Meet Nobuyuki Tsuji

https://www.youtube.com/watch?v=maTe-IObAqs

伸行さん33~34歳  2022.03.05 バーミンガム タウンホール AB music venue  人気のおかげで,と母親は語る。映像は ↑の2022の期日の後の撮影となる。お二人の容姿は同じようにインタビューに合わせた盛装だろうか。品格を感じさせます。

「サインを求めて駆け寄ってくる」とコラム。英文が「文字起こし」で見られる。聞き取れないと,文字を見る,そのつど動画を停めて・・

~12:34  he lifts his hands from the keys stands and turns away he takes the arm of a guide and is led from the stage Fade to Black 以降が,他の日本の,数多の投稿動画と違う演出にみえる…。思い出す。ドボルジャークだったかしら,あの新世界。アメリカに渡り,自国で過ごしたように,山や谷にはいり,・森林の中で,自然の息吹きを,慈しみ,愉しんでいる光景(これもずっと昔テレビの映像で見たのかも)が,思い起こされる。それと同じ風景がココに描出されているようだ。12:58~以後, 映像は呆気なく終わっていた。ポエムのような・・・つくり。芸術性を感じさせます。

 

Rachmaninoff: Piano Concerto No. 2 / Nobu Shelley Canada's National Arts Centre Orchestra  2023/05/13

https://www.youtube.com/watch?v=1spdlqu84Lc

伸行さんの 鍵盤上の指の動きを見ながら,思う。なぜこんなに音階を弾くことができるのか,楽譜なく。眼が見えないのに・・・と思ってしまう。音楽を理解しての感想ではない。有名な「ラ・カンパネラ」のような曲は,他の人が演奏したのと同じに聞こえるのでうまいのだろうと思う程度である。伸行さんの演奏が他とどう違うのか,格別なのか,まではわからないし,それを聴き取ろうともしていない自分がいる。何となく「優しい」とか,「柔かいタッチ」だろうとか,「正確な」のだろう,その程度なのだ。一方で伸行さん,激しく指を動かし,腱を強くたたき,大きく手を振りかざす,音をかき乱すシーン,躍動感もいっぱい見せてくださる。

 しかし私が本当に音楽を解っているかといえば,涙が出るほどの感化はないのだ。涙を催してしまうのは,彼が手を引かれてステージに立ち,又退場する格好の時なのだ。全盲者に対するバイアスがかかっているのだろう。<あのハワイでの小学生相手の伸び伸びとした,元気で陽気な伸行さんは,子どもたちとの交流で話しかけ,イニシアティブをとっていた。やらせられている感じが少しもない。ココで参照入れ忘れましたが・・「ハワイ」で簡単に検索できるでしょう。>

 私には,自分に音楽の才能がないと思う。自分はオーケストラを生で,会場で聴衆席について聴いたことは,人生でたった一度である。初めての感動と緊張で耳を澄まして鑑賞していたろう。しかしいつしか気づいたら眠っていたのを覚えている。何の曲目だったかも忘れるほど昔のことだ。当時何千円?も払って,観賞する公演会場入場は私の生活にはきわめて遠い出来事。音楽はその筆頭である。映画館にも当時ロードショーで1500~2000円する時代,300円程度の名画座や文芸座に行くのがやっとだった。初公開など高い代金を払って観るなど生活が許さなかった。

そのためか,きっと物の真価を知る機会を持たなかったと言えるのだろう。演歌も歌謡も,日本の歌舞伎も現場で生で観賞したことはないのだ。歌舞伎など、その後職場にて機会があっても関心がなかったし,今もない。当時,中学生だったか,長兄が持っていた流行歌手のレコード盤(SP,LP)か何かで曲を耳にしたのが最初である。テレビが音源のすべてだったかも。ラジオは音楽芝居を聴くためではなかった。つまり,さほど興味がふかくはなかったことになる。歌謡曲はとうじ「流行歌」と言われていた。それが音楽と会うキッカケ。(中学校での音楽室でのあの偉ぶった肖像は記憶から抜けている)月刊雑誌の付録の歌詞カードを見ながら,破れかかった畳の上に寝転がって声に出してひとり歌っていたものだ。それが唯一のpastime  娯楽。見たり聞いたりするよりも自分で歌ったりプレイする方が好きなのだった。踊る機会があったら,「見る阿呆より,踊る阿呆~踊らにゃそんそん」なのだ。観賞・鑑賞自体,向かない質(たち)なのだ。

しかし,演歌は各別。訊くもよし,歌うもよし。美空ひばりといい,島倉千代子といい,三橋美智也といい,しかし,のめり込むほどの情熱はもたなかった。所得のない,専業主婦の母が夫を亡くし途方にくれながら5人の子供を抱えて右往左往していた家庭の事情で,自然と抑制されていたかも。<貧乏は親のお蔭か,卑屈にならず,ビンボー意識は生まれなかったと信じるが,はたして???なぞである。実体をわかっていないかも。常に父の交通事故の日のことを忘れなかったからだ。>

町の公民館など会場にした演歌歌手の公演があった。母と手を繋いで?座席に就いたかも。タダだったと思う。カネを払って観れる身分でもなかった。高い代金を払った分,真剣度も違って聴き入ったろう。そして学んだかも。それがのめり込むっていうやつだ。自分の愉しみ・趣味に現(うつつ)を抜かすことができるのが一番シアワセなことだろう。自分の趣味や感心,好きなこと,娯楽や道楽に身を任しそれで身を立てられたら最高である。<辻潤や伊藤野枝の父親のように>そういう恵まれた人はどれだけいるのだろう。と,いろいろ想って自分の70年の,この方,を 回想している。合掌