26回 菜の花忌シンポジウム 2023. 2. 12

「生誕100年 司馬作品を未来へ」が,放送番組 同年4月。

再掲 論者:安部龍太郎,木内昇,門井慶喜,磯田道史

         司会者は古屋和雄。(敬称略失礼)

 

『坂の上の雲』

視聴者調査で一番に選ばれた小説作品

「我が国」,すなわち,四国の松山藩に天から見て,のべている,と磯田氏が,衛星放送で映すようにズームイン。天からの目線だと指摘。

思い起こされた,イメージがある。

「死」はまさに,その天からの視点。三角形の頂点。三角形には生がある。生の中に老があり,病がある。仏門で説く,「生老病死」ではないようだ。時間的な,つながりで順に死におもむくのではない。老化し病気にかかり死んでいくという流れにあるわけではない。生まれてすぐ死ぬ場合もあるし,成年になって事故死する場合もある。老人になる前かもしれない。病気の前後か,どうか分らない。【『ものの見方が変わる座右の寓話』(戸田智弘/著)】 

 

乃木希典

『坂の上の雲』にも登場するが,と,木内女史が応える。『殉死』をとりあげ,司馬さんが,日露戦争での勝利によって日本人が戦争へと傾いていった,その愚劣さは変わらないが,どうも乃木本人に対して微妙な立ち位置を感じさせると言う。それが『殉死』から読み取れるという。司馬さん自身が最も好きな作品は,『燃えよ,剣』。共感共有があるでしょう。

 

『龍馬がゆく』 

坂本龍馬は,「議論」を好まなかった。とことん議論すると仲間内に「怨み」が生まれる。諸藩の若い藩士が集まって剣術だけでなく国家改造の議論もしたであろう。しかし龍馬自身はその議論に加わらず,ただ行動するだけ。それが仲間を引き寄せた。

 

西郷隆盛も,吉田松陰も,高杉晋作も出ない。討幕維新の一角を担った雄藩,薩長土肥の立役者は登場させていない。

 

『国盗り物語』 

それでも私的には,これは外せない。ご縁があります。

21世紀を見ずに亡くなった司馬さん。だから二十一世紀へは・・

 

『貂(てん)の河』

室町時代の作品を(描いて右に出るモノはないかのように)讃える磯田氏。

戦国武士の一人に焦点を当てる,英語で言うなら,イルミネートilluminate。それが非常にウマい,・・・各作品に登場する誰もが,木内氏が指摘するように,「国民的な英雄」に出来上がってしまう,私だって,という気にさせてくれる。司馬さんの魅力。

『司馬遼太郎からの手紙』

小説以外では,と門井氏からおススメ。司馬さん没後に寄せられた書簡集。

 

『幕末』

安部氏と木内氏のおススメ。

幕末の新撰組は,殺し屋集団。ゴロツキ(チンピラ,愚連隊,無頼漢など)の寄せ集め。世間一般も認める無法者,与太者たち。ひいては,日本的と思われる,「岡っ引き」や「同心」。犯人逮捕の手引きする,近世以来の治安維持に一役買う。個人の生き様を「段取り」上手に描く。それぞれにワケあり。人間(個人)の尊厳につながる。

 

『風塵抄』 その随筆集のひとつが,「やっちゃん」。

  磯田氏,これ以上の小説はないと,脱帽のご様子。

 今回,三度目録画観賞で気づいた点は,「やっちゃん」は,決して少年時代の物語ではないこと。老人となって一生を振り返っているのだ。60過ぎて隠居して妻とのやりとりも,しっとりとした良い関係がつたわる,何とも味わい深い。左官業で若い時分の夢は果たせないで引退した今,京都の城などをめぐって,その素晴らしい作り(白い壁塗りなど)に感嘆しつつ,老境の身の上,できるのは,両耳を動かすことくらいだと,ほんのり,諦観している。

