すすんでいない。教えてくれた著者の村上陽一郎氏はご自身もやってないと失笑していたが,まさか博識の実践者に違いないと信じています。持つモノがちがう。蔵書と資料は一室の書斎では済むまい。ましてや脳は凡人の非ではあるまい。家族には医師もいて博識な御家柄だ。哲学や教養は凡人に在らず。思想も今一番に進んでいるのではないだろうか。松田道雄氏を,失礼,超えて・・・リファイン(洗練)されていると確信します。大学院で教えになった学生が書籍を著しその思潮を尊重する頭の柔軟な方でしょう。藍より青くを地で行く方ですよ。非凡極まりない。一揃いの百科事典にも勝るとも劣らない才知叡智です。著書でそれを表しておられます。

 さて,前置きが長くなりました。その後の身辺整理ですが・・・。

実は試していた。数年?前に。意識はあっても実行しないこれが凡人の実態。毎日,毎年,毎瞬間が心の変動。《「ジェルソミーナ」の如く,孤独で彷徨している》

 

毎日が勝負。いかに生きるか,死ぬかで。甘ったれるな自死を簡単にできない。モルヒネは医者の処方だ。スイスの安楽死団体の会員になって自死を遂げた日本女性はスゴイ。医者には掛からない。そのためには老衰加齢による衰弱はできないのだ。だから面倒くさくなった,億劫な身体をマシーンに載せている。段々負荷が低くなっていく。甘えの構造。その前に見えるは,いつだったかまとめて買わされた?百科事典が書棚に並んでいる。あれもゴミに出すべきか,・・・・あのジェルソミーナだったらどうだろうか,と思った。

マシーンに乗って足を右左と出している。訊いてみた。・・・すると,・・・

「・・・・」回答がない。

そうだろうなあ,「百科事典? それって何?」・・・「あゝ,紙でできているの? ‥なんで捨てるの?どうして?」

「車に積んで…わざわざどれくらいだって?・・・2リットルボトル水の6本入り段ボール箱。それを何箱か。4箱分はあるだろうな」・・・(脳内の意識は,ずっとそれを追っていた)

 

 

散歩マシーン後,ちょっと見てみた。眼が見えないので持ち帰るとその一冊は埃をかぶっていた。その厚いカバーの裏に記された文字は・・・

「平凡社大百科事典 1981年4月発行 第34巻『現代』」とある。

昭和57年頃だろうと思っていたが・・・案の定だ。昭和56年の発行だった。まさに最新版だったのだ。

捨離も面倒になってくる・・・。

ジェルソミーナはハクチ,否無垢。何でも吸収していく。you can learn (and earn).となるのだ。あの本には,キレイな絵もあり写真も載っている。紙質も良い。重いが全部読破したら,当時原価30万円だったとしても何百万もの値打ちがあるのだ。でもこの数十年間,ひらいてみたのは購入当初段ボールを開けて開いた時点の一冊の一カ所だけだったろうか。あれ以来何度参考にしただろう。皆無に近い。飾るだけで電子辞書のブリタニカを引くほどにもならない。

でもモッタイナイ話ではないか。子どもは使うことはあるまい。でも書物の価値が下がるわけではない。他をあたろう。・・・・

 

We Both Are travelers.” 「だって,同じ旅人じゃないの」(尼さんが優しく声かける)

別れは淋しそうだ。feel lonely. 永遠の別れを暗示させる。何度別れ,寄りを戻し…やりなおしたことか・・それでも通じない。

“Do you like me a little bit?”

“Stop it. I’m tired. Just sleep!” 

人はどこまでもひとりっきり。・・・

https://www.youtube.com/watch?v=XvPIe339F_c

「俺は稼がなきゃならん。・・・」

大道芸はつづく・・・近代化が進む・・中,人々は肩を落とし歓喜の色はない・・・

 

映画は最期まで見たはずである。1954年以降のある幼い時期に・・・でも哀しいモノは脳が受け付けない,全く記憶にない。以後数十年を残す少年にとって記憶を消し去るのも当然だった。

哀しい出来事は忘れるのもはやい。生死を決めるのは脳(記憶や情念・意識)ではなさそうだ。

最後は見ていられない。これでもか,という程に人生を追及した傑作。

学んでも一歩も前に進まない・・・・