「感動の名セリフ」その幕切れは呆気なかった。予想は当たり,期待は外れた??

事の顛末を知りたい情動で最後まで釘づけになり…事の展開に盛り上げられストンと最後に落とされた感じ。メロドラマ風,通俗的に仕組まれたわかりやすく,且つ難渋な内容でもある。「まとも」とは何か?真っ当(まっとう)なこととは?期待させながら実態を少しずつ小出しに見せて本体は「なーんだ,それだけ?」で締めくくる。これがまだ戦争が終了する前の空爆,廃墟の家での物語だということ・・・全く屋外の悲惨な状態とは閉じられた優雅さえある舞台光景に見える。<文字だけで味わうことの良し悪しでもある>

恋と愛とは何か。人生とは? 信仰とは・信念とは。神とは? 宿命か偶然か。過去と未来・・・などなど人生の課題問題すべて混ぜ込んで 命 死と生と・・・高められていく・・ようで・・・卑しい卑猥なものへと軽蔑すべきものに低められ・・・三文芝居のような 陳腐な幕切れ。

1951年の作。話題が1889年当時の昔のこと  戦争に明け暮れ,いまだドイツの襲撃の恐怖も終わっていない1944年9月の歴史的背景がある。死の恐怖と生の情熱歓喜幸福感が前提にあるだろう。

言葉の信憑性の無さもある。自殺したはずの男が還ってくる。知らなかった? 否知っていた,と。幸福に包まれたかと思うと二度と顔を観たくないと絶叫する。ドラマチックなのは戯曲のせいか。簡潔なプロットの中でのどんでん返し,度肝を抜くストーリー。以上は最初の感想記録。《追補,失礼します》

「(親と子,夫婦,男と女,家族など)解りあえないのです。冒頭の数ページで命題が知れるようです。まだ読み始め,これからどう展開するのでしょう。きっとテレーズはフレッシュなレオン君に恋をし教授もひょっとして美人な寡婦に引き寄せられるのでしょうか。そして一層マチルド御祖母さんは孤独へと追い込まれていくのでしょうか。マチルドが中心の戯曲と見ました。高齢化時代にぴったしの名作ではないか。」と書いてしまいました。

その後を補完しないと・・と切迫感に押されて今ココに記しています。

話の筋の予想は半分当たり,マチルド祖母さん中心の戯曲だろうという読み(期待)は,完全に裏切られました。ショックで頭の整理がつかない・理解できない状態だったのです。理解(消化)は,二転三転しています。

はじめは,「ツマラナイ通俗な三文芝居」と思った(失礼)。《これは,作者・編集者もセリフにも記していますから意識されての戯作でしょう。わかった上での制作だろうと》次に,歴史学教授のインテリ壮年であるダニエル・ドゥブレ氏(40)は教授とはいえ高校の先生でした。その教え子がレオン・ボンネ君(26)。二人の思う相手は,予想通り,アジザとその娘テレーズでした。当るところが通俗で,わかりやすい設定なのでしょう。つまり当たり前のあらすじ(プロット)。最も度肝を抜く仕掛けが,マチルド祖母さん(94)の,自殺した恋人の男性が現れたこと。それがアルマン・ジェルマン(87)。「自殺」し損なったのです。それは重視されていません。(一言で言えば,いざ自殺しようとしたら怖くなってしまった。死の恐怖の,(もう一つの)現れでしょうか。今気づきました。アジザもそのせいで迂闊な過ちを犯していたのですねーーそれはプロットの中で最も肝心な件で最後まで取っておいている。それがじれったくて最後まで気が抜けずに読み通せた次第です。アレレ,長過ぎ!!) ともかく二人は数十年ぶりに,「より」を戻したのです。とたんにマチルドさん変ってしまう。今までの元気・陽気さが亡くなって,メロメロ??恍惚の人に。わたしの「かわいいひと」アルマン,駈落ちしてもいい初恋の人? しかし接吻は淑やかな人妻夫人ゆえ,「手まで」しか許さない,操を守った女性です。それが現実に現れたから大変です。意気投合して可愛いこと言って,瞬時も離さない。相手の男は”仕事”だから仕方なく付き合うが・・・。この愛欲もまたテーマの一つでしょう。「ルイ」という男性の名のあだ名である「ルー・ルー」や「フルー・フルー」は,「モノ・ココ」というフランス語?の愛しい人を指す表記らしい。これもアジザの恋人名でもある。寡婦は夫失踪直後戦乱の中,肉体を許した,その相手が医者のルイ・グロ。戦争で疎開先で出会っている。爆撃災禍の中で,命からがら逃げ延びた先での気が動顚している間の本の束の間の狂気。「私は生きている。生きている・・・」と歓喜する生の躍動。美しい限り。その最中に躍動する男性に抱かれても何の不思議があろう。いつ滅びるか分からない状況で生命の躍動を抑えられようか。その言い訳は云わずに終わっている。後半から完全にアジザが中心の展開となる。しかし,単純ではない。もっとも難解・晦渋なのがダニエルの存在。この人が支配していく。何でも許す,優しい,人当たりのイイ,親切な,そして理知的な男性。神の如く・・一時,イエス・キリストにも映った。万人の罪を背負い,贖い十字架にかけられるような・・。とんでもない。彼は優しい小父さんから極めて厳しい口吻を面前で漏らす,マチルドとアルマンを,「気違い婆さんとほら吹き」と評している。初幕冒頭の和気あいあいの大家族の団らん風景からは想像できない。分断と断絶・・。真相が判明するに従い不気味な様相,イヤーな雰囲気に‥。正義が勝っていく中で悪がさらけ出されていく・・。マチルド祖母さんの夢は儚くめそめそ泣くだけで簡単に飾りのように脇にのけられてしまったように見える。主体は,現実の生活,若者・成年壮年らが主役。7歳下のアルマンは,現実的な経済犯・商業的活動の地を表す。最初はウソ偽りない紳士とダニエル教授がアジザにお墨付きする。実体はカネ目当ての彷徨者なのだ。さっさと一千フランをダニエルから脅し取ったらトンずらし「わしゃ未だ元気だ」と言わんばかりに社会に復帰しようとする。でもフォーカスされない。シャルル・マチュー夫人がどうして寡婦になり,どうして連合軍将校の慰み者になっているかの弁明が展開される。宿命論者・ダニエルの手で。「テロリズム」の実行指揮者でもあった。愛情のもっとも深い愛し方を示している。愛とは何かの最高峰。決して現実とは見えなくなる・・。その立派な指南は,レオン・ボンネ,そしてテレーズまで支配していく。お互い同じ夢を見ているかのようだが,実は同調してはいない。教え子の言い分に首をかしげるダニエルがいる。「ジ・ハード」をも辞さない「トロッキスト」のレオンに対して告白しているのだ。信仰と信念の違いが見えてくるようだ。「コミュニスト」出ないと分かると,許せる,まだまし・・と言わんばかりのシャルル一家だ。え,シャルル?だれ? 写真が一葉残されて,二人(三人)は10歳頃からの旧友なのだ。ダニエルの肩に手を掛けて仲良く映る写真には恐らくアジザの姿もある。そこに同じ年齢の医師・ルイが現れて混乱を引き起こしていた。シャルルが逮捕され銃殺された経緯は複雑で長くなる。思想を考える上ではなくてはならない箇所ではある。初めレジスタンス行動かと思いきや,真相は分らない。爆破攻撃を仕掛けた。その運動員にシャルル,レオンの二人に指示したのがダニエルとなっている。結局捕まって・・自分一人でやってのけた功労者でもあったが,そこは何にも知らぬ・存ぜぬで通しているダニエルが分らない存在になってくる,スパイ工作員であろうか。ココでは焦点は当たらない。アルマンらは,見抜いているのだろう。真実は解らない。15年間ずっと思い慕い続けた男性・ダニエル。医師ルイとの一時の関係の過ち・・恋文残った手紙に書かれた・・「ルー・ルー」可愛い人‥それが自殺願望へと追いやる・・・工作し損じたダニエルに後悔はなかった。後悔し自己憎悪に落ちているのは一人アジザだけだ。「ダニエル。助けてください,私が死ねるように。」最後のセリフはやっと現実に引き戻してくれる。マチルド祖母さんのめそめそ泣いている姿は,「あと5年。100歳まで生きる」と明言した,恍惚の人の最期を思わせ哀しすぎる。「いつかみんなも長く生きたら人生沙漠を感じるだろう」のことばに還る。

 美しい人はだんだんとその美しさの塗装が剥げていくように,醜く見えてくる・・歌い,飲んで踊る夜の奉仕の仕事はもうやらない,と。美人だから男たちは跪く。美は力・権力・暴力。 羨望と嫉妬こそ殺害戦争の動機・・・「想像の中の暴力」【『首をはねろ!―メルヘンの中の暴力-』(カール・ハインツ・マレ著)】で昔からのメルヘンが読まれ伝わり戯曲の中でも生かされているのだろうなあ。マチルドも,アジザも,テレーズも皆美しい女性なのだ。裏の裏? 合掌感謝