気なほうが良いというお話も新鮮です。健診の「基準値」は信用に値しないという。健常者のデータから採った閾値にはズレがあるという。たしかに信用できません。今まであんなに不安と恐怖に陥っていたのが信じられません。データ数値ではなく,自分の普段の生活,日常の自分の身体調子を見て自分で判断すればいい。まずいと思ったら,薬をストップすりゃいい。必要なら服用すると言うふうに。自分の体なのですから,ですね。医者の進言を鵜呑みにする体質。質問さえしないでいることの弊害がある,とのこと。群馬大学の例の如く,「大学病院」の実態をもっと知るべしでしょう。

 米国人の体質と日本人のそれとは全く別なのに,そのままアメリカ医療システムをそのまま適応している日本の医療制度の危ない現実。主体性のない日本人ではないか。特定健康診断といい,〇〇がんの早期発見などと自治体が勧奨しますが,入院・治療で体が弱ることの方が多く,平穏なQOL(生活の質)を結局落としかねません。行政指導に協力しようとする「善良な」住民・国民のひとりだなあと反省しております。

「エピローグ」と「おわりに」の文章に圧倒されました。脳は未開拓。10%しか使われていない!『100歳の美しい脳・・』,「人と話す,声を出す」,カラオケもいい。意見を発信して共有することも。メモを取ることも有益。沢山の薬の服用に悩まないで済む。たとえ病気になっても手術はしません。体と頭を動かして,老化の進行を抑えましょう。突然死が気になるかたは,心臓や脳のドックを。私はピンピンコロリが理想です。全部自然にお任せではありません。転倒して運ばれる(=入院する)のだけは避けたい。入院したらお仕舞いです。認知症は突然やってこない。徐々に加齢とともにやってくる。闘病でなく「共病」でまいります。感謝合掌