なぜか,この旋律が・・・いつ,誰の歌? なぜ? 

マドンナ~~♪♪と口に出た。<じゃ,マドンナたちのララバイでは?>と思った。そしてまずスマホでグーグル。岩崎宏美さんが登場。そして歌を聞く,これだッと心で叫ぶ。間違いなかった。

 『聖母たちのララバイ』 

作詞:山川啓介/作曲:木森敏之、John Scott/編曲:木森敏之

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%A4

聖母たちのララバイ(マドンナたちのララバイ)は、1982年5月21日にリリースされた岩崎宏美の28枚目のシングル。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88_(%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6)

 (もう,一日が過ぎている)

5月19日(日)午前,床から這い出せずにずっと妄想を追っていた。目覚ましを鳴らないようにして,つまり8時には起きるつもりなく,9時にも,トイレに起きず?<否,それさえ忘れ>,10時になってもまだ,眠い,お腹の虫もないている,が,それでも弱弱しく,いっそう横に臥すばかり・・しまいに午後0時を過ぎて,もう1時になるか。そこまで,じれていたのは久方ぶりだ。「もうオシマイだ・・」 追い詰められている‥‥目頭痛く,疲れ目? 手を伸ばし眉間揉む。また,記憶だけが,想念だけが,舞い踊る。それだけ・・・。「キョウイク(今日行く),キョウヨウ(今日,用)」はない。

≪夢・・それはレム。REM (Rapid Eye Movement)なのだと思うと目がツライのも解脱。翌日,つまり今日のこと,だった≫

どんな夢だったろうか。先日は倅が出てきた。なぜか不思議だ。そして今日はこの歌。その前の想念は,昨晩観た,お笑い芸人のコンクール番組(フジテレビ)をあれこれ,個室から漏れる大声に…通りすぎながら,「なぜ,大笑いできるの?」と非難の涙が目に入る。困惑しきり。老齢で介護していた実母が二日前に救急で入院。茫然としていた?のん気に大笑い。なんなの?!嫌がらせに聞こえたか。などなど考えて,深刻な気分に陥っていた。

何故脳に像が浮かぶのだろうか。床の上,右へ左へ体,転ばせ,惰眠・自堕落,気力下げ。

ベッドの傍らに立てた衣装ポールに何気なく目を奪われた。何か黒い像が見えた。汚れか何かシミでも付いたのかと思って手を差し出して,何枚も,つり下げた,虫もつきそうな,古タオルの端糸ずれを指でどかして,目を凝らすと,ぼやけて見えていたとわかる。最初何かが,ゴキブリのフンではあるまいが,黒く染みがたまって・・・それとも,上から何か塗ったような,刷毛や何かで色を塗ったかに見えた。しかし違っていた。その丸い模様は「穴」のようだ。あ,と気づく。つっかえ棒を指す穴だ。トーテムポール形状の衣装?提げの棒ハンガー。肌色の棒の上ちょっと一カ所に,その黒っぽい丸く見えたイメージは,孔(あな)だった。窓から受けた光の影が,丸く黒ずんで見えたのだ。その描写は,しばらく時間が経過して,のちに自分の頭が描出しているに過ぎない。その叙述そのままには頭は回転していなかっただろうに。頭での理解は,こうだ。最初のシミか何か色に見えた・・・視覚から入ったもの。単純に目に映るままボーっと見たままの感覚で判断。そしてじっと目を凝らして次の認識段階に。過去の経験と繋がって孔(ポールの)だと判断して映像はよりヴィヴィドになる。輝度や解像度が上がる? でも視覚を通して理解認識していることは同じ。過去とつながる。程度問題か。色やシミだと思ったということはシミがどんなものかを過去において身に付けた認識のハズ。視覚と体験(過去)とが記憶回路でつながったのだ。孔(アナ)だと認識したのも,そう。視覚を通して過去の経験とつながって認識されたことになる,と短い瞬間に頭をめぐっている。このように文字に表そうとすると正確さ,的確に自分の想念を捉えることの難しさ,面倒なことだと思う。

 

そこで,夢とは,過去をそのまま思い出して描いているわけではない,と考えた。完全にヴィヴィドに映すことはできない。物理的に,過去に戻ることはできないからだ。頭脳が過去の映像を拾い出し,新たに描き出している。そして過去のキャラクターを通して新たに映像を作り出している。それは未来とは言えないが,イメージを作り出しているのだ。夢像が思い浮かべられるのは,きっと映像が鮮明,ヴィヴィドだからであって,残るのであろう,残らずに消えていく像もあったろう,と想像される。記憶に残らない像もあるだろう。視覚部分と過去の経験認識と記憶回路でつながる。夢に出てくる(つまり,残像が記録記憶され思い起こされる)のは,それだけ印象が深かったのだろう,と思う。それも想像にすぎないが,未分化領域,フシギな夢の判断になる。ところが・・・どうだろうか。(怖い夢はどう,なぜ 作られるのか?)

 

前にも何度か考えたが,夢は前頭葉だったか,視覚領域,視床下部だったか,原始的な辺縁系に属していなかったか。

 

なぜ『マドンナたちのララバイ』か。いつの曲,どうして? 何があったの?と不思議な気分に。そこで改めて「歌詞」含めて,検索するが,出てこない。PCを立ち上げた,その後ウィキに至る次第(↑)。ところで,他方,この歌は,マザーコンプレクスだと言うコメントあり。しかし数多の人がこの歌のレコード化を希望殺到とあるところを見ると決して俺だけではなかったと胸撫でおろす気分だ。(旋律が霊に訴えたのかもしれない)

1982年 昭和57年。俺は何歳?スマホでの情報から,紙上で計算する。手っ取り早い机上。1982-1954=28.え,そんな歳? まだ若い時分だろうと考えたが,自己認識以上に,もっと晩生(おくて)であったのだ。歳以上に幼いオツム。即ち,「馬鹿」なのだ。

その頃の自分を振り返ることになる。「マドンナたちのララバイ」の映像は「ザ・ベストテン」での録画フィルムだった。7月〇日とある。発売(リリース)は5月〇日だと知る。でも自分に刷り込まれたのはいつだったろうか。夢に出るほど深くつながっている?どうしてだろう? 昭和57年以前に接していることはないのだろうか。なぜなら,昭和54年暮れから自分の身辺がガラッと変わり新環境で試練であったから,その時聞いた曲が強く印象づけられたのかなと判断されたのだ。そして記憶をそのまま時間列と経験事項と,手書きメモす。

 昭和54年暮れS貿易会社を途中退社(またしても一年持たず)し,帰郷に転居転入。教員試験に備え,翌,昭和55年7月受験。不合格。再出発のためすぐ上京。住む場所を決め,生活の糧を探さなくてはならない。試験勉強に入るにもまず身辺を整えること,つまり生活の場を据えること,すぐ行動に移すこと。時間はない。<いつもそうであった> そういうマメさは逆に作用した。18・19歳に経験した「働きながら勉強」を再開。心はウンザリだが現実的に前向きに過ごしている。まず,アパートを借りる。生計が立てやすい場は,東京ほか考えられない。身近にあった幸運に感謝だったろうに。<「都会」を軽視する,その後の姿勢は何だったのか。2千年以上前から,都会は人が集まる商業活動の場であったのだ> 急いで1~2トン?トラックをレンタルし荷物を運んだ。敷金礼金はどうしたのだろうかと何度も思い出しては消してきた過去の記憶。繰り返し反復してきた過去の経験。奇跡奇遇。まだ荷物も開けない先から田舎から電話が入った。現実は小説より奇なり。

母が電話をかけることはないので,たぶん三兄(一つ上の。私は4人兄弟の末っ子。総領は姉の5children 母のガンバリ感謝は進上したろうか?) その三兄からの連絡だったろうが覚えがない。突然,かつ緊急事件。もちろん人生初。

若い青年教師が夏季休業中のテニス部活動中に斃れた。それが運命を変えた。<影響は1人だけではない因縁> 記憶するのはその伝言のみ。「K高校長から,某先生が死亡したので至急代用教員が要る。」と。当然帰郷に。日が暮れていたので,翌朝早々に新借のアパートを後にする。荷物を再びトラックに積んで実家へと引返す。人生の変節がさらに追加されるのだ。生まれて10年後の父死亡以来のターニングポイント。

昭和55年9月 臨時講師に。その時のK校長先生は,昔気質の頑固おやじ,太っ腹な人物でした。恩人といってよい。葬儀も思い出される。「お世話になりました」いつも深謝合掌す。

「二次(面接)試験はともかく,一次(筆記)試験はガンバってもらわんと・・・」その叱咤激励のお陰,一年後?合格の通知。昭和55年度と,昭和58年度と,同校には,二度,臨時講師としてお世話になっています。縁に恵まれたと言えるだろうに。

そのつなぎとなる,昭和56年から57年は試練の年,いや,辛くも楽しい新鮮な時期だった。I was the youngest and yet was the oldest in life, then.

いつもこう言い訳していたろう。身分が不安定な時期。講師による収入はあるが,教員として採用されていないのだから,いつ終わるか分からない地位にあった。しかし年齢は27になる。もう青年の時期を過ごしていると言ってよい。いくら晩生といっても青年としては,もう限界だろう。若くはないのだ。ココがツライ。おんぼろの最安の中古車を買い,オイル交換も自分でやった。ガス欠などで,公道上でエンストもした。青春謳歌すべき若人の晩期に,何と暗い人生を送っているのか。遊ぶことなど出来なかった。遊び心の余裕なし。(時間はあり余るほどあったのに,いつも余裕がなかった自分) 誘惑に負けて放蕩に暮れることも選択肢になかったわけでもないだろう。しかしもう一度やり直してもその選択肢はないだろう。過去をもう一度やり直したいか? いいえ。今では耐えられない過去に思える。悔いはないことになるのだ。「忍びない,淋しい,切なくなる」と嘆いたが,それは間違いだったろう。事実(宿命)は,変わらないのだ。歴史は一つしかない。ただそれだけなのだ。

ところが,『マドンナ』の歌は,昭和58年以降だと知ると,フシギな気分になる。当時の変節期とかぶっていないことになる。「日本テレビの火曜サスペンス」ドラマ主題歌として流行り歌を耳にしていたとしても,それはインプレッションとしては薄い。私は日本のドラマは見ない。昔も今も変わらない。日本歌謡賞をとって流行したのはもっとあとの11月という。その後,猛烈にヒット,大ヒットし,日本レコード大賞も期待されるまでになっている。大人気をさらっていた日本社会。まさか,外国人作曲で盗作だとは今日まで知らなかった。

脳は都合よく事実をつくりだすようだ。「合理」的に錯覚を起こす。信号が「黄色」になったら,ブレーキをするように,(またはアクセルを押す人もいようが,)現実生活に即,適合する神経体系,脳の神髄なのかも。脳は,いたって,ゲンキン。では,なぜ暗い陰鬱を誘うのか。それは霊(スピリット)なのかもしれない。精神作用か。脳のシラプス,つまり電気回路信号物質とは異なるかもしれない。身体(肉体)と霊(精神)。精神とは何か。また別の(ずっと底流にあった)テーマに入ってしまった。迷宮入り。

マドンナといえば,当時マドンナ先生がいたことを思い出す。きっと昭和59年度新採教員(29~30歳の1984年度)となった時に出会っているハズだ。縁がなかったようだ。マドンナのような人でした。

老人は過去に生きる…その表れがこの夢物語でもある。感謝合掌