これほど短い文章の中にすべてを織り込んでいる(傑作)だ,と。

ココに気づいた,自分も老境に共感できている,有難いのです。

文字起こし ↓しつつ,感慨を深めたい。  

「やっちゃん」より

「ボクがボクであることの証しはこれだ」

と,小学校5年生のやっちゃんは,まさかそんなむずかしい言い回しはしなかったが,似たようなことを子供ふうのことばでいった。

まず,ぐいっと左耳を上げる。やがて上下に動かす。あとは電動式みたいにさかんに動かした。

「右耳も動かしてくれ」

と,だれかが頼んだが,やっちゃんは丁寧にことわった。

「いま練習中だ」。

6年生になって,やっちゃんが珍しく算数で100点をとった。

先生がその答案を両手でかざしてほめると,

この少年は地面から出てきたばかりのワラビみたいに,大きな首を垂れて恥ずかしがった。

それが転機になったのか,以後耳を動かさなくなった。両者の間に何か心理的な関連があるらしかった。

15,6のときに左官の徒弟に入った。そのころのやっちゃんに,大きな夢があった。

姫路城の白亜や総塗籠(そうぬりこめ)の土蔵,あるいは高名(こうめい)な料亭の座敷でみた渋紙色(しぶかみいろ)の聚楽(じゅらく)の壁のようなものを塗りたいということだった。

しかし戦後の経済事情のなかで そんな古典的な普請がやたらとあるわけではなく,

30前後で独立し,その後,ちまたの左官業として十分成功したが,ただあこがれの聚楽や白壁の注文はなかった。

六十過ぎて,隠居をした。

「世の中は,思うようにはいかないな」

と,ちかごろやっちゃんはいう。

そういえば,引退後のやっちゃんは,建築史の学者のように,京都や奈良の建築や茶室の壁を見てまわっている。

「いい壁は,宝石だね」

しかしその”宝石”を塗る腕はない。

「ああいうのを見ると,自分の一生はでくのぼうだったと思うんだ」

「ところが,六十になって,こいつだけはできるようになった」

と,やっちゃんが急に真顔になった。

両耳を動かし始めたのである。

「・・・・女房のやつ,変におだてやがって」

私はやっちゃんの奥さんに会ったことがないが,きっと気がやさしくて賢くて,この鬱懐症(うっかいしょう)の亭主のあやし方を知っているのだろうと想像した。

「男の一生というのは単純だね」

そのようにいうやっちゃんが,私には聖者の列に加わっているように思えてくる。

以上。

やっちゃんが,徒弟に入った,15,6の歳以降が自分の意識から離れていた。新た気づき。

「自分の一生はでくのぼうだった」。そして,「女房のやつ,変におだてやがって」のくだり,感動です。

何と平和な理想郷!引退して初めて分る境涯だろう。

 

 録画ディスクや動かすソフトだって,無常。お陀仏になる。この文面もしかり。いつか無に帰する。どうして,記すのか。「でくの坊」の一環を,ゆるしてください。

山場は終りました。

が,番組の命題は,「未来へ」。

朗読がもうひとつあった。

・・・二十一世紀の君たちへ,同様に,小学五年生に向けて司馬さんが引用した・・

「洪庵のたいまつ」(明治時代に活躍する人材を育てた緒方洪庵の描いた作品)

 

(「洪庵のたいまつ」からの一節)

「洪庵は,自分の塾の名を適塾と名付けた。日本の近代が大きな劇場とすれば,明治はその華やかな幕開けだった。

その前の江戸末期は,俳優たちの稽古の期間だったといえる。適塾は,日本の近代のための稽古場のひとつになったのである。

江戸時代は身分差別の社会だった。しかしこの学校では,いっさい平等であった。サムライの子もいれば,町医者の子もおり,また農民の子もいた。ここでは,「学問をする」というただ一つの目的と心で結ばれていた。

ふりかえってみると,洪庵の一生で,最も楽しかったのは,彼が塾生たちを教育していた時代だったろう。洪庵は,自分の恩師たちから引きついだたいまつの火を,よりいっそう大きくした人であった。

彼の偉大さは,自分の火を,弟子たちの一人一人に移し続けたことである。

弟子たちのたいまつの火は,のちにそれぞれの分野であかあかと輝いた。やがてはその火の群れが,日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。

後世の私たちは,洪庵に感謝しなければならない。司馬遼太郎」 (場内から拍手)

 

私は,明治維新を 華々しい日本近代化の成功例とは見ません。維新であって,革命ではありません。最も下の身分による革命ではなかった。憲法は,宗教と分離されておらず神道がかった,神がかり。そして貴族皇族を優先する,やがて戦争へと連なる思想を含む内容でした。そういう明治の到来を栄華と見なすような文章・(↑)・・に思われてきたとき,途中で意気減退し,投げ出したくなった・・・・。

 

しかし,まだ見ぬ江戸末期の未来。期待や希望は,どうだったろう。想像すると・・・人々の感情は,龍馬のように,新鮮で,洪庵が望んだように純真なものだったにちがいない。 感謝・合掌