Sergei Rachmaninoff  Piano Concerto No. 2

*1 イギリス,BBC交響楽団(PROMs)プロムナードコンサート

 *2 BOS  バスク地方  スペイン

  *3 いま,カナダでNational Arts Centre Orchestra(前にも目にしている楽団)

 *4 ルーマニア 同曲

ロシア出身 193センチ 背の高い人 祖国を逃げるようにしてスイスに憩いの地を求めてそこで曲作りに励んでいる・・・

(という。以下同じ。1943年逝去だとしたら近代?音楽コンサートには皆紳士淑女がお座りで,お子さんたちの姿は見えません。高尚な音楽は子供には分らない?私も70歳に近い“子ども”の部類ですね。「うんうん」と首を振る聴衆を見ると音楽関係者でしょうか。なぜ子供を同席させない?聞く耳を持たないから?だとすれば伸行さんのような「奇跡のピアニスト」も誕生してないハズ。英雄ポロネーズのクラシック音楽に2歳にして,身体を動かして感動を表していたのですから。子どもはうるさいのです。部屋に閉じこもって神妙になんて聞いていられません。それでいいのです。畏まるのはオカシイです。外に出て森へ,川へ。湖へ。自然の中で耳を澄ませ,目を澄ませ,木に登り水に足を入れ水を浴びよ。塩の匂いを嗅げ。風を感ぜよ。鎌を持て,草を切れ,足を切れ。命を賭せ。めくら,蛇に怖じず,だ。若者と老人と,生と死と。生を感じよ,死を感じよ。難解だが,ギリシャ神話喜劇は偉大なり。前400年以上前に教えてくれている。人間の本性を,性の衝動を,死の矛盾を。戦争と平和を。商売商業の詐欺性を。)

 ラフマニノフは,ロシア出身 193センチ 背の高い人 祖国を逃げるようにしてスイスに憩いの地を求めてそこで曲作りに励んでいる(という。以下同じ)

 他方,スイスには,同時期?ドイツを逃れた革命音楽家のワーグナーが,リストの娘コジマを妻にしてそこで曲作りしている。

辻井伸行さんは,各地をめぐっている。ショパンやリスト,ゆかりの地,イタリア・ヴェネッティア。母親のいつ子さんと一緒に連れだって作曲家たちの痕跡をナゾっている。いかにも愉しそう。海の匂いを,風を感じている。そして海の幸を味わっている。ワインは何よりお好き。その匂いを逃さない。美味しいタラ?の白身をアイスランドのカフェで味わったことも懐かしい。音楽が縁で親しくなる仲間たちとの感動の時間を過ごしている。各国の演奏家たちとの交流,市民との交わり,街の息吹きを感じて・・・・

「イタリア文化は,古典ギリシャ・ローマの遺跡の土台に立っている。紀元前400年の世界が甦る。『ギリシャ喜劇』を通して・・『アカルナイの人々』『騎士』『雲』(岩波書店『全集第1アリストパネース』)・・・『人間嫌い』『楯』『辻裁判』『髪を切られた女』『サモスの女』(以上は岩波全集の第5) 

アリストパネースの11作品と,メナンドロスの1作品と大断片4作品。解説では『雲』『鳥』などが挙げられている。解説や背景などどうでもよかった。初めに目にしたのは,「人間嫌い」と「辻裁判」の方。傑作だろうと思った。難解に見えたが何となく言わんとするところが見えた。人との交わりを絶ち,自分の力のみを信じ,自立,人を他のみとしない生き方。世間とは絶交。抗い,敵対する。老人は若者によってオトシメラレ吾を取り戻す,もはやフニャフニャであった。現実の嘘や偽善詐欺蔓延る現実世界ヘの諷刺でもある,という。精神の自由と闊達が・・・と絶賛されている。『犠牲式』の,古い時代の揶揄や滑稽さには閉塞感があるという。「全集1」を,後に読んだ。たまたま。『アカルナイの人々』こそ,面白くて目を離せないで朝から何も口にしないで気づいたら5時間ほど経っていた。(午前10時から午後3時過ぎまで)※全く未知の地名や出来事の名前,などなどチンプンカンプン・・正にIts Greek to me!

出てくる人名やら地名やら,モノの名前ときたら,ややこしい。ギリシャの地名など一つも知らない。スペインすら名はまだない時代だ。アテ(-)ネ・スパルタがどうにか想像できる程度,しかしどこにあり,どうかかわったかなど点で知らない。紀元前400年以上も前の話なのだ。イエス・キリストも誕生していない。商業が成り立ち,裁判訴訟も起こされていた。民主政がおこなわれていたという。奴隷・自由の身と人身売買が当然の時代。自分の娘や妻,母親を動物(豚)として売りつける。戦争と平和・・・奔放な性 貞操帯 生贄 神々 ゼウス ヘラクレス 大食漢の神である・・。塩と油と 焼き魚  御馳走が並ぶ・・・腹を空かした奴隷たち 商品管理・・税官吏 監督官 コロス(長,第一・第二)と(ディカイオ)ポリス・・・・。メガラの男の登場で,最高潮の劇に。「メガラの子豚です,ゼウスに誓って。」娘二人を豚に変身させ,「コイー,コイー」啼かせる。何が好物で? 子豚さん,ヒヨコマメ,お前はピバリスの干しイチジクは食べてくれるかい? 「コイーコイー」 (メガラの男に)「では,お前はどうだ。お前も食べてくれるかな」いつしか自分も,豚に成り果てる,「コイーコイー」。

いくらで売ってくれる?父親は答える。一人は「ニンニクひと房」と,もう一人は「塩1コイニクス(ほぼ1リットル)」と。代価の品として。人間売買でなく豚として。人間より高価な家禽たち。

“告訴常習者”なる者がやってきて,敵の商品として告発するぞ,と。悲惨な境遇の元凶がまたやってきた,と言ってメガラの男は,代価を払うディカイオポリスに(鞭で)追い払ってもらう。「アテーナイには・・・という禍があるのでしょうか」メガラの人たちがいかに困惑しているかを観客に述べている。紀元前400年前の劇作です。2,400年前に今を今以上に見抜いている。吃驚! 感謝合掌