アンソニー・クイン・・・『道』(La Strada)

Giulietta Masina ~Gelsomina~ 何と読めばいいか。

「ジュリエッタ・マシーナ~ジェルソミナ~」?

「ジェルソミーナ」といった表題も見たことあるかもしれない。ともあれこの映画です。https://www.youtube.com/watch?v=7jSewbxyHYM

最初に観たのはテレビ。吹き替え版だが,全く覚えがなく,ただ暗いイメージしか残っていないが…恐らくその後何度か再放送があったでしょう。どうにか呑み込めても人生の深みにまでは届かない幼い時代のこと。コメントにあるように,戦後9年に生れた私には妙に胸に突き刺さった映画でした。悲哀たっぷりで,解せなかった。後で観ることになるイタリア映画の底力を今なお感じさせてくれます。人生や巷間の生活を描いたら右に出るモノがないくらい。わかるようになったのは,『鉄道員』ですかね。その前に『道』があったのですね。ソフィア・ローレンの『ひまわり』も,そうですが,人間の情念を描いたらイタリアに勝るものはないかもです。一歩も二歩も先を行く国々。スペインやイタリア,ギリシャの影響も受けているでしょうが。その縁で花咲いたウクライナ・キエフのバレエかな。日常の暮らし,平凡な生き様をつらつらと描く・・・他の先進諸国の映画とは全く次元が違う,決して大衆に媚びた感動の映像をつくろうとしない,不動の姿勢があります。今やっとその良さ・真価が分ります。つまり成熟していたのです。スミマセン,今ごろで。華やかさ,見てくれだけの大恋愛や,スリルと冒険の物語や「ベン・ハー」物の大スペクタクル映像や,観劇的なシーンに動かされて,血迷って彷徨って無駄な時間を費やしてきてしまった,若気の至りの,反省の弁です。原点復帰を,自分勝手にも都合よく,願っている。

 イタリア語ですかね・・・Federico Fellini  Otello Martelliら が字幕に見えます。

The scene starts on the beach. some small children are crying to one who stands on the beach, “Mom, a man with a motor-bike, told that Rose’s dead.”

  “Gelsomina! You know Zampano, Rosa’s husband?”  “My poor daughter! She died far from home. I’ll never see her grave!”

 

映画の出だしから,死んだ話なのだ。娘が遠い地で亡くなり悲しむ母親。幼い鑑賞者の目はそれには向かない。向くのは傍に立つ男と対峙する形の女の存在だ。何だこの物語は!と驚く。

「この子を見てごらん。まるで(死んだ)ローザそっくり。これがジェルソミーナ。(紹介される)なんて惨めなの,私たちって。」「ローザの代わりに息子と一緒に行ってくれないかい」という母親。何か身に付きおカネにもなるわ。・・・」どうも貧しくて食料も上げられないようだ。男はしわくちゃの紙幣をボケットから取り出し,ひろげて見せて貧しい子どもたちの一人に渡す。泣きながら娘を叫びつつもジェルソミーナを息子にあてがいほろのついたオートバイに載せるのを手伝う母親一家の子だくさん。カネ次第の世中=ゲンキンな背景を描いて,無知で無垢な若い娘は何の恋愛感情も無しに同伴する羽目になる。まるで娘は売られていくようにも見える。

幌馬車ならぬ,幌バイクのその幌には裸の女の描いたトレードマークも見える。大道芸人のジプシー生活の始まりか。