https://www.youtube.com/watch?v=noWeGC9eh1U

そこでのコメントの多くが彼の才能に対する絶賛・・。小生には

芸の才はない,音楽が良く分からない。どこが良いのか・・・・ピアノや,管弦楽の奏でる音色の良さがわからない・・・生の小鳥のさえずり以上の良い音を奏でているのだろうか。楽器はあくまで人工的なものではないか。それなら現代のAIに適うものはないだろう。

 

私がオモシロいのは,ブーニン氏が三世代に渡ってのピアニストの家系であること,その家訓を引いていることである。神経質で,繊細で・・偉大なピアニストは,ピリピリしていた。マスコミやカメラマン,記者の質問などに触れさせまいとする付き人(教授)は大柄の男性だった。タバコを指にしながら映っている。「彼は国の金の宝だ。大切に育てたい」という。それも良い。同時代の報道が正しいとは限らない。

映像や音響面で,発達した現在の動画が全てよし,とは思われない。それを証明している旧い映像がコレ↓だった。ショパンコンクール'85 「NHK特集」 https://www.youtube.com/watch?v=kv8mgdhpfEg

マイ・コメント

「40年前の映像ですか。同時代なのになぜか既に古風。しかしその変り様こそ貴重に思われます。永久保存物でしょう。ありがとうございます。ポーランドの歴史的背景がまだ見て取れます。厳しい状況が忘れ去られている。アップライトのピアノ練習と出世を望む個人と,社会(政治・宗教など)と,色々な背景が見えてきます。」

 

エントリーは,各国から総勢124名。その中で最も多いのが日本。今年の演奏は名前のアルファベットの「E」から始まる・・・トップバッターは蛯原万里さん<23>。ワルシャワ音楽大の留学生。トップは選ばれないというジンクスはいつから生まれたか。・・一次予選では,時間制限の中で4曲弾く。演奏者の緊張が伝わる。出番を待つ控室でも緊張が漂っている。3分の1に選り落とされる。二次予選へは41名? 日本人が10名。うち女性が8人。

最終の本選決勝へは6~7名か。2000年のコンクールから,95年,そして85年のそれへと,順に観賞してきた。辻井伸行さんは,逆算すると2005年コンクールとなるのだろうか。一次予選前の補選まで設定された厳しい選考。ショパン国際コンクール。 世界各地から参加している。アメリカ,ソビエト,フランス,イタリア,日本,地元ポーランド,ユーゴ,英国,ルーマニア,南米アルゼンチン,中国,韓国,ハンガリー,などなど。予選通過者たちは緊張と,更なる練習に明け暮れる。参加者の一人,三木さん(母娘)は,ワルシャワの一室にグランドピアノを持ち込んでの特訓? かたや,地元のポーランド青年は,狭い一室を借りて,練習していた。↑の「アップライトのピアノ練習と出世を望む個人」とは,アップライト式ピアノだが,妙な形の,半円形のグランドピアノ。1926年製の中古品だという。割賦のローンがあと5年ある。若いショパン演奏家は低い音階の鍵盤をたたきながら,その音のひどさを皮肉る,ため息を漏らしながら。『こんな音なんだ ひどいだろう』・・・「本物」の音を耳にできずに練習していて成果が上がるわけないだろうなあ。あわれである。

 陽気なフランス人は,二度目挑戦の男性,ジャン・マルク・ルイザダ(27)さん。皆に持てて,余裕がある。5年前,ステージ上で緊張して二度も指が動かなくなる経験をしていた。5年前は若すぎた,という。部屋で練習用の鍵盤をたたく彼が真意を吐露,「今度は勝ち残って喝采を受けたい」と。コンクール参加者たちは,どうしたら世に出られるのだろうか。どうやって生活をなすのか。個人の人生がかかっている。名誉と欲だった?95年コンクール映像に残っている? 日本女性コンテスタントの一人が不図もらしている。『独り立ちするには・・・コンクールに出て,世間に認められて・・』と。問われるとカメラに向かい,『私はコンクールって大嫌い!』と笑顔。(何でも,嫌がらずに,好きにならないと,成功しない?楽しくやりたいものだ) 10日から二次予選。一次の課題曲はノクターン,エチュード,・・・。二次は,ワルツ,・・・,プレリュード,・3次は・・ソナタ(一位だったブーニン(19)も巧く弾けなかったと反省していた) ショパンの曲全般にわたる,と。決勝には6名が。その1人に小実稚恵さんが含まれていた。

 

本動画の骨頂は・・・最後にあるだろう。ナチが破壊した像を戦後すぐ建て直したんだ,と市内の公園で見上げながら,老人たちは胸を張る。「ショパンは大切なんですね。」――「当然さ!」

教会から聖歌が響いてくる。「聖十字架教会」 決勝前日の17日に,ミサが法要される。モーツアルトの「レクイエム」が演奏される。

 ショパンは死んだら,故郷の地に埋葬してくれ,と。ポーランド・ワルシャワは外国から侵攻を受けて亡命を強いられていたのだ。レクイエム演奏もショパンの遺言に基づく。ショパンの心臓が埋葬された教会に関係者が集い,この日だけはコンクールを忘れて,ショパンへの思い・祈りを捧げる。国民は国の英雄ショパンを称え,祀っているのだろう。

85年のワルシャワには軍服姿の青年たちが往来している姿も映っていた。まだ政治戦争の嵐の渦中にあるようだ。

近年出版のある書物が思い起こされた。その書の中に見出そうとした「聖十字架教会」は,なかった。当然であった。ワルシャワではないからだ。イタリア人の書いた小説。中編3篇。『地獄はない』の中に出てくるケッタイナ表記がある。『「聖体拝領と堅信式」・・・14歳で』の宗教儀式,2000年以降の作品で,スザンナ・タマーロ著作。三話には,カトリック信仰が救いの道の一つのように描かれる。神との出会いや暗示がある,と訳者のあとがき・解説にある。死と愛と生と・・・神秘・信仰の世界が・・『「十字架」・・・教区司祭のフィルマートさんの臭い・・・『ああ,マリーザの娘だね』(売春婦の娘)・・・自分の体を売っていたんだよ。脚を開くことしか能がなかったんだよ』(『愛って,なに?』より) ・・『イエス様は,黒人じゃない。それにパンツを売り歩いたりはしないよ』 愛はトイレの壁にママを押しつけ,私が生まれた。アルコールとタバコとで,黒い手が何本もうようよとまさぐる・・もうろうとしている私の口の中にナメクジのようなものが無理やり入って来た・・・そして噛んだ。背中を蹴られていた。オディオ(憎い) オーディオ(おお神よ)』と。

 

1927年からおこなわれてきた,ショパン・コンクール。‘85年は,日本の二大メーカーがコンテスタントに選んでもらえるよう提示されていた。選考に残る演奏者の贔屓にあやかろうと,企業も必至である。 合掌